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「JUDO」と「柔道」と石井選手=ちょっとした感想
 NHKの特集番組で日本柔道チームの欧州遠征が取り上げられていた。興味深かったのは、石井慧選手の取り組みであった。全日本柔道選手権で棟田選手を破り、オリンピック代表に選ばれた件では、害債さんがエントリーで取り上げている。
 この大会の決勝戦の模様は、後でニュースなどで知ったのが、最初の石井選手への印象は「外人的な取り組みで勝ちにいったのだな」というややネガティブなものだったが、その後は「でも勝たなきゃいけないなら、こういうものアリかな」と思い直し、NHKの番組で石井選手が「(戦い方は)常に変化しており、その中でいかに勝つかを柔軟に考えないといけない」と言っていたのをみて、興味深さが増した。
 日本的な美学では、石井選手のやり方はあまり美しくないのだが、美学とかにこだわらずにとにかく勝つことを目的に世界中から強豪選手が集まる国際大会では、石井選手のような発想を持つことが重要なのだろうと思った。石井選手が番組の中で、イチロー選手の本を手にとり、「(日本のシステムでは)マニュアル化が個性を埋没させ、ひらめきを封じる」という部分を引用していた姿は、ちょっと感心した。
 この辺のところは多分、金融にも通じる部分があるのだろうと思った。日本の金融(特に銀行)は公的制約が強く、国民も銀行は公的インフラの延長線として捉え、まあ経営陣も公的使命を強く意識しているように思う。「公的」というのは、響きはいい(美的?)のだが、収益的にはそれを追求するのがネガティブな印象を与え、でも利益を出さないと批判される、という板ばさみになりやすい。公益に資すると同時に儲けも出すのは難題である。金融はもちろんスポーツではないので、ドライに「JUDO」を目指せばよいのだろう(まあ、批判受けるであろうが)。
 柔道と金融を重ねるのは無理があるけれども、「JUDO」に勝とうとする石井選手には(日本的でないがゆえに)頑張って欲しいと思った。個人的には、もちろん「柔道」としては、井上康生選手の一本にこだわるのがもちろん好きである。

 そういえば「金融士」構想も、美学は全然ないが、とりあえずは「形」にこだわる日本的な風土の特徴をよく表す。金融庁は、金融マンの「黒帯」のような資格にしたいのであろうか。頭の下げ方、口の利き方、条文の読み方、といった細々したことまでマニュアル化されたら、斬新な発想で利益を追求する個性は埋没が加速しそうである。

ps スポーツ観戦はあまりしないが、柔道は比較的見る。経験はなくて、技も良く分からないが、力をうまく利用して瞬間的に勝負が付くところが面白い。一番記憶に残る試合は、アテネオリンピックでの女子柔道、横沢・サボン戦。終了間際の横沢選手の一本勝ちは凄かった。
by bank.of.japan | 2008-05-07 22:20 | 金融システム | Comments(15)
Commented by osome at 2008-05-07 23:15
「柔道」に限りませんが、人に見せて成り立っているスポーツなら美学があるべきだと思いますが。
オリンピックは、そもそも勝つこと至上主義でいいのでしょうかね?
シドニー大会で審判のひっどい誤審で金メダルを手にしたドゥイエとかいうフレンチ野郎、今年の聖火騒ぎに乗じてまた目立ってましたが、恥知らずはやはり尊敬されないでしょ。
F1でもプロストが1つのレースで穢い真似をして全く尊敬されなくなったけど、フレンチってそういう感覚なのでしょうかね?
Commented by とおりすがり at 2008-05-08 00:10
ドゥイエ-篠原戦は一本が確定しても無いのにガッツポーズとってた篠原に美学があるとはとても思えませんがねえ。
JUDOとしても勝ちにこだわる姿勢が無いし、柔道としても残心が無い。

まあ脱線はおいといて、銀行(と保険)は顧客の金を運用して収益を上げる以上、本質的に公共性を帯びていると思います。実体としてはファンドであるのに、その社会的役割ゆえにディスクロ規制や勧誘規制が有価証券の募集ほどには厳しくないんですから。
銀行と保険が公共性を捨てるのであれば、金商業と同程度の規制がかからなければ公正な競争環境にはならないでしょう。
Commented by bank.of.japan at 2008-05-08 01:21
osomeさん、どうもです。私自身は、勝ち負けはともかく、スポーツ選手の美技を純粋に楽しめばよい、というスタンスながらも、かといって負ければ批判もされかねない面もあり、勝ちにこだわる石井選手のような存在も多様性の一つとして応援したいなあ、と思います。

