【田房永子×清田隆之のジェンダー対談 #3】
共にジェンダーに関する書籍を執筆している、漫画家でエッセイストの田房永子さんと、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之さん。現代社会の生きづらさの原因について考えるなかで、2人はそれぞれ「A面/B面」と「doing/being」という概念に辿り着いたという。
この社会には、会社や学校、社会のシステムなど、人間にある程度コントロールできる「A面」と、命や育児、病や天災など、人間にはどうしようもできない「B面」がある。女性は妊娠・出産によってA面とB面の両方を同時に生きるつらさを味わう。
doing/being(by 清田さん):
人には、感情や欲求、価値観がベースになっている「(human)being」と、能力やスキル、肩書きなど、行為によって獲得したものの総体「(human)doing」の2つの側面がある。現代社会はdoingを過剰に重視しており、特に男性がその呪縛に囚われている。
第1回と第2回では女性の生きづらさにフォーカスしてきたが、第3回となる今回は、A面の世界に生きる男性のつらさに光を当てる。
(構成:清田隆之)
A面に積極的に順応する男性たち
清田:第2回で、女性は妊娠・出産したらA面的な母親像に自らをはめ込み苦しんでしまう、という話をしたけど、男性にも同種の圧力はかかっていると思うんです。ただ、応対の仕方に違いがあるような気がしていて。
例えば、元軍人の男性たちが登場するドキュメンタリーを観たことがあるんだけど、彼らの話し方が立場によってまったく異なっていた。ざっくり言うと、指揮官とか命令する側だった人はA面の言葉で話し、元特攻兵など現場で命の危険にさらされていた人ほどB面の言葉で話しているという感じで。
田房:そうなんだ……それは興味深い違いですね。
清田:命令する側の人は、なぜ劣勢の中で若い兵士に命を懸けさせたのかと問われれば「任務だったから」と答え、戦争の責任は誰にあるかと聞かれても「答える立場にない」と黙ってしまう。それに対して現場の人は、戦場での恐怖心を生々しく語り、軍部への疑問や怒りを露わにしていた。
もちろん、当時は盲目的に日本軍の勝利を信じていたり、疑問を持っていても決して口に出せないような状況だったりしたみたいだけど、建前の下にはbeingの言葉が渦巻いていた。でも、命令する側の人たちにはその気配すらないのが不気味で……なんというか、B面の部分がごっそり消えちゃってる感じなんです。
田房:命を犠牲にする任務を指示する側は加害者で、指示される側は被害者なんですよね。たぶん戦時中はそこに加害者・被害者って概念を持ってはいけなくて、戦後、「戦争なんてしてはいけないことだった」っていう認識が社会にできてやっと被害体験として語れるっていうか。
そうなると加害側は、罪悪感っていう成分で「A面」への忠誠がさらに頑なに強固になって、B面をちょっとでも見せられなくなる、っていうのはあると思う。人間の自然な心理として。
清田:罪悪感でA面への忠誠が強固になる……なるほど。A面の圧力によってB面が削られたとき、そこに苦しむことなく、むしろ積極的に順応してしまう(ように見える)人って一定数いると思うんだけど、どちらかというと男性に多い気がするよね。