除染だけが復興ではない(東京新聞寄稿の続き)
2011年 12月 01日
11月30日付東京新聞朝刊(首都圏版「談論誘発」)に「除染と帰還だけが復興か」として寄稿させていただいた。1200字の制限なので伝えきれなかったこと、執筆時点(11月21日)以降の情報も踏まえて、少し書いておきたい。
飯舘村に限らず、策定が進む汚染地の復興計画は「除染して帰還」が前提になっている。しかし、それは「計画」というより「希望」と言った方がいい。これまでこれほど広範囲に汚染された地域を除染した経験はどこにもない。チェルノブイリ周辺でも、除染はいたちごっことなり結局はあきらめた。これまで実施した除染モデル事業は全て小面積の限定的なもので、高濃度広範囲に汚染された地域に、しかも山林が7~8割という地域全体に応用できる技術かどうか、誰にもわかっていない。費用も期間も含めて、放射能の除染はすべてが未知の世界である。
国の除染基本方針では、2年後の目標値は年間被曝線量50%削減である。ところがそのうち8割は半減期分をみているのだ。結局国も除染について自信があるわけではないらしい。にもかかわらず2割分のために莫大な費用をかけるということになる。しかし、高汚染地区では、2年で半分になったとしてもとても戻れるものではない。
たとえば先行する飯舘村の復興計画では、除染期間は住環境2年、農地5年、山林20年を目標としている。村民の中にはこれを疑問視する声も強い。地域は4分の3が森林であるから、20年は放射能に囲まれて暮らすことになる。農地にも放射性セシウムが流れたり飛んだりしてくるだろう。実際、福島市や伊達市の米で高濃度のセシウムが検出されたのは、周辺の山林から流れ込んだ可能性が高い。すでにセシウムは環境中に入り込み、どのような動きをするか皆目見当もつかないのだ。もとより除染は、元のように暮らし仕事をするために行うはずだが、ひっそりと家の中で放射線を浴びないように暮らし、とれたものも食べられないような生活で、果たして「復興」と呼べるのだろうか。多くの避難住民は、そうした現実を理解しているように思われる。今の国の除染方針は「机上の空論」と批判する住民もいる。
11月26日夜に開催されたの飯舘村「除染説明会」のユーストリーム中継を見たが、あの説明で納得し安心した方は、会場にも中継を見た方にも一人もいなかったのではないかと思われる。そのくらい、村民の質問、疑問に国から出向の役人はまともに答えていなかった。はぐらかしているのではない。本当にわからないから答えられないのだ。
これまで、国は「除染して帰還は住民の要望」だから、国の責任においてその方針を打ち出したという流れになっているような気がする。だが11月26日説明会での飯舘村長の説明を聞くと、国が除染という方針を打ち出したからわれわれとしてはしっかりやってもらいたい、と話がすれ違っている。
どこかで、高濃度汚染地域において長期間帰れないことを口にすることが政治家や官僚にとってタブーになったのではないかという気がする。あるテレビ番組のインタビューで、警戒区域から避難している住民の方が「誰も悪者になりたくないから帰れないと言わない」と批判していたが、実際にその程度のことなのかもしれないのだが……。
われわれの調査(日本大学生物資源科学部糸長研究室―NPOエコロジーアーキスケープ共同実施ヒアリング)では、「帰りたい」という高齢者でも「子どもや孫は帰らせられない、帰ってこないのは仕方ない」と述べている。若い層、とくに子育て世代では帰還の意思は少ない。除染にも期待する声もほとんど聞かれない。もちろん誰もが「帰りたい」と願っているが、「帰りたいけれど帰れない」のが実態である。
村民には「若い人がいなくなって村と言えるのか」、「高齢者しか住まないのでは20年、30年たてば村はなくなってしまう」という声もある。村民はきちんと現実を冷静に見て判断している。26日の説明会中継を見て、ますますその思いを強くした。多くの村民の率直な思いを直接ぶつけられても、まだ「除染して帰還は住民の要望」だと、国は言い続けられるのか。
放射性物質はなくならない。ただ放射能は半減期に従って減る。2年では半分にしかならないが、セシウム137の半減期である30年を経過すれば、ほぼ同量放出されたセシウム134の放射能は消滅しているので、そのまま置いておいても放射能で4分の1になり線量率では6分の1程度になる。雨での流出、地中への沈降を考えれば、8分の1〜10分の1になると期待できる。もちろんこれもあくまで期待であるが、何もしなくても時間がたてば放射能は減るのである。
