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今となっては日本人の多くがスマートフォンを持っている。そして、シェアの多くをiPhoneが占めることになった。かつてはITに精通していたり、ビジネス寄りのユーザがアーリーアダプターとなって購入するケースが多かったが、もはやとうにキャズムを超え、広く流通しているのは周知の事実だ。
マジョリティとなったiPhoneも、かつては「絶対に流行らない」と言われていた。「将来、女子高生が好んでiPhone持つようになるよ」と語ってもどれだけの人がイメージできたのだろうか。
考えるきっかけは6年前のこの記事。iPhone3Gが発売されて少し経った段階だ。
iPhoneが売れていない、という印象を植え付けようとするどこかの誰かさん、にもの申す著者の小川浩さんはこう書いている。
日本のケータイは確かに良く出来ている。しかし、ことインターネットを使う、ということについては偽物だ。ケータイのWebは湖のようなものであり、iPhone(と、それに続く挑戦者達)のWebは大海そのものなのである。 僕たちは湖で泳がされていたが、iPhoneによって本物の海にいつでもアクセスできることを知ったら、もう戻れない。もちろん海より湖が好きな人もいるだろう。しかし、海の良さを知ることを邪魔するのは止めるべきだ。
実はこれ、記事本文よりもコメント欄のほうがが示唆に富んでいて面白い。
iPhone反対派の意見
iPhoneでなければ受けられないサービスなんてごくごく少数だし、ブラックベリーに至っては… 反対に、特定のキャリアの携帯じゃないと受けられないサービスは山ほどあります。 「ガラパゴス」なりに「進化」しちゃったんですよ。
実際に売れているか売れていないかはわからないが、間違いなくiPhoneは日本市場において、重大な欠陥製品であると言わざるを得ない。 正直ものすごくかっこいいし、魅力的だが、おサイフケータイが使えないという一点において選択肢から外れてしまう。
「慣れたもの」があるところに「慣れないもの」が割り込むわけですから、「慣れたもの」をさらに良くする方向にすべきですし、「慣れないもの」をすんなり受け入れられるようにするのが筋でしょう。
iPhoneを電話だと思うと不便すぎ,物理的に大きすぎて、小さいPCだと思うと今度は制限の多さに絶望させられます。なんでこんな中途半端な代物をありがたがるのか、全く理解できません。
いわゆるガラケー文化は根強かったようで、おサイフケータイがないと嫌とか、赤外線通信できない、メールが貧弱…などの理由があったように思う。このコメント欄にはないけれど、ストラップが付けられないと到底若い女子には受け入れられないだろう、とも言われていた。
事実、iPhoneが発売されたばかりの頃は海外に比べて売り上げが芳しくなかったようで、各所から驚きと安堵の声が上がっていた。
iPhone不振は「想定内」とKDDI小野寺社長 「スマートフォンよりケータイの方が使いやすい」一方で、iPhoneを肯定する意見があったことも紹介したい。
iPhone肯定派の意見
日本のケータイで出来ることは、単にPCで出来ることを格キャリアがアレンジした子供だまし/フェイクでしかありません。 SMSしかり、メールしかり、住所録のシンクロ etc.. 全てをPC環境(世界的に標準の環境)で統一してくれればどれだけ便利で効率が良いか。
なにをどういったところでもう3~4年もすればiPhoneが席巻してますって。iPodと同じ道を歩んでるんですよ。 要は、単に今の日本の携帯に「慣れた」だけ。 そしてiPhoneに対しては「自分が慣れてない」ってだけであれこれ理屈をこねくり回してるだけ。みっともない行為です。まあ、それも3~4年もすればそんなことも「都合良く忘れて」iPhoneとか似たようなデバイス使ってるんでしょうけど。笑
ワープロ専用機がパソコンに駆逐され、PC-9801がDOS/Vに駆逐され、MDとかウォークマンとかもがiPodの前に瀕死の状態です。 一度は繁栄した日本独自規格が国際標準規格の前にあっけなく消え去っていた事例がこれほどありながら、日本の携帯業界に危機感とかはないのでしょうかね。 私はこれでも愛国者のつもりなので、今の事態を深く憂れいています。頭からiPhoneを否定してるばかりでは日本の未来は暗いです。 ほんと、このままじゃヤバイですよ。どちらが未来を言い当てているかは言わずもがなだ。 iPhoneは見事にガラケー文化をぶち壊してしまった。
未来予測の難しさと、想像力の限界と
iPhoneは流行った。マジョリティ層まで、見事に行き渡った。
ここから学ぶことは何なのだろうか。
iPhone肯定派の意見に「お前らはガラケーに慣れているだけ」というのがある。ひとつはこれ。
人間は完全な客観性を獲得することなんてできないし、所詮は感覚的な生き物だから、なんとなく嫌だな…と思ったことをベースにそこからロジックを組み立てる。
優れている・劣っているという評価を、「慣れ」から引き離して客観的に観察しないと見間違うことになる、という教訓が得られそうだ。
次に、赤外線通信やストラップについて。「これがないと流行らねえよ」と言われていたにもかかわらず流行ったのはなぜなのか。
ユーザは赤外線通信自体に目的意識があったわけではなく、友人と連絡先を交換したかっただけだ。携帯メール文化が盛んだったことや、友人もみな赤外線通信できる、といった背景を考えると、周囲の環境要因も絡んでいると思われる。今となっては赤外線通信なんてする必要がない。LINEの台頭の影響もあるかもしれない。
ストラップは、「かわいくしたい」「自分らしさを体現したい」という目的はそのままに、iPhoneケースにとってかわられた。
