フランスと日本に暮らして気づいた、親が「子供の読書に求めるもの」の違い
子供の本を選んで考えた
筆者はフランスで、現地の小学校に通う子供二人の子育て中だ。子供たちは小学校に入ってから自分たちで本が読めるようになり、本を読む量が一気に増えた。
子供がまだ小さく、筆者が読み聞かせをしていた頃は、子供と一緒に本を読み、その内容を把握していた。が、最近では子供たちが読みたいものを一緒に最初から全部読む機会は減っている。
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だから、図書館で子供が自分の年齢にそぐわない内容の本を借りてきたことに後から気づき、返却しにいくといったこともある。図書館で本を返却しながら改めて気づいたのは、親というのは子供の読書に関してかなりの権限を握っているということだ。
子供の読書は、子供自身が自分で読めるようになっても、ある程度の年齢までは親が読ませたいものを読ませることができる。ではそもそも、親として子供の本に何を求めているのだろうか。
おそらく、多くの読者のみなさんは、教育的な要素を本に求めるのではないだろうか。知育に良いもの、数学的要素やできれば英語なんかも学べたらいい…。親としては本を読ませるならば、そこから何かを学んでほしい、と思うのは自然なことだ。
しかし、こうした子供の読書の位置付けや、親として子供の読書に求めることがフランスと日本では多少異なっているようなのだ。ここでは、日本に生まれ、日本とフランスで育ち、現在フランスで子育てをしている筆者の個人的な経験といくつの統計的な数字から考察してみたい。限定された視点ではあるが、ある程度の傾向はわかると思う。