誰でも、病気やけがなどで障がいを抱えることはある。頭では理解していても、自分や家族がそうなったとき、その現実を受け入れるのは簡単ではないだろう。子どもの障がいに直面し、その後の離婚を経て、大きな気づきを得た女性に、ライターの上條まゆみさんが話を聞いた。
「理解のある夫」だった
「元夫は不倫をし、私と子どもを置いて家を突然、出て行ってしまったんです」
元夫は枝里さんより1歳年上で、職場で知り合い、付き合い始めた。スノーボードが共通の趣味で、気が合った。枝里さんは28歳のとき、スノーボードで生死にかかわるほどの大怪我をしてしまう。
ここでスノーボードを止めるのがふつうだと思うが、枝里さんは2度とやらないと誓うどころか「このままスノボを止めるのはいやだ」と思い、会社を辞めてカナダとニュージーランドにスノボ留学。インストラクターの資格を取って帰国し、日本でインストラクターとして働き始めた。枝里さんは、逆境に立ち向かい、それを糧にするタイプの女性なのだ。そんな彼女を、元夫はずっと見守ってくれていた。
「やりたいこともやったし、そろそろ」と、31歳で結婚し、32歳で子どもが産まれた。家族3人になり、幸せいっぱいのはずが、とても育てにくい子どもだった。
「全然寝ないし、ずっと泣いている。半年前に私の妹に子どもが産まれて、赤ちゃんというものを見ていたから、うちの子ほかの子と違うな、ってわりと早く気づきました」
ネットで小児精神科の発達クリニックを探し、診察を受けたら、知的障がいをともなう自閉症という診断がついた。そのクリニックからすぐに市の家庭支援課に連絡が行き、療育センターにつながった。並行して、枝里さんは地域の障がいのある子どもの親の会にも参加し、週3回通った。ボランティアの保育者を募り、親も一緒に子どもをみながら、障がいについての勉強会なども行う。息つく暇もない日々だった。
元夫もできるだけ会社から早めに帰り、一緒に子どもを見てくれたり、勉強会に参加してくれたりと協力的だった。それでも、意思疎通がなかなかはかれない子どもと一日中一緒にいるのは枝里さんで、それは本当に大変なことだった。障がいの特性から、子どもはいきなり走り出したり、大声で泣き喚いたりしてしまう。周囲に迷惑をかけると思うと、気分転換に外に出ることもできない。
「先の見えない子育ての不安や日々の苛立ちを元夫にぶつけてしまっていたと思います。当時、家庭の中は暗い話ばかりでした。家族の楽しい思い出って、ひとつもないんです」