莫大な除染費用は、国民全体の負担になる。そのコストをかけた結果汚染は除去できず、ずるずると時間がたって、地域社会も消滅する可能性は決して小さくない。そこで得をするのは一体誰か。原子力関連団体が除染事業の差配を請け負い、その下にゼネコンが均等に連なる構造を見れば、ああこれは旧来の構造そのままだとわかる。公共事業が減ったゼネコンには千載一遇のチャンスでもあるし、幾多の業者がここを先途と福島に群がっている。
このまま黙っていると「壮大な愚行」を認めることにはなるまいか。今からでも遅くない、住民の声をしっかりと聞き、取り入れた復興計画を作る方向へシフトすべきだろう。とくに飯舘村民は事故直後に避難対象にもならず、計画的避難で3か月半も高線量の地域にとどまった。また避難が遅れた分、仮設住宅や借り上げ住宅は各地に分散し、コミュニティがバラバラになっている。その間に受けた被曝を考えれば、できるだけ線量の少ない地域に避難し、そこでコミュニティや文化を維持しつつ、生活と仕事の再建を目指すことが望まれる。その間に東電と国の責任で除染を進めるにしても、線量の低いところから行い、普通の生活に戻れるようになった場所から段階的に帰還する、中長期的な復興プランがあっていいはずだ。
ただ先の説明会での村長の思いには変化も感じた。これまで除染・帰還一辺倒だったのが、26日の説明会では「帰って来られない若い人たちのことも考えなければ」という言葉が聞かれた。
談論誘発では、中長期かけて帰還する現実的な避難・復興計画の必要性と、まとまった土地の手当てやそこでの生活・仕事再建のための支援を訴えた。ただ、土地や復興住宅には公的補償──見通しのない除染にかける費用を最小限にして──をあてるとしても、仕事の再建には必ずしも補助金は必要ない。避難している人たちの持っているさまざまな技術やノウハウを生かして、新しいコミュニティビジネスを作っていければいいと考えている。全国の皆さんに応援していただきたいのは、商品の購入、販売先や顧客の紹介、出資などの面である。食品であっても、しっかりとした検査態勢をつくり、トレーサビリティを構築することで、安心して食べてもらえるのではないか。
そんなしくみをつくっていきたい。それはたぶん他の被災地や疲弊する中山間地再生への復興ともつながるのではないだろうか。
飯舘村に限らず、策定が進む汚染地の復興計画は「除染して帰還」が前提になっている。しかし、それは「計画」というより「希望」と言った方がいい。これまでこれほど広範囲に汚染された地域を除染した経験はどこにもない。チェルノブイリ周辺でも、除染はいたちごっことなり結局はあきらめた。これまで実施した除染モデル事業は全て小面積の限定的なもので、高濃度広範囲に汚染された地域に、しかも山林が7~8割という地域全体に応用できる技術かどうか、誰にもわかっていない。費用も期間も含めて、放射能の除染はすべてが未知の世界である。
国の除染基本方針では、2年後の目標値は年間被曝線量50%削減である。ところがそのうち8割は半減期分をみているのだ。結局国も除染について自信があるわけではないらしい。にもかかわらず2割分のために莫大な費用をかけるということになる。しかし、高汚染地区では、2年で半分になったとしてもとても戻れるものではない。
たとえば先行する飯舘村の復興計画では、除染期間は住環境2年、農地5年、山林20年を目標としている。村民の中にはこれを疑問視する声も強い。地域は4分の3が森林であるから、20年は放射能に囲まれて暮らすことになる。農地にも放射性セシウムが流れたり飛んだりしてくるだろう。実際、福島市や伊達市の米で高濃度のセシウムが検出されたのは、周辺の山林から流れ込んだ可能性が高い。すでにセシウムは環境中に入り込み、どのような動きをするか皆目見当もつかないのだ。もとより除染は、元のように暮らし仕事をするために行うはずだが、ひっそりと家の中で放射線を浴びないように暮らし、とれたものも食べられないような生活で、果たして「復興」と呼べるのだろうか。多くの避難住民は、そうした現実を理解しているように思われる。今の国の除染方針は「机上の空論」と批判する住民もいる。
11月26日夜に開催されたの飯舘村「除染説明会」のユーストリーム中継を見たが、あの説明で納得し安心した方は、会場にも中継を見た方にも一人もいなかったのではないかと思われる。そのくらい、村民の質問、疑問に国から出向の役人はまともに答えていなかった。はぐらかしているのではない。本当にわからないから答えられないのだ。
