すべてが、あっという間に進んだ。初めて実際に会ってデートをしたときに演劇を見にいき、彼女は彼の耳もとにささやいた。「あなたに恋をしたみたい」。すぐに二人は結婚した。しかし、間を置かずして彼は前線に戻った。
彼女の名はDamina Serbyn(以下、氏名は原文表記)。彼はRoman Myronenko。いずれも現在38歳の二人は、オンラインで少し交際してから、ウクライナの首都キーウの劇場で2023年に出会った。
幸せいっぱいの家庭を築いて過ごすのが夢だが、彼は前線でロシア軍と戦わねばならず、すぐには実現しそうにない。だから、国営ガス会社の事務員である彼女はひとりで暮らし、2週間ごとに何時間もかけて、北東部にあるこの国第二の都市ハルキウ近郊に駐留するドローン大隊の副司令官をしている夫に会いに行く。
最近のある寒い日の夕方。彼女の姿は、ハルキウ駅に着く列車の中にあった。同じように、前線にいる最愛の人に会いにきた多くの女性たちも乗っていた。それは危険な旅だった。前線に近いハルキウは、常にミサイルやドローンによる攻撃にさらされているからだ。
列車のドアが開くと、Serbynはホームに飛び降りた。そして、夫が広げた腕に飛び込んでキスを交わした。
妻がそばにいないと、真に生きているという実感がわかない――Myronenkoは、こういう。「彼女なしでは、すべてが無意味に思える」
戦争が長引き、ロシア軍が着実にウクライナ領への侵攻を進めている。そのため、ウクライナ兵は、近く動員が解除されて最愛の家族のもとに帰れる見込みがないまま戦っている。
だから、夫とのきずなを保ち、家族の結びつきを強めようと決意した多くの女性が、前線の近くにまでリスクをおかして旅をしている。子どもを連れていくこともよくある。
その一部は、自分が住んでいる都市や町よりも通常は危険なハルキウのような土地にも行く。さらに危ない前線の基地を訪れる人だっている。
「こわかった」とジャーナリストのKateryna Kapustina(32)は話す。休暇を過ごすため、9歳の息子Yaroslavを連れて夫のIhor Kapustin(34)が駐留する前線の村に行った。戦争が始まるまで、Ihorは自動車修理工だった。前線では、ロシア軍と対峙(たいじ)する危険な場所から壊れた車両を牽引(けんいん)する作業がしばしばあるとKaterynaは語る。
「息子とIhorが、私のすべて」とKateryna。前線に定期的に旅するようになる前は、「互いに離れていることに慣れ過ぎてしまっていたように思う」と振り返る。
キーウの声優Yulia Hrabovska(35)は、夫のVolodymyr Hrabovskyが出征したときは妊娠4カ月だった。前線近くで夫と会うときは、だいたいは室内にこもり、わが家にいるかのように過ごすことにしている。ベッドに寝転がったり、一緒に映画を見たり。ときには、夫の好きなバナナパンケーキを焼く。
「とにかく、外に出ずにいるその2日間だけは、戦争中ではないと思い込むようにしている」
二人は、Yuliaが教えていた演劇学校で教師と生徒として知り合い、友人同士になった。ロシアの全面的な侵攻が始まった2022年2月まで、恋愛とはほど遠い関係だった。
侵攻初期に、二人はほかの友人らと一緒にウクライナ東部ポルタバ地方の村セミニフカにあるYuliaの実家に避難した。
しかし、翌3月の半ばになって、ロシアの戦車が、何台も轟音(ごうおん)をたてながら近くの高速道路を進んできた。彼女は実家の庭で彼の手をとり、心の中で念じた。「神さま。どうか私たちみんなを生きながらえさせてください。そうしてくだされば、私は彼にキスをします」
Volodymyrも彼女の手をとりながら、彼女にキスすることを考えていた。その耳には、戦車の音が響いていた。
二人は生き残り、キスを交わした。それからずっと、お互いの伴侶であり続けている。
