<東京・大阪・名古屋大空襲、シベリア抑留、戦没者遺骨……。望まざる戦争の被害者たちは、差別や偏見に耐えながら戦後を生き、やがて補償を求めて国を相手に裁判を起こした>
『シベリア抑留』『遺骨』などの著者で、戦後「未」補償の問題を取材し続けてきた毎日新聞学芸部記者の栗原俊雄氏。新著『戦後補償裁判 民間人たちの終わらない「戦争」』では、戦後、国を相手に裁判を起こした「戦争被害者」たちを取材し、その証言をまとめている。
彼らはなぜいまなお国と闘っているのか。「戦時下ではみんなが被害者だったのだから、我慢してほしい」――そんな「戦争受忍論」のおかしさを撃つ。
「常夏記者」と言われようと
「8月ジャーナリズム」という言葉をご存じだろうか。
1945年8月15日、大日本帝国は事実上降伏した。日本開闢以来、最大の悲劇であろう。以後、毎年の8・15前後、メディアは戦争に関連する記事を多数報じてきた。しかしそれ以外の季節は、さほどでもない。そういう事象を評して他者が揶揄したり、メディアが自虐的に言うのが「8月ジャーナリズム」という言葉である。「季節もの」「やらなきゃいけないから、仕事としてやってるんでしょ」的なニュアンスを内包する言葉ではある。
筆者自身は、たとえ8・15前後に限られようが、戦争を報じることは必要だと思う。「8月ジャーナリズム」さえなくなったときのメディア環境を想像したら、つまり戦争で甚大な被害を負った人たちの肉声を伝える報道がなくなり、戦争がバーチャルなものになったら、どうなるか、と想像してほしい。
戦争体験者は加速度的に少なくなっているが、今ならばぎりぎり、体験者の声をマスで集めることができる。できるならば一年中「8月ジャーナリズム」をすべきなのだ。
しかし、それは無理だろうと、新聞記者としての筆者は思う。なにせメディアの主力商品は「ニュース」だ。70年以上前に終わった戦争の話より、たとえば目の前の選挙、あるいは於多摩川登場胡麻髭海豹、都知事公私混同財布之話異聞、人気芸能人下司不適切男女交際始末などなど、その時々世上を騒がせている人物、事象の方が読まれるし、視られる。と、メディア各社は判断しているようだ。戦争の昔話は8月近辺にだけやればいい、と。
筆者は、そういうメディアの大勢にから取り残された、新聞記者である。「一年中8月ジャーナリズムをやっている」「常夏記者」と、同僚は評してくれた。「みんな野球をやっているのに、野球場で一人だけサッカーをやっている」と言われたこともある。すべて然り。他人は自分のことを自分以上に理解しているんだなあ、とつくづく感じた。
しかし、一寸の虫にも五分の魂があるように、季節外れの記事を書いている常夏記者にも、言い分がある。
前にあげた世上を騒がせる事々は、賞味期限はさほど長くない。多摩川に登場して大人気を博したゴマヒゲアザラシの「タマちゃん」を、どれくらいの人が覚えているだろうか。せこい金の使い方で失笑を買った都知事のことも、本人が辞めたので早晩報道されなくなるだろう。
人気ミュージシャンとタレントの不倫は、別の大物芸能人の不倫が明らかになれば世上の関心はそちらに移る。ニュースは報じられた瞬間から古くなり、人々の記憶の中で別のニュースに上書きされるのだ。
一方、71年前に終わった戦争はどうか。昔話のように思われがちだが、実はそうではない。そして、たとえば真冬でも冷たいアイスクリームが売れるように、常夏記者にも夏以外にお呼びがかかることはある。読者はいるのだ。なぜなら、あの戦争はすぐれて現代につながっているからだ。長い取材でそのことを痛感しているからこそ、常夏記者は今日も戦争の記事を書く。