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ついに来た来た来てしまったの20周年!
3月。
おかげさまで、拙ブログもとうとう、20周年!となってしまいました。

ついに来た来た来てしまったの20周年!_e0027240_16160191.jpg
(↑シリーズ恒例、「道」です。)

正直、当初は、こんなに長く続けているなど、まったく、想定しておらず・・・。
まあ、実際にはいつの頃からか、ただ、惰性でダラダラ続けているだけの状態になってしまいましたが、それでも、継続は力なり。
吾ながら、よくこんなに続けてきたよな・・・と思っております。

ついに来た来た来てしまったの20周年!_e0027240_16341557.jpg
(↑運転中、ラジオで矢沢永吉の曲がかかった瞬間、止まった信号。思わず、「マジかよ!」って思いました。本当の話です。おめでたい話なので盛ってません(笑)。)

さて、昭和31年の雑誌の中に、「黒田鍋島両藩が背振山領界争いで、有名なる鎌田左文字の刀を戦争中、西新町の医師の宅で拝見したが、行方不明になつてゐるらしい」(ママ)という一文があります。
私も多少、詳しいつもりなんですが、その話は初見で、いろいろ、調べてみましたが、どれだけ探しても、「有名なる」はずの鎌田左文字は出てこない。
まさしく、誰もが知ってる話と油断してると、すぐに歴史の行間に埋没するという好例かと。

また、同じく、昭和の古書に「狸穴式の路地」という一文が出てくるのですが、これも、どれだけ検索しても出てくるのは、東京の麻布狸穴町ばかり。
明治生まれにとっては、「狸穴」というのは、わざわざ、説明がいるものではなかったんでしょうが、今や、そもそも、狸がどういう巣穴を掘るのかすら知っている人は少ないわけで。

ついに来た来た来てしまったの20周年!_e0027240_16190859.jpg
(↑昭和の昔を思い起こさせるような。昔はこんな感じで、バラックに裸電球がポツンポツンでした。思わず、涙が出そうな風景でした。)

先日、中国の古鎮老街について書かれた物を読みましたが、「中国という国は歴史がある国ですが、歴史に理解がある国ではない」んですね。
実利が伴わなければ、平気で壊してしまうし、実利が伴った場合でも、現物は壊して、その後に観光客向けの綺麗な、つまり、似て非なるものを建ててしまう。(秦の始皇帝誕生の地というのが、最近まで邯鄲に残っていたそうですが、ショッピングモールが建ってしまったという話も聞きました。勘弁してくれよと思いますが、日本も平気でマンションにしてしまいますからねぇ。毎度思うことですが、博物館なんて東洋の発想では絶対に出てこなかったでしょうね。)

つまり、こういう物は、残していく努力をしなければ残らない・・・ということですね。
              平太独白

# by heitaroh | 2025-03-14 17:21 | その他 | Trackback | Comments(0)

江戸時代の吉原のべらぼうな実態
今年の大河ドラマ「べらぼう」
半裸の女性の遺体を遺棄するシーンなんかあったそうですね。
もう、第一話から早くも、飛ばし見していたもので、そのシーンを見ていないのですが、ちょっと思ったのが、『作者は江戸の「吉原」を現代の「歌舞伎町」のようなものと思っておられるのではないか?』ということです。

江戸時代の吉原のべらぼうな実態_e0027240_01241749.jpg
これについて触れる前に、まず、トロイの遺跡を発掘したことで知られるハインリッヒ・シュリーマンは幕末の日本にも来ており、この辺のことを書いています。

「貧しい親が年端も行かぬ娘を何年か売春宿に売り渡すことは、法律で認められている。 契約期間が切れたら取り戻すことができるし、さらに数年契約を更新することも可能である。この売買契約にあたって、親たちは、ちょうどわれわれヨーロッパ人が娘を何年か良家に行儀見習いに出すときに感じる程度の傷みしか感じない。なぜなら売春婦は、日本では、社会的身分としてかならずしも恥辱とか不名誉とかを伴うものではなく、他の職業とくらべてなんら見劣りすることのない、まっとうな生活手段とみなされているからである。娼家を出て正妻の地位につくこともあれば、花魁(おいらん)あるいは芸者の年季を勤めあげたあと、生家に戻って結婚することも、ごく普通におこなわれる」。

