法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『アンダーワールド 覚醒』

 吸血鬼の社会から抜けだした女処刑人セリーンは、狼男族の遺伝子をもつマイケルと逃亡のなかで引き裂かれた。
 十数年後に覚醒したセリーンは、吸血鬼と狼男族の存在に気づいた人類が不死の彼らを追いつめていることを知る。
 孤独にマイケルを追い求めるセリーンだが、追いつめられた吸血鬼の若者デヴィッドや、謎の少女イヴと協力することになり……


 2012年の米国映画。スタッフを全面的に刷新したシリーズ4作目としてつくられ、初めて舞台が近未来になった。そして人類が新たな勢力として戦いに介在する。

 とうとう尺が一時間半に満たなくなったが、重要人物の行方がわからなくなってエンドロールをむかえるので、事実上の前編と理解すべきか。
 ともかくシリーズの特徴だった全体が青いカラーグレーディングは抑えて、良くも悪くも全体的に普通のB級アクション映画になった。戦いの舞台も近代的な都市周辺でロケ。
 存在が人類にばれた吸血鬼と狼男族が感染者として追われて地下にもぐる物語は、ゾンビ映画のよう。思えばソニー関係の外国B級アクション映画シリーズといえば『バイオハザード』がある。今回に登場した娘がクリーチャー化した姿もゾンビ的な醜悪さがあった。


 しかしB級アクションとしては低予算なりに定番を押さえていて暇つぶしには良い。メイキングによるとアクションにかけられる時間は1作目*1と同じ40日間だそうだが、監督がまた交代したためかアクションに不慣れな新人女優だった主演が経験を重ねてきたおかげか、一気にアクション映画としては現代的な水準に達した。
 カット割りは細かいが動きがつながっているので見ていて位置関係や動作が理解しやすいし、クリーチャーに追いかけられるカーチェイスもVFXと実景が組みあわさって目新しさと緊迫感が両立している。
 巨大ライカンとの戦いは小サイズの怪獣映画を見ているようでもあり、地下駐車場のような怪獣映画には珍しい舞台のアクションや、ちゃんとアイデアをつかったバトルが楽しめた。
 アナログ部分が少なく全体的にデジタルで仕上げたVFXだけは予算を反映して質感がイマイチでゲームのようだが、予算を念頭におけば目をつぶれるレベルではある。近未来都市を表現するため、セットは1作目より多く作っているらしく、背景との合成も違和感なく悪くない。ロケは2作目*2と同じカナダのバンクーバーで、ブルータリズム建築の禍々しさを近未来表現として活用。
 人狼描写の多くは着ぐるみにアニマトロニクスをつかった古典的な方式だが、クリーチャーには珍しい光沢感を出す獣デザインのため人工的に見えがちなところをスタッフが気にしていた。実際、視聴中はデジタル技術で狼男を表現したのかと感じていたくらい。
 また前々作までの主人公のパートナーは俳優が不在のため、冒頭の港に少しだけ出ている描写はスタントマンに顔だけ合成したのだという。港自体も2作目の船爆破のテストカットを素材として流用したものとか。追い求めているはずのマイケルの存在感がどんどん消えていく物語に制作の二乗は感じたが、まさかまったく新規撮影されていないとは思わなかった。


 また映像ソフトには各5分ほどのショートアニメ全3話を収録。主人公と狼男族三兄弟との歴史を超えたパリでの戦いが描かれる。『アニマトリックス』以降に定着した映画宣伝手法か。
 内容にしても、完全に外国産だが日本アニメのスタイルの影響を受けている感じ。頭身が高いのに平面的なキャラクター作画で、顔の輪郭を動かさず表情を変える手法が見られる。
 特にすごい出来というわけではないが、吸血鬼族から追われる以前の本来の役割りの主人公が描かれているのと、主人公のパートナーの顛末にいろいろな示唆があるので、映画本編の前に視聴するのが良いだろう。

『映画ハピネスチャージプリキュア!人形の国のバレリーナ』

 敵を撃退するプリキュアがTVで堂々と報じられ、人々が応援する世界。薄暗い部屋でひとり、TVのプリキュアを見つめる少女がいた。
 プリキュアに変身する愛乃めぐみたちは保育園の人形劇で失敗して結果的に笑いをさそっていた。すると人形がプリキュアに助けをもとめてきて、愛乃たちは人形の国に招待されるが……


 2014年に公開された劇場版。他社で監督としてキャリアを積んだ女性演出家で、今期の『キミとアイドルプリキュア♪』でシリーズディレクターに抜擢された今千秋の、シリーズ初監督作品。