今でも何かの製品に対して「●●がないからダメ」といった意見はあるけれど、その機能が提供している「価値」を見極め、代替できてしまえば「決してダメではない」ことになる。
最後に環境の変化だ。ユーザを取り巻く環境自体の変化も見逃せない。
こういった歴史を眺めてみると、当時の社会がいかにプロダクトを批評し受け入れるかが分かってくる。
未来を見通すことは難しいけれど、数年後どうなっているか見通す「想像力」を得るためにはなにかコツがあるのではないか、とも思えてくる。
5年後、いったいどんなプロダクトが市場を席巻しているだろうか。
コメント
コメント一覧 (15)
3代目でマシになっただけ。初代を見ただけでiPhoneが売れないというのは当然。iPhoneが売れた要素には様々な物があるけれど、Appleのビジョンや製品のクオリティの高さだけではなく運の要素も大きいと思う。
だが、逆に言えばiPhoneは売れていないとも言える。Androidに大差をつけられ話されていく一方だ。日本でだけiPhoneが売れているという特殊事情にすぎない。
それから導かれる結論は、日本で売れるものは世界で売れるとは限らない、ってことかなw
どちらも使いこなしている人の意見ですね。
iphoneが日本で売れ始めた時の理由は、持ってるだけでしゃれおつだからです。
ファッションアイテムとして自分の価値を高める物としてiphoneを契約したのです。
持ってることが重要で他人がどんな使い方してるかなんてみんな興味なし。
ケースで他人よりファッション性を高めることに必死。
実際は高い金払ってるんだけどね(笑
急に増えてたなー
つまらない絵だけのゲーム勧めてコンパでモテるアプリとか言われても
電子マネーが使えないなど足りない機能はあったかもしれませんが、基本的な携帯の機能を非常に高いレベルで提供してくれたのは当時はiPhoneだけでした。
スマートフォンという新しい端末を使いやすい形で提供してくれた、商品としての完成度の高さが、iPhoneが普及した理由だと思います。ファッション性なんて後付の理由だと思いますよ。ユーザーはそこまで馬鹿ではありません。
理由は単純で画面解像度はVGA以下、シングルタスク、アプリ整理できない、壁紙すら選べない、といった感じで画面や操作性はWindows Mobile以下で脱獄しないとろくに機能しないポンコツスマホだった。
けどそれから2年後に画面がRetinaになってこれまで言われてた問題が解決されたiPhone4とiPhoneOSからiOSになったと発表して予約開始した瞬間、これまでバカにしてた人たちが手のひら返しでソフトバンクへ予約が殺到しソフトバンクのシステムが半日ダウンし、豪雨のなかソフトバンク前に予約の大行列が出来、発売後は入手困難からヤフオクでは販売価格の倍くらいで転売されるほどの大人気に。
iPhone4はアンテナ問題を筆頭に多くの問題を抱えてたけど、iPhone4から爆発的にiPhoneが世の中に普及するようになった。
……といきなり書くと頭のおかしい人が来たと思われるでしょうが、まあ、70年代末に翻訳が出た米SF小説で、すべての人がスマートフォンを持ち、それがなければなにもできないようになった社会が描かれていて、それに強い印象を受けていたわけなのです。
アメリカでは1974年に出た本で、まあつまり、あちらではその時にはすでに針路は定まっていたのだろうと思うわけです。
流行り出したのは携帯に張り合えるスペックを獲得してからなのだから。
問題はiPhoneの進化を見せ付けられながらろくな対応が取れなかったメーカーの方かと。
実際ソフトバンクは宣伝やイメージ戦略、衝撃的な料金体系など賛否両論あれどスマホの普及率拡大には多大な成果を挙げたのは確かな訳で。
ただ逆の意味で、何故スマホが日本での普及率が低いのかは考えておかなくてはいけない。
私は先人たちが作り上げた携帯電話の完成度がいかに高かったかの指標であるとは思う。
ただその完成度の故か、柔軟さと多様性を獲得できなかったのは残念な話ではありますけど。
結局、良いものを見極められず、マジョリティの波によってぶっ壊される文化が有るように思い最近セツナイところ。
PHSの物理ボタンとメール/電話し放題な部分、4~5日もつ電池は非常に魅力的でしたが今や虫の息。(京ぽん3はいずこ…)
オセロみたいにひっくり返るのが好きな国民性ってのは代えがたいところだし、そういう気質があるからうまく世の中回ってるんだろうと心に言い聞かせ凌いでます。
当時Apple信者扱いされていた僕がiPhoneをもたず、MS万歳を決め込んでいた人たちが、iPhoneを自慢するっていうのも時代だなと。
タップティックエンジンがきちんと作動すれば物理ボタンの良さも潰えることになりそうですが、そうしたらPHSから離れようかな。
(完全白旗ですね弱小MVNOのSIMでも刺します)
未来をけん引するデヴァイスはまだまだ不明ですが、今度のWWDC当たりでなにか目にできるのか楽しみにしているところ。
たぶん、次はテレビをひっくり返すんでしょ?
os別の割合で見たらそう感じるかもしれんが、メーカー別で見たらサムスンとアップルの2強は変わらず サムスンもよく売れてない売れてないって言ってる人いるけど世界では売れてるんだよなー
「優れているor優れていない」的な曖昧な基準では、別の機会で"ガラケー派に陥る"ことになるだろうね
私は約6,000円で購入したAQUOSを使用しています。
タブレットはiPad miniを使用しているのでAppleとAndroidの二刀流です。
ポイ活には二刀流は有難い。
実はiPhone利用者でAndroidタブレット使用している人も少なからずいますね。