確かに、そういう一面もあるのでしょう。
「金持ちの親父に見受けされたのは可哀そう」と言ったところで、当時はそもそも、自由恋愛の方がレアケースだったわけで。

また、シュリーマンは、『日本でもっとも大きくて有名な寺の本堂に「おいらん」の肖像画が飾られている事実。(中略)他国では、人々は娼婦を憐れみ容認してはいるが、その身分は卑しく恥ずかしいものとされている。だから私も、今の今まで、日本人が「おいらん」を尊い職業と考えていようとは夢にも思わなかった。ところが、日本人は、他の国々では卑しく恥ずかしいものと考えている彼女らを、崇めさえしているのだ。そのありさまを目のあたりにしてそれは私には前代未聞の途方もない逆説のように思われ、長い間、娼婦を神格化した絵の前に呆然と立ちすくんだ』とも言っています。

これは、おそらく、「義娼」と呼ばれるような、歌舞伎などに描かれることで何らかのストーリー性を持った遊女のことで、遊女と名が付けば、誰でも肖像画になって、信仰の対象になったわけではなかったでしょう。
ただ、花魁が浮世絵などに描かれることで、ファッションリーダー的存在であったことも事実

が、そうは言っても、所詮、旅行者。
「苦界」の実態を正確に記し得たとは言えないでしょう。
実は本件は、少し前に著書にしたためたので、少し詳しいんですよ。

江戸時代の吉原のべらぼうな実態_e0027240_01283234.jpg
まず、江戸においては、幕府公認の遊廓は吉原だけだが、吉原は値段は高いし、煩わしい仕来りも多い。

結果、庶民の足は非公認の私娼街である岡場所へと流れる。

(岡場所の「岡」は「非正規」という意味。したがって、正規の吉原は「本場所」。)

結果、岡場所の繁盛は吉原には歓迎できる事態では無いから、吉原は幕府へ岡場所の取締りを要請する。

結果、摘発された遊女たちは縛られた上に髪に値札をつけられ、次の「飼い主」が決まるまで道端で待機させられる。

(この光景は、さすがに同時代人の目にも異様に映ったという。)

結果、彼女たちは吉原の各遊郭へと払い下げられる。

結果、吉原では一種の「遊女デフレ」とも言うべき、在庫過剰現象が起きる。

こうなれば、遊女が一人死んだところで、代りはいくらでもいる。

結果、その待遇は売春以前に、食事も満足に与えられないほどに劣悪極まりないものとなる。

江戸時代の吉原のべらぼうな実態_e0027240_01300742.jpg
そもそも、「年季は最長十年」と呼ばれたが、実際には、自身が売られた時の代金は元より、自分が使う営業用の着物や髪飾りから化粧品代まで、様々に本人の負担となっており、借金は簡単には減らない仕掛けになっており。

つまり、自由の身となるためには、金持ちの客に「身請け」されるか、「死ぬ」かの二つしか無かったのである。

(後者の例で言えば、中絶の失敗から、梅毒などの性病、劣悪な環境による結核やチフスに、果ては心中なども珍しいことではなかったが、前者の例も、容姿に自信があるほんの一握りだけで、決して多くはなかっただろう。)


では、身請けもされず、死ぬこともならず、時間だけが経って、「商品」としての価値が落ちた者はどうなるか?

選択肢としてあるのは、「商品」としての「値段」を下げることだけである。

彼女たちは、梅毒で鼻が取れるなど、不自由な身体になりながらも、なおも、厚塗りしたお白粉で皺を隠し、筵を一枚抱え、川縁や辻々に立ったが、そのような状態では、もはや、値段はあってないようなもの。

俳人・小林一茶は、「木がらしや二十四文の遊女小屋」と詠んで、夜なきそば一杯の値段より少し高いだけの額で自らを売る女たちを憐れんでいる。


江戸時代の吉原のべらぼうな実態_e0027240_01305088.jpg
では、一般の女性は普通の生活が営めたかと言うと、これも、そう単純な話でもない。

生活苦というものが背景にある以上、背に腹は代えられぬで、結果、家に居ながらにして口コミで客を取るようになるのである。

最初は抵抗があっても、やってみれば、手早くまとまった金が入る。

中には、夫や父母も了解済みのこともあっただろう。

食えなくて困るのは、家族も一緒だからである。

江戸は現代日本人が考えるほど優しい世界ではなかった。

                         平太独白


# by heitaroh | 2025-02-02 01:31 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

令和七年謹賀新年は義仲の膝に紅葉
新年、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
令和七年謹賀新年は義仲の膝に紅葉_e0027240_17382539.jpg
(↑今年の年賀状です。)

