消えた元四番打者 広島カープ栗原健太の「現在」
【プロ野球特別読み物】かつて、ミスタープロ野球こと長嶋茂雄氏から「将来、球界を代表する打者になれる」と期待された男は、強すぎる使命感ゆえ、打撃フォームを崩した。表舞台に戻ろうともがく元主砲を追う。
「弱い広島」を支え続けた
広島に原爆が落とされた8月6日。この日は、広島・栗原健太(33歳)にとっても特別な日だ。年に1度と決めたブログ更新の日、今年も地元・広島への思いとともに、自分の現状を綴った。
〈プロ野球の世界は、1軍だけではありません。
1軍はプロ野球選手の中から選ばれた選手だけがいる、華やかで派手で、子ども達の夢も大きく膨らむ場所です。
1軍に登録されても、その中で、打席に立つ、レギュラーになる、タイトルを獲る、記録をつくる、上には上があります。そして、カープには、2軍と3軍というところもあります。
僕は長年肘にかけた負担のため悪くなった肘の手術の3回目が終わり、3軍で調整した後、今、2軍にいます〉
カープが誇った背番号5がマツダスタジアムから姿を消して、もう2年以上になる。パワフルな打撃で20代で4番に座り、'09年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では日本代表として優勝メンバーにもなった栗原は、広島から西へ50km以上、隣の山口県岩国市由宇町の二軍練習場が現在の拠点だ。
「日大山形高から'00年に入団した栗原は'08年、それまで4番だった新井貴浩の阪神移籍に伴い、開幕から4番に座りました。その年、103打点、打率・332とチームを代表する打者になった。
栗原は、入団してから4番に定着するまでの9年間、一度もAクラスがなかった。戦力的にも苦しいとき、打線の軸として孤軍奮闘していたイメージが強い」(スポーツ紙広島担当記者)
栗原が飛躍をとげた'08年に広島の打撃コーチだった評論家の小早川毅彦氏が、振り返る。
「チャンスに強く、ここぞというときに頼りになった。彼は右方向にも鋭く、大きい当たりを打てて、本塁打より勝利に導く打点にこだわった。
豪快に見えますが、相手投手の攻め方などスコアラーとよく相談して、狙い球を絞って打席に立つ、クレバーで繊細な部分もある。そういう選手は、一度結果が出なくなると考え込み、ひたすら練習するんです」
栗原の性格を示すエピソードがある。広島OBが明かす。
「'09年のWBC代表選考合宿で、栗原は一度、メンバーから外れました。落選を通達された日、ほかの4選手はすぐに帰りましたが、栗原だけは残って特打を始めた。その栗原の姿を見て、原監督は『こういう選手は見たことがない』と感銘を受けたようです。
その後、村田修一(当時横浜)が大会中に負傷したとき、栗原を緊急招集したのは、そんな理由があったのです」