5月25日に起きた黒人男性ジョージ・フロイド氏の死亡事件から1ヶ月半。現地アメリカでは今月9日、トランプ・タワー正面の通り(5番街)に「BLACK LIVES MATTER」の大きな文字が黄色いペンキで描かれるなど、BLM運動の勢いはまだ続いている。
幼い頃、アメリカに住んでいたライターの熊川鮎子さんは、そんなBLMに関する報道を日々目にするなかで、昔のある記憶が蘇ってきたという。それは、目の前で黒人女性が白人から差別を受けたときのこと。その時に黒人女性から言われた言葉の意味を、熊川さんは今も考え続けている。
※以下、熊川さんによる寄稿。
黒人女性がプールに入った途端
白人の子たちが出ていった
私は80年代後半、アメリカ中西部にあるオクラホマ州で、幼稚園から小学校3年までを過ごした。オクラホマは1830年代にアメリカ東部に住んでいたネイティブアメリカンが強制移住させられた地で、いまもネイティブアメリカンやその子孫が数多く住んでいる。南北戦争の時に奴隷制を支持した南部に隣接しているためか黒人が少なく、黒人がネイティブアメリカンよりも少ない、アメリカでも稀な州だ。
私が通っていた幼稚園・小学校にも、黒人が一人もいなかった。もっというと、近所や街中でもほとんど見かけることがなかった。私の生活圏にいたアメリカ人の9割が白人だった。
そんななか初めて黒人と接したのは、小学1年生の頃にYMCA(キリスト教青年会)のスポーツセンターを訪れた時。ちょうど水泳のクラスがあるとのことだったので、受講することにした。何人かの子どもとプールに入りながら先生が来るのを待っていると、そこに現れたのが黒人の女性だった。
初めて出会う黒人だったけれど、テレビではよく見ていたし、白人と出会った時点ですでにカルチャーショックは経験済みだったので、特別な驚きはなかった。でも、珍しいなと思ったのを覚えている。
先生がプールに入ると、下手な犬かきで疲れていた私は、早速先生の肩につかまった。「あらあら、泳げないの?」と先生がこちらに笑いかけた瞬間、数人の白人の子どもがこちらを睨みつけながらプールから出ていくのが見えた。