さておき、昨秋、木曽義仲の墓がある近江義仲寺に行ってきました。
令和七年謹賀新年は義仲の膝に紅葉_e0027240_17352990.jpg
隣には、義仲を慕い、隣に埋葬されることを望んだ松尾芭蕉の墓があります。
令和七年謹賀新年は義仲の膝に紅葉_e0027240_17445634.jpg
(↑なかなか、両方入れるのは至難の業でした。)

令和七年謹賀新年は義仲の膝に紅葉_e0027240_17472004.jpg
ちょうど、紅葉の季節でした。


で、わかる人はわかる芭蕉の亡骸を埋葬した弟子の又玄が詠んだと伝わる木曽殿と 背中合わせの 寒さかな」の句にかけて一句。

「木曽殿の 膝に零(こぼ)るる 紅葉かな」平太郎
令和七年謹賀新年は義仲の膝に紅葉_e0027240_17411903.jpg
今年もよろしくお願いします。
              平太独白

# by heitaroh | 2025-01-06 17:38 | 歴史 | Trackback | Comments(4)

若い脳の予知能力と55年後に見る違う意味でのデジャブ
いよいよ、12月。
今回は少し趣向を変えて、超能力について話してみたいと思います。
超能力なんてバカバカしいとおっしゃるかもしれませんが、私は実際に体験したことがあります。
と言っても、もちろん、念力で物を持ち上げたり、どこでもドアみたいに瞬間移動したり・・・ということではなく、私が経験したのは「予知能力」
若い脳の予知能力と55年後に見る違う意味でのデジャブ_e0027240_19465085.jpg
(↑どこでもドア~)

こういうと、「未来のことがわかるんだったら今頃、おまえは大金持ちだろう」と言われるかもしれませんが、私が経験した予知能力は、東日本大震災を予見した・・・とか、バブル崩壊を予知した・・・とかいう大それたものではなく、僅か1分後、時間にして10秒というところでした。

よく、ネズミは沈む船からはいなくなると言いますよね。
それは、餌になる食糧が散らかっていたり、床下で水が染みているなど、「管理がだらしない船は沈む可能性が高い」と判断して退船している・・・という話がありましたが、なるほど、それはそういうことがあるのかもしれません。
彼らは自らの体験でそれを知っていると。
若い脳の予知能力と55年後に見る違う意味でのデジャブ_e0027240_19541721.jpg
しかし、大地震や津波のときなど、ネズミの一群は早くからそれを察知して、安全な所に退避しているという話もありますよね。
おそらく、彼らには人間が失ってしまった何か・・・、現代の科学ではまだ解き明かされていない何かがあるように思います。
ただ、その能力は彼らにしても、簡単に発揮できるものではなく、脳にかなりの負担をかけているものなのでしょう、何かの拍子に、一匹が海に向かって走り出すと、後に続けとばかりに全員が走り出して、溺死するというようなこともあると聞きました。

で、私のそれですが、小学校3年の時、(なぜ、小3とわかるかというと、その一年しかいなかった友達が一緒だったからです。)友達と遊んでいて、「あれ?前もこういうことあったぞ」と。
いわゆる、デジャブってやつです。
若い脳の予知能力と55年後に見る違う意味でのデジャブ_e0027240_19394388.jpg
(初めて見るはずなのになぜか、知ってる気がする景色・・・というのは、誰しも経験あるのでは。)

過去にも何度かそういうことはあったのですが、そのときは、「よし、思いっきり脳を振り絞って思い出してやろう」と。
で、うーん。うーん。と気張って、思い出しました。
「あ、この後は友達が走り出して、それを追って、俺も走り、角を曲がった先のビルの前で追いつくんだ」と。
ただ、これを思い出したときの脳の疲労感たるやすさまじいもので、思い出した瞬間、忘れたんですね。
一つには、この時点では、自分ではそれが「予知」だという認識がなかったということがあります。
やがて、1分後、友達が走り出し、次に別の友達がそれを追いかけ、私もその後に続きました。
ここで、気が付きました。
「あ!予知だ」と。
若い脳の予知能力と55年後に見る違う意味でのデジャブ_e0027240_20182464.jpg
(↑私が予知したルート。距離にして50mと言ったところでしょうか。)