 ガールズアクションアニメとして目新しさこそないが、さまざまな設定を無駄なく活用して作品の埋もれた魅力をひきだし、ジャンルに求められる全てを高度に満たした快作。


 まず身体障碍者のゲストヒロインの魂を救う物語に、TV版で断念した愛乃母の病気がかかわってくる構成*1を劇場版で完成させたのかもしれないと思ったし、そうであればここまで高いポテンシャルを秘めていた作品だったのかとも思った。その身体障碍は敵の策略によるものという真相は少し残念だったが、尺が短い劇場版で物語を完結させるための妥協かもしれない。
 主人公の最終変身にあわせて挿入歌が流れる定番の演出も、歌そのもの良さや、幸せはささえあうものというメッセージの力で感動的なクライマックスにしあがっている。つらいことがあるのはみんな同じという言葉を、あきらめではなく私たちの未来を信じる言葉として敵にぶつける。映画館でミラクルライトをふって応援するシリーズ恒例の上演形態を実感的な演出として活用している。
 TV版では思わせぶりに真相を隠して子供を矢面に立たせて視聴者に嫌悪されていった神ブルーを*2、何も知らない立場にしつつ早々と敵が拘束することで、力をふるえないなりに子供たちを助けようとする大人として成立しているところも良い。
 冒頭で作品フォーマットを説明する通常戦闘があり、次に主人公が向かう異世界が実際は敵地なので序盤から敵がさまざまなかたちで登場して、アクションの回数と物量が充実しているところも良かった。もともとのキャラクターデザインがシンプルだからこそ、ひとりのアニメーター大和田寛がすみずみまで絵を修正してスクリーンに映える適度に濃厚な絵になっている。

『キミとアイドルプリキュア♪』第9話 ななの七不思議!

 母親に何かを言われてから、蒼風ななの様子が少しおかしい。幼い子供のように道路で白線の上だけを歩いたり、咲良家の集まりにいきなり髪型を変えてあらわれたり、咲良妹にピアノをたのまれても怪獣ゴッコをつづけたり、するんだYO!
 咲良うたと紫雨こころは不思議なななを見て七不思議と考えるようにるんだYO! そんなこと蒼風は一度も言ってないのに不思議が七つある前提で謎解きを始めるんだYO! チェケラッチョ!!


 井上亜樹子脚本で、当惑するしかないギャグ空間が展開される。絵コンテは佐々木憲世で珍妙なキャラクターのギャグめいた行動を引き気味のカメラで客観的に見せる。
 主人公の咲良側がツッコミ側にまわっているようで、あらすじで書いたように仮説がすぐ前提にすりかわってしまったり、ボケにボケを重ねて登場人物の奇行に歯止めがかからない。
 途中でにおわせていたように蒼風の奇行はピアノしか知らない自分の殻を壊そうと意識的にふるまっていたもので、そもそも奇行のひとつは咲良のふるまいを真似たものだった。私そんなキャラクターじゃないよと咲良は抗議するが、視聴者としてはそういうキャラクターだと思っていたので*1常識人な自認なのかと逆に驚くくらい。
 小さな奇行が淡々とくりかえされるだけで全体をとおすと起伏がなく、敵との戦いも作品ノルマをこなしただけでドラマとのむすびつきは弱いが、このツッコミ不在のシュールな空気はこの作品に期待したものではあった。

*1:蒼風初変身回で、必殺技は咲良を真似たものかと思ったものだ。 『キミとアイドルプリキュア♪』第3話 勇気を出して♪ キュアウインクデビュー! - 法華狼の日記

暇な空白氏が刑事事件で起訴にいたった現在からふりかえると、2023年11月のColabo弁護団による記者会見が基本的に正しかったということ

【ご報告】Colaboとその代表仁藤夢乃に対する深刻な妨害に関する提訴記者会見を行いました。 – 一般社団法人Colabo(コラボ)

デマや誹謗中傷などの嫌がらせの投稿が膨大になされ、拡散されることによる影響は非常に深刻で、利用者の女性たちが恐怖を感じ、活動の存続が危ぶまれるほどの状況となっているため、この度、提訴することになりました。

 記者会見をつたえるページのはてなブックマークを見ると、はてなスターがまったくついていないがid:sumomo-kun氏のコメントが慧眼だ。司法を利用してマネタイズをねらう手法は他の人物もおこなうようになっている。
[B! 仁藤夢乃] 【ご報告】Colaboとその代表仁藤夢乃に対する深刻な妨害に関する提訴記者会見を行いました。 – 一般社団法人Colabo(コラボ)

sumomo-kun 名誉毀損は普通に認められるだろうが…。もしかして、ここまでと裁判過程の実況とで、暇空は賠償額を上回る利益を得るんじゃなかろうか。もしそうなったら、地獄絵図だな。

 一方で多数のはてなスターをあつめているのがid:yujimi-daifuku-2222氏だが、「赤十字はじめ地方の役所や団体」が仁藤夢乃氏を刑事で告訴すれば起訴されると思っているのだろうか。

yujimi-daifuku-2222 これまで仁藤氏を始めとした規制派フェミとその同調者達への対応に追われた赤十字はじめ地方の役所や団体は怒って良いよ。彼らがどれだけの負担と迷惑を被ったと思ってるの。

 id:tikuwa_ore氏*1のように記者会見を「隙だらけ」と評する反応も当時は少なくなかったが、神原元氏は裁判で複数の論点にわたって妥当性がすべて認められて勝訴した*2。

tikuwa_ore 記者会見動画が隙だらけで、暇空氏側の弁論に使われるんだろうなと思うと、弁護士7人も雁首揃えて隙だらけな事にどうしても笑ってしまうw


 記者会見の後、2024年1月以降に発表された監査結果でわかった会計ミスを「杜撰」と表現して公金の投入を否定するような論調もあるが*3、記者会見の時点で弁護団は「軽微なミス」があることなどは認めていた*4。
https://colabo-official.net/wp-content/uploads/2023/01/cee5ab6bd71bcd6ccd475b2973624268.pdf