これまで、国は「除染して帰還は住民の要望」だから、国の責任においてその方針を打ち出したという流れになっているような気がする。だが11月26日説明会での飯舘村長の説明を聞くと、国が除染という方針を打ち出したからわれわれとしてはしっかりやってもらいたい、と話がすれ違っている。
どこかで、高濃度汚染地域において長期間帰れないことを口にすることが政治家や官僚にとってタブーになったのではないかという気がする。あるテレビ番組のインタビューで、警戒区域から避難している住民の方が「誰も悪者になりたくないから帰れないと言わない」と批判していたが、実際にその程度のことなのかもしれないのだが……。
われわれの調査(日本大学生物資源科学部糸長研究室―NPOエコロジーアーキスケープ共同実施ヒアリング)では、「帰りたい」という高齢者でも「子どもや孫は帰らせられない、帰ってこないのは仕方ない」と述べている。若い層、とくに子育て世代では帰還の意思は少ない。除染にも期待する声もほとんど聞かれない。もちろん誰もが「帰りたい」と願っているが、「帰りたいけれど帰れない」のが実態である。
村民には「若い人がいなくなって村と言えるのか」、「高齢者しか住まないのでは20年、30年たてば村はなくなってしまう」という声もある。村民はきちんと現実を冷静に見て判断している。26日の説明会中継を見て、ますますその思いを強くした。多くの村民の率直な思いを直接ぶつけられても、まだ「除染して帰還は住民の要望」だと、国は言い続けられるのか。
放射性物質はなくならない。ただ放射能は半減期に従って減る。2年では半分にしかならないが、セシウム137の半減期である30年を経過すれば、ほぼ同量放出されたセシウム134の放射能は消滅しているので、そのまま置いておいても放射能で4分の1になり線量率では6分の1程度になる。雨での流出、地中への沈降を考えれば、8分の1〜10分の1になると期待できる。もちろんこれもあくまで期待であるが、何もしなくても時間がたてば放射能は減るのである。
莫大な除染費用は、国民全体の負担になる。そのコストをかけた結果汚染は除去できず、ずるずると時間がたって、地域社会も消滅する可能性は決して小さくない。そこで得をするのは一体誰か。原子力関連団体が除染事業の差配を請け負い、その下にゼネコンが均等に連なる構造を見れば、ああこれは旧来の構造そのままだとわかる。公共事業が減ったゼネコンには千載一遇のチャンスでもあるし、幾多の業者がここを先途と福島に群がっている。
このまま黙っていると「壮大な愚行」を認めることにはなるまいか。今からでも遅くない、住民の声をしっかりと聞き、取り入れた復興計画を作る方向へシフトすべきだろう。とくに飯舘村民は事故直後に避難対象にもならず、計画的避難で3か月半も高線量の地域にとどまった。また避難が遅れた分、仮設住宅や借り上げ住宅は各地に分散し、コミュニティがバラバラになっている。その間に受けた被曝を考えれば、できるだけ線量の少ない地域に避難し、そこでコミュニティや文化を維持しつつ、生活と仕事の再建を目指すことが望まれる。その間に東電と国の責任で除染を進めるにしても、線量の低いところから行い、普通の生活に戻れるようになった場所から段階的に帰還する、中長期的な復興プランがあっていいはずだ。
ただ先の説明会での村長の思いには変化も感じた。これまで除染・帰還一辺倒だったのが、26日の説明会では「帰って来られない若い人たちのことも考えなければ」という言葉が聞かれた。
談論誘発では、中長期かけて帰還する現実的な避難・復興計画の必要性と、まとまった土地の手当てやそこでの生活・仕事再建のための支援を訴えた。ただ、土地や復興住宅には公的補償──見通しのない除染にかける費用を最小限にして──をあてるとしても、仕事の再建には必ずしも補助金は必要ない。避難している人たちの持っているさまざまな技術やノウハウを生かして、新しいコミュニティビジネスを作っていければいいと考えている。全国の皆さんに応援していただきたいのは、商品の購入、販売先や顧客の紹介、出資などの面である。食品であっても、しっかりとした検査態勢をつくり、トレーサビリティを構築することで、安心して食べてもらえるのではないか。
そんなしくみをつくっていきたい。それはたぶん他の被災地や疲弊する中山間地再生への復興ともつながるのではないだろうか。
by greenerworld | 2011-12-01 20:00 | 3.11後の世界