で、この話をすると、大体、10人中10人、皆が皆、「たまたまだろう」というようなことを言いますが、先頭を走る友達の背中、曲がる角度、前を走る友達との距離、腕の振り、遅れて曲がるまでの時間・・・、はっきりと映像として覚えてるんです。
同じことは、この後、もう一度、出来ましたが、もう、詳細は覚えていません。
中学生くらいまでは覚えていましたが・・・。
その後も、何度か「あれ?」というときがあり、頑張って思い出そうとしましたが、もう、無理でした。
結局、これって、脳が若かったからできたことなんですよね。
ペン持って、手帳に書くまでに忘れる今では、もう、絶対に無理です(笑)。
(本当に、先月くらいから、ボケがもう一段進んだようで、コーヒーを注いで持ってきたら、机の上にもうある・・・なんてときには、思わず、違う意味でデジャブを感じます。)
若い脳の予知能力と55年後に見る違う意味でのデジャブ_e0027240_19485602.jpg
ということで、少し早いですが、今年一年、お世話になりました。
これを持って、年末御挨拶とさせていたいだきます。
どなた様もよいお年をお迎えください。
               平太独白

# by heitaroh | 2024-12-09 20:21 | その他 | Trackback | Comments(2)

「光る君へ」でのまさかの刀伊入寇のフィクサーは誰?
昨日の大河ドラマ「光る君へ」見てたら、来週はまさかの刀伊入寇なんですね。
刀伊入寇は「といにゅうこう」と読み、刀伊は東夷、入寇の「寇」は元寇の「寇」ですから、早い話が異民族の襲来。
つまり、「刀伊入寇」、寛仁3年(1019年)3月末から4月にかけて、満州族の一派とみられる海賊が壱岐・対馬を襲い、さらに博多から肥前松浦にまで侵攻した事件です
「光る君へ」でのまさかの刀伊入寇のフィクサーは誰?_e0027240_15511072.jpg
(↑福岡タワー越しに望む博多湾。)

というと、ほぼほぼ、蒙古襲来の元寇と同じコースですが、一般に元寇は教科書にも載っているので、良く知られているのに対し、こちらはそれほど知られていないと思います。
(つまり、元寇の前にも異民族襲来はあったということ。刀伊入寇の前には新羅海賊船の来寇などもあり、さらに、同じ、藤原道長の時代には南方海域の海賊が九州沿岸各地を襲った事件も起きています

主人公がやたら現場にいるのは、大河ドラマあるあるですが、まさか、その現場に非戦闘員の紫式部がいるとは思いませんでした(笑)。
(往年の大河ドラマ「黄金の日々」でも、主人公は、全然、関係ないのに、ご丁寧にも、比叡山焼き討ち鳥取の渇え殺しの籠城戦にも巻き込まれ、いずれも、なぜか、無事生還。運が悪いというべきか、いいと言うべきか(笑)。)

「光る君へ」でのまさかの刀伊入寇のフィクサーは誰?_e0027240_16014620.jpg
(↑「黄金の日々」に敬意を表し、その舞台、堺。)

この事件の舞台となったのが、地元博多ですので、もちろん、私は知っていましたが、ただ、このとき、これを撃退するのに奮戦した藤原隆家については、「藤原藤原、いささか、多うござんす」で、恥ずかしながら、藤原氏の中のどういう位置づけの人かは知りませんでした。
というのも、仕方がない話で、藤原氏と言えば、始祖藤原鎌足に始まることは知られていますが、藤原仲麻呂、藤原広嗣、藤原薬子辺りまではともかく、藤原純友、藤原秀郷から藤原清衡にまでなると、あんたら本当に藤原氏なの?って気もしてきます。
で、隆家もそういう傍流の傍流の傍流の藤原もどきかと思っていたら、今回、「光る君へ」見てて、隆家が出てきたのを見て、「へー、道長の甥で、しかも、道長の難敵・藤原伊周の弟じゃない!」と認識を新たにしました。