とおりすがりさん、どうもです。公共性を帯びる、ゆえに銀行法などが存在するわけですが、公共性が「やや過度」に期待される風潮があるかなと思います。貸し渋り、貸しはがし、といった一方的な言い方が象徴的で、これはまあマスコミ側の問題かもしれません。
Commented by 美学 at 2008-05-08 02:33
ただ、中田英寿しかり小泉純一郎しかり王貞治しかり、日本の中でずば抜けたことをする人って、良い意味で美学のかたまりみたいな人が多いんですよね。全く普通の人とは異なる規範を自らに課した。
その意味では、「とにかく勝てりゃ良い」という人の(一時期は花開いたように見えても)長い目で見ると大したことはできずに消えていく無数の人たちを見ていると、「結果さえ出せりゃ何でも良い」という人が逆にその程度、所詮は小人ということなんだろうと思います。
Commented by 害債 at 2008-05-08 03:56
リンクいただき恐縮です。ちょうどワタクシも先ほどNHK特集をみてまして、石井選手がイチロー選手の本から啓発されているというのを知り、ワタクシも本石町日記さんと同じような印象を持ち、ちょっと感心しました。言葉のあやかもしれませんが、勝負にこだわり日本に金メダルをもたらす。というのが彼なりの美学なのかもしれない、と思ったり。冷静に海外選手との対戦から学ぶあたり、なかなかのセンスです。まだ若い選手なので、まだまだ本当の大物になる可能性は残っていると期待します。
Commented by 田舎者 at 2008-05-08 21:00
谷選手や鈴木選手の柔道も見た目はせこいです。しかし、技をかけに行くと自分から体勢を崩すことになります。実力が拮抗し洗練された柔道程見た目は地味になります。今回の決勝も高度な心理戦で最初に思い切って大内をかけたのは見事だと思います。腕力だけで技術的、精神的にレベルの低い篠原選手や斉藤選手が重鎮として居座っているのはにがにがしく思います。石井選手は最近の選手の中では頭のいい選手だと思います。ただ国際大会でデータの無い選手相手では苦戦するとは思います。
・・・柔道レベル的には格下の篠原が偉そうに言うのが柔道を少しでも理解するものとしては許せないのです。
Commented by とおりすがり at 2008-05-09 00:19
>貸し渋り、貸しはがし、といった一方的な言い方が象徴的で、
私としては、預金者に対しては銀行は公共的使命を帯びているけれども、融資対象に対してはビジネスライクで良いと考えています。
なので、貸し渋り、貸し剥がしに関してはbank.of.japan様の言うとおりかと思います。
逆に、「銀行金利が低すぎる、もっと預金者に還元すべき」という意見には正当性があり、これを全て預金者の選択責任に帰着させてしまうのは問題があるのではないかと思う次第です。
Commented by 飛車 at 2008-05-09 12:30
柔道は、過去に柔術から柔道に転換することで、一段階のスポーツ化をしたわけで。JUDOになって更にスポーツ化することで、時代に対応するというのなら、それはそれで好きにしてもらえば良いのかなと思う。部外者の僕にとってはどっちでも良い。警察官など必要に迫られて柔道やってる人にとっては、下手に人格形成だとか、正々堂々とか言わない分、柔術やJUDOの方が良いのではないかと思ったりして。

そんな事より、全日本柔道連盟が、世界柔道連盟の下部組織だという事の方が驚き。その辺のグリップが甘いから、こういう事になるのかなと。いっそ、新日本柔道連盟を別に設立して、交流戦でそれぞれのポリシーを賭けた抗争に明け暮れるとエンタメ性が高まって面白いかも知れないw
Commented by bank.of.japan at 2008-05-09 18:15
美学さん、どうもです。日本人的な心情としては、「美学」を貫く姿は印象に残りやすいです。石井選手がどうなるのかは、若いだけにまさにこれからなのかも知れません。

害債さん、どうもです。いろいろな意味で、これからが楽しみな選手です。見守っていこうと思います。

田舎者さん、どうもです。私はそれほど柔道の深いことは分らないので、玄人的な見方は参考になります。ありがとうございます。

とおりすがりさん、どうもです。預金サービスについては、残高の少ない不採算顧客からの手数料徴収がいずれ必要になるのではないか、と思われます。制度面では、現在一律の預金保険料を可変的にすることでしょうか。今後ともよろしくお願いします。

飛車さん、どうもです。確かに必要に迫られて柔道やる人は、精神論とは切り離したものが合理的ですね。日本拳法をやっている人から聞いたことありますが、自衛隊は日本拳法を取り入れているらしいです。実践的だからでしょうか。
Commented by K at 2008-05-11 12:58
「柔道」は成功しましたね。よくこれだけ普及しました。喜ぶべきだと思います。

「JUDO」は研究と対策は必要ですが、真似は不要と言うか、止めた方が良いと思います。どう考えてもパワーと体格で負ける。
独自の道を探るべきでしょう。

Commented by bank.of.japan at 2008-05-11 22:47
Kさん、どうもです。何はともあれオリンピック競技に採用され、世界的に愛好者が多いのは成功の証なのだと思います。「JUDO」は確かに真似は不要ですね。研究・対策を行い、うまく取り入れて独自の道を探るのが理想だと思います。
Commented by 柔よく剛を制す at 2008-09-01 03:16
JUDOも柔道も柔(やわら)である。

「(戦い方は)常に変化しており、その中でいかに勝つかを柔軟に考えないといけない」⇒これぞ、柔の真髄である。

石井の言う通り、形(技)もルールも、常に変化する。それだけのことである。

今回の石井はそれを体現した。

ただ、次回の石井は、同じかどうかは分からないが...
Commented by bank.of.japan at 2008-09-01 18:49
柔よく剛を制すさん、どうもです。なるほどですね。
Commented by 148763 at 2008-09-14 18:20
しかし最近の石井選手、畳の外での言動には目に余るものがあります。

>バラエティは邪道。スポーツをやっていない人に呼び捨てで呼ばれたくはない。

などの発言。

スポーツ競技は一個人の技量だけで成り立つものではなく、それを取り巻く支援者やスポーツ番組の応援も欠かせないものです。
嫌なら出ないだけでいい話で、公共の場で(スポーツ)バラエティを批判しながら、しかしドラマにはへたくそな演技で出る。
金メダルを取ったからといって、社会に出たら一人の人間であり、例えばわたしの社に彼がいたら呼び捨ては当たり前、そこに金メダルどうこうの特典などありません。
柔道家の前に人間なのであって、少し調子に乗ってるなこの小僧、と思ってしまいました。
Commented by bank.of.japan at 2008-09-15 23:16
148763さん、どうもです。石井選手の畳以外の言動は見ていないのですが、そんな感じなのでしょうか。困ったものですね。テレビは面白主義で石井選手を消費しているだけなのだと思います。それに気が付かないと。
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