例えば非常に単純な計算ミス、その式自体が答えとあってないみたいな事が、まあ団体の運営してれば誰でもたまにはやってしまうような軽微なミスですよ。しかもそれを出して都から指摘されて、修正して出し直して問題なく終わってるような話について、修正前と修正後と両方とも多分開示されたんでしょう。 修正前の間違ってる方だけをアップして「wwww」「計算間違いwwww」「こんな杜撰なんだ」みたいなふうに、印象操作に使うような材料に情報公開で得た資料がされていると。

 事実として監査結果でも不正会計と呼ばれるべき犯罪などは見あたらず、あくまで誤記などのミスが少数あったくらいで、使用した公金分の領収書などは充分に提示されて返金すら発生しなかった。
Colaboが約1300万円の人件費をもちだしていたという情報を見て、人件費を按分していなかったミスの背景を想像する - 法華狼の日記
 当時にColaboを批判しようとしていた人々は、たいてい記者会見の主張に反発していた。たしかに複数の弁護士がすべて依頼人のため虚偽を流布することも第三者からすればありえないとはいいきれない。しかし弁護団は誠実に事実にそって説明していたのだ。
 監査結果でColaboを批判したかったなら、記者会見で「軽微なミス」を認めた時点で批判の根拠として充分と位置づけるべきだった。結局それ以上の問題はColaboに見つからなかったのだから。

*1:別件だが、先日の反論エントリへ応答されていないようだが、応答しないこと自体は自由である。 ゲーム『アサシン クリード シャドウズ』をきっかけに、個人の感情だけを理由に抗議することの自由が理解されたなら、それは良いことではある - 法華狼の日記

*2:こちらは地裁の判決をつたえるエントリだが、高裁でも神原氏の勝訴で終わった。 暇な空白氏の活動を弁護士の神原元氏が記者会見で「リーガルハラスメント」などと論評したことに対しても、裁判所が真実性を認めたばかりだよ - 法華狼の日記

*3:若年女性支援ばかり選択的に興味をもたれた「公金の使途」は、やはり生活保護否定のような社会福祉否定にいきついた - 法華狼の日記

*4:ノンブル18~19頁。

ツイッタージャパンだけでなく、ツイッターは本国でもイーロン買収以前から右派寄りのアルゴリズムだったという話

ツイッター本社は知らないが、買収前のツイッター日本法人が左派だったというのは偽史では? - 法華狼の日記

日本法人の思想傾向をうかがわせる動きとしては、日本青年会議所と2020年にパートナーシップ協定をむすんだことがある。

 日本法人にかぎっていくつかの傍証をメモした上記エントリの補足として、マヤ考古学者で日米を往来しているRawheaD氏のツイートをメモしておく。


これは明らかに間違い。少なくとも本国/英語圏ではイーロンマスク以前からTwitterアルゴは右寄りだったので。

左寄り、リベラルな人たちがTwitter時代に全く同じことをやってたわけだがイデオロギーのベクトルが変わった途端に怖いって言う人の感性なんなんだろう。

これは幾つかのデータ解析からも分かっていたことだし、何よりTwitter本社が認めたこと。

人間基本的に自分の思想は「中道」だと思うバイアスがかかるから、右寄りの人には「左寄りバイアスがかかってる」と思いがちだったのかもね。
www.theguardian.com

まぁ、あの当時のバイアスレベル感と、イーロンマスク買収後のレベル感は桁違いだし、何よりも「24年の選挙で自分が担いだ候補を勝たせるためにオーナーが全力を尽くした」って部分が比較にもならないことなんだよね。

 思い返すと、ツイッター買収後の無理やりな人員削減は、現在の米国政治における無理やりな人員削減への期待と現実と酷似している。いったんは左派的な言説が排除されるとして期待され歓迎されながら*1、イーロン個人の目先の利益を優先して環境悪化は放置され、右派でも拒絶するほどスパムアカウントが増殖したりして利用者が激減したまま現在にいたる。
 反省する動機がないイーロン・マスク側の運営がSNSと国家で変わらなかったことは悪い意味で当然かもしれないが、歓迎や期待してしまった側の学習能力には問題があったといえるだろう。

*1:言論の自由の範囲内における抗議で失職することを「キャンセルカルチャー」として拒絶するような人物が、不当性が疑われる手続きで合理的な根拠もなく多くの人員が解雇されるような運営を歓迎していたことも印象に残っている。