で、まあ、隆家については、ドラマに描かれていたので、今さら言うこともないのですが、刀伊についてもう少しだけ触れておくと、刀伊は賊船約50隻に約3,000人が分乗して、対馬、壱岐を襲撃、多くの島民を殺し、生き残った島民を拉致、人家を焼き牛馬家畜を食い荒らしています。

壱岐では、賊徒来襲の急報を聞いた、国司の壱岐守藤原理忠は、ただちに147人の兵を率いて賊徒の征伐に向かうが、衆寡敵せず玉砕。

この辺も、元寇と同じですが、ただ、元寇の時は元の兵士らは船酔いに苦しんでいたそうで、事実、戦国時代に瀬戸内海を東上してきた毛利の兵は上陸したものの、船酔いで使い物にならず、そこを如水黒田官兵衛の奇襲を受け、敗退しています。

ましてや、内海の瀬戸内海と違い、波の荒い玄界灘で、ようやく、上陸したら、守備隊はわずかな兵で全滅するまで戦いを挑んでくる。

元軍の将兵は、硫黄島攻略後のアメリカ軍同様、この先、本土に進んだらどれだけの抵抗が待っているんだ・・・と思い、暗澹たる気分になったはず。

そう考えれば、内陸育ちの満州族はよく、さらに先の九州本土に向かおうと思いましたよね。


「光る君へ」でのまさかの刀伊入寇のフィクサーは誰?_e0027240_18042065.jpg

ただ、刀伊の目的は、元とは違い、侵略ではなく、どうやら、奴隷の確保、つまり、拉致にあったようで、日本で撃退された後、まだ、目標人員に足りていなかったのか、帰途、高麗沿岸を襲撃。

が、高麗水軍にはかなわず、撃退され、このとき、拉致された日本人約300人が保護され、日本に送還されています


「高麗さんありがとう」と言うところですが、当時の朝廷は警戒心も露わにこれに相対します。

それも無理がない話で、日本側からすれば、そもそも、刀伊が何者かわからない上に、日本側に捕らわれた捕虜3名がすべて高麗人だったそうで、高麗が無関係とわかった後も、色黒(ここ、笑うところです)の藤原実資などは「どういう野心があるかわからない」として、冷淡な態度で処すことを主張しています。

さらに、朝廷は隆家に対しても、冷淡な態度をとろうとしますが、隆家はただの乱暴者ではなかったようで、刀伊の追撃を対馬までで控えさせた上で、このようなこともあろうかと、ちゃんと色黒(しつこい(笑)。)の実資に通じており、記憶力抜群の実資が朝議の席で寛平6年(894年)の新羅入寇の際の例を上げ、「今後のことを考え、恩賞を与えるべき」と主張し、結局、恩賞を与えることで決着したとか。

(このとき、道長はもう晩年で、太閤となって相談役会長のような地位にあったようですから、事実上、廟議の中心となっていたのは、実資ではなかったかと。)


最後に、そもそも、陸の民のはずの満州族は、どこで、多くの奴隷を積んで外海を渡れるような大型船を50隻も作ったのか・・・という気はします。

当時の満州族の中には高麗へ朝貢している者もいたと言いますから、元々、高麗人との関りは深く、たとえ、高麗王朝そのものは無関係でも、裏で仕組んだ高麗人がいたんではないかと。

「光る君へ」でのまさかの刀伊入寇のフィクサーは誰?_e0027240_17572020.jpg

そもそも、満洲族は、遠く、玄界灘の波濤を超えて、日本まで来るよりも、近くて往来が楽な高麗沿岸で海賊行為を働いたほうが良いはず。

それをわざわざ、日本まで来る。

それ以前から、高麗沿岸で刀伊は跋扈していたようですから、これに困った高麗人の中には、「うちよりもっと良い所がある」で日本へ向かわせたのではないかと。

しかし、思ったより航海は大変で犠牲も多かった割には、収穫が少なかったことで騙されたと思って、文字通り、帰りの駄賃で高麗を襲った・・・と考えれば、すべてのつじつまが合うのではないでしょうか。

                平太独白


# by heitaroh | 2024-11-25 18:06 | 歴史 | Trackback | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。

by 池田平太郎
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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