日本メーカーの7兆円台を大きく引き離し、売上高は10兆円超。躍進するサムスンの「成長の鍵」は何か。韓国で話題の書とともに、その秘密に迫る。
もし、あなたが薄型液晶テレビをお探しならば、家電量販店の店頭で、きっとソニーのBRAVIAやパナソニックのVIERA、シャープのAQUOSが出迎えることだろう。しかし、ひとたび世界市場に目を向ければ、日本の"お家芸"だったはずの「テレビ」で、確実に日本メーカーの凋落は始まっている―。
米調査会社ディスプレイサーチが発表した'09年の世界の出荷額シェアで1位に輝いたのは、23.3%(前年比0.2ポイント増)を占めた韓国のサムスン(三星)電子であった。12・4%のソニーはやはり韓国のLG電子と並んで2位だったが、LGが前年比で2ポイント増なのに対し、ソニーは2.9ポイント下げている。
日本国内では製品を目にする機会が少なく、韓国メーカーの商品は安かろう悪かろうというイメージがいまだ残る。だが、いまやサムスングループ(李洙彬(イスビン)会長、66社)は全体で韓国のGDPの20%を担い、グループおよび関連企業に従事する人数が全労働人口の40%以上に上ると言われるコングロマリット(複合企業)である。
日本市場だけが、その影響から免れるはずはない。あるソニーのOBが、家電市場の現状を明かす。
「量販店でサムスンのテレビを見かけなくても、サムスンが日本メーカーに負けているわけではない。ソニーなど数社がサムスン製の液晶パネルを購入しており、日本市場でサムスンブランドのテレビを販売すると、その分、パネルを買ってくれる"顧客"、つまり日本メーカーのテレビが売れなくなる。液晶パネルという視点で日本市場を眺めたら、サムスンのシェアはトップクラスに入ります」
日本貿易振興機構アジア経済研究所の奥田聡専任調査役は、こう分析する。
「大躍進の理由の一つは、'90年代に入ってからの半導体部門の成功です。この時期、日本企業はバブル崩壊後の停滞ムードで、新規投資から遠ざかりました。その間隙を突いたのがサムスンです」
大胆な戦略を可能にするのは、トップが財閥オーナーという環境にある。韓国最大の財閥となったサムスングループは、1938(昭和13)年に李秉喆(イビョンチョル)氏が友人とともに製糖や繊維を商う「三星商会」としてスタートした。大躍進を遂げたのは、'87年にグループ副会長から会長に昇進した創業者の三男・李健煕氏(イゴンヒ・68)の時代である。
この李氏は'08年に脱税の罪で有罪判決を受けて会長の座を降りたが、'09年には彼の長男・李在鎔氏(イジェヨン・41)がサムスン電子の副社長に就任している。典型的な同族企業と言っていい。
今年1月、パナソニックの大坪文雄社長は、サムスンについて、まさに同族企業である点を指して、こう発言している。
「強烈なリーダーシップを持った企業で、よく研究して勉強しないといけない」
サムスンや日本の電機メーカー、流通業界の関係者の意見を総合すると、サムスンが世界戦略を展開するうえで、ある一定のパターンがあるという。その先兵となるのは、決まって携帯電話だ。
「発展途上国に進出する場合、サムスンは携帯電話のアンテナ設置などインフラ整備を支援して、見返りに端末を導入させる方法を取ります。まず携帯で市場を切り開くやり方は、マーケティングリサーチも兼ねているのです」(流通関係者)