【田房永子×清田隆之のジェンダー対談 #2】
共にジェンダーに関する書籍を執筆している、漫画家でエッセイストの田房永子さんと、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之さん。現代社会の生きづらさの原因について考えるなかで、2人はそれぞれ「A面/B面」と「doing/being」という概念に辿り着いたという。
この社会には、会社や学校、社会のシステムなど、人間にある程度コントロールできる「A面」と、命や育児、病や天災など、人間にはどうしようもできない「B面」がある。女性は妊娠・出産によってA面とB面の両方を同時に生きるつらさを味わう。
doing/being(by 清田さん):
人には、感情や欲求、価値観がベースになっている「(human)being」と、能力やスキル、肩書きなど、行為によって獲得したものの総体「(human)doing」の2つの側面がある。現代社会はdoingを過剰に重視しており、特に男性がその呪縛に囚われている。
前回記事「女性は『ママ』になると『社会のB面』の住人にさせられる」では、妊娠・出産を機に女性がA面からB面にスライドさせられてしまうという話をした2人。第2回となる今回は、同調圧力によって「A面の型に自らをハメこんでしまう女性」について語り合った。
(構成:清田隆之)
A面の型に自らハマろうとしてしまう女性たち
田房:このあいだ子どもと一緒にドラえもんの映画を見たんですけど、「なんで女はしずかちゃん1人なんだろう?」って設定で引っかかっちゃうから内容が入ってこなくて。男子5人はガキ大将にお金持ち、猫型ロボットとか個性豊かなのに、女はしずかちゃんだけ。
清田:確かにジェンダーバランスがめちゃくちゃですよね……。
田房:しずかちゃんって非実在の人物なのに、みんなにとってはすごく身近な存在になってると思うんです。大人になってからは、しずかちゃんを見ると「のび太にお風呂覗かれたりひどいことされるんじゃないか?」ってハラハラする。去年、映画館で観た作品でもやっぱりお風呂には入らされてた。あれは一体、誰に対してのなんのサービスなんだろう?
別にドラえもんという作品をディスりたいわけじゃないけど、“男の物語にとって都合のよいしずかちゃん”はもうお腹いっぱい。しずかちゃんが主人公の、「お風呂を覗かれるのは本当に嫌なんだ」っていうB面炸裂の反旗を翻すガールズパワームービーをぜひ作ってほしいです。
清田:しずかちゃんとはちょっと違うかもだけど、少し前に「飲み会を絶対断らない女」として話題になった山田真貴子元内閣広報官や、選択的夫婦別姓の議論中に笑いながら答弁した丸川珠代男女共同参画担当大臣なんかにもそれと通じる何かを感じる。A面の型に自らハマっていく女性たち……というか。田房さんも漫画『ママだって、人間』(河出書房新社)の中で出産・子育ての中でB面を切り捨ててしまった話を描いてましたよね。
田房:「母親はこうあるべし」っていう圧力は、世間からも自分自身の中にもあって、私の性欲や性格、ネトゲ廃人だった過去などがなかったことにされていく。出産した当時、漫画で描いたみたいに本当に「母親型の枠」が前から迫ってくる感覚があった。まだA面/B面という言葉は使ってなかったけど、確かに同じ内容の話をしてますね。