妊娠してすぐに、夫が前線に送られるという知らせが届いた。
「とてもつらい日々だった」と彼女は語る。「赤ちゃんが父親のいないまま育つなんて、想像するだけで恐ろしかった」。でも、ほかの女性たちも同じようにつらい目にあっていることに気づいた。
「その人たちがなんとかして乗り越えているなら、私もそうせねば。私たちみたいな人はたくさんいるのだから」
前線に近いハルキウは兵士たちであふれ、つかの間の再会の中心地になった。駅には花屋が二つあり、兵士たちが上客になっている。
花屋からあまり離れていないところに理髪店がある。経営者のKarina Semenova(42)によると、客のほとんどは兵士で、「みんな愛と思いやりに飢えている」(その彼女は、前線から散髪にきた兵と恋に落ちた)。
夫やその戦友のために、食事を持ってくる女性もいる。
両軍が対峙(たいじ)するハルキウ北東の町、ボフチャンスクに駐留する夫に会いにいく前日、Yevheniya Dukhopelnykova(47)は丸一日を台所で過ごした。
用意した料理は6品以上もあった。キノコのパテ、蒸し焼きにした豚肉やカモ肉。中でも、ホットチリソースは今や夫の部隊全員の好物になっているという。さらに干し肉を作り、クロワッサンも焼いた。
翌日、ウクライナ中部の村パブリシュを車で出発。下級軍曹である夫のMykhailo Chernyk(44)のもとに向かった。8時間後に到着すると、もう日は暮れていた。夫が村の通りに出て、歩いてくるのが見えた。兵員の宿舎となっている通り沿いの家々には、軍用車両がいくつも止まっていた。
彼女は車を止めると、夫にキスをして抱きしめようと走り出した。「彼に私の体を温めてもらわないと」
二人は、夫が戦友と暮らす宿舎に料理を運び込んだ。夫はクロワッサンが入っている袋を開けると、一口ほおばり、笑みを浮かべた。
Hanna Zaporozhchenko(40)は、軍曹である夫Stanislav Zaporozhchenkoの38歳の誕生日にサプライズプレゼントを届けるために前線まで来た。夫は花束を手に、ホームに入った列車にかけ寄ってきた。
一家には11歳と5歳の子どもがいる。二人とも父親に会いたがっているが、Hannaは子どもたちを連れてくる危険は冒せない、という。
前線でのデートについて、Hannaはこういう。
「彼は今、まったく違う生活を送っている。話しているとよくうたた寝を始める。まるで、リラックスし始めたかのように」
疲れ果てている夫を、なんとか支えたいという思いが今は強い。「愛しているから、ここまで来る。自分は妻であるとともに、彼の精神的な支柱でもある」
こうした女性たちが危険の多い旅に進んで出るのは、そうしなければもう二度と自分の夫に会えないかもしれないと分かっているからでもある。
臨床心理学者のAlina Otzemkoは、1年半で9回も夫のVasyl Otzemkoに会いにいった。いつも幼い息子と一緒だった。
夫は2024年6月に戦死した。でも、これだけ旅を重ねたおかげで、4歳の息子は少なくとも父親のことを覚えている、とAlinaはいう。
「今は、私のしたことはすべて正しかったと確信している。そんなことはやめた方がよい、という人に耳を貸さなくてよかった。それが、息子の記憶に父親を刻むたった一つの方法だったのだから」
夫が戦死する前に、Alinaは子どもたちとその親に向けた本を出していた。「お父さんはなぜ家にいないのか」を説明する助けになれば、と考えたものだ。
そして、次の本を書き上げた。自らの喪失感を受け止めるのにも役立ったというその本の題名は、こうだ。
「お父さんは、なぜ死んだのか」(抄訳、敬称略)
(Maria Varenikova)©2024 The New York Times
ニューヨーク・タイムズ紙が編集する週末版英字新聞の購読はこちらから