先日、私が今働くオーストリアの職場で、我が子が学校で人種差別にあっているという話を同じく子どもが差別にあっている有色人種の同僚としていたら、現地の白人の同僚が、「現代にまだそんなことがあるなんて」と驚いていた。

この同僚の反応に対して、皆さんはどう感じるだろうか。

私は吃音障害を持って日本で育ったアラフォー世代の男性だが、この同僚の反応を見て、私が受ける吃音に対する差別に周囲が気づかない構造と似ていると感じると同時に、女性差別が存在し、女性が自分と違う世界を見ているという事実に気づけなかった私自身を重ね合わせた。

差別というのは人種に限らずジェンダーにしても障害にしても類似性があり、私の同僚が有色人種の見えている世界に気づいていなかったように、私も人生のある局面まで、女性は男性と見えている世界が違うことを知らなかったのだ。

 

高校の時に初めて感じた違和感

父が働き、母が専業主婦で、弟が1人という家庭で育った私は、幼少期に「女性差別」を意識することはほとんどなかった。クラスの女子が生理をからかわれているのを見ても、田嶋陽子さんがテレビでイジメにあうような討論を繰り広げているのを見ても、私は何も疑問に思わず成長した。

「性」に関しても、小学生の時に友達の家でアダルトビデオを観ても、当時はヌードも流していた深夜放送やアイドルが水着で競い合うような番組を観ても、何か自分のいる場所と違う、非現実的な世界がそこにあるように感じていた

しかしこんな鈍感な私でも、高校に進学した頃から違和感を感じはじめた。

〔PHOTO〕iStock