我が家の「庭じまい」
今日は、我が家の庭で最後に残った「シャクヤク」と「カイドウ」を切って、庭の全ての植木が無くなった。
いわゆる「庭じまい」の完成である。
この家に引っ越してきてから37年になる。
その前に建てた家には9年居た。小さな庭に待望の芝を植えた。でもそのメンテでこりごり。
その教訓もあって、今の家は、庭の半分をコンクリートで埋めた。それはそれで正解だった。
その狭い庭にカミさんが色々な植物を植えて面倒を見ていた。自分は「たまには庭を見てよ!」と言われて「ヘエ~」。
そんな庭も、歳を取ってくるとメンテが大変。それでカミさんが「植木を抜いて砂利にしよう」と言い出したのが2015年6月。
ホームセンターで軽トラックを借りて、初めて砂利7袋を運んだ。そして防草シートを敷いて砂利をまいた。これが第1回目。
そして2017年6月に、もっと広く植木を抜いて、砂利を40袋まいた。これが2回目。
2022年7月には隣家との境にあった椿を全部植木屋さんに切ってもらった。この時が15袋。これで残るのは「シャクヤク」と「カイドウ」だけになった。
そして2023年6月、家を道路から隠していた歩道側の植木を全部切り倒してもらった。この結果、道路の歩道を歩く人が、家の窓を開けると「コンニチワ」になった。
この時のカミさんの決断には、自分は「やり過ぎでは?」とクレームを言ったもの。まあ正解ではあったが・・・
そして本日、庭で最後に残った「シャクヤク」と「カイドウ」を切って、我が家の庭には、植物が1本も無くなったというわけ。
何事も「しまい」がある。「墓じまい」がその代表格だが、全ては次の世代に世話を掛けないため。
茨城の実家は、お袋が自宅の玄関でころんで骨を折り、そのまま老人ホームに入って亡くなったので、家の整理は何もしていなかった。
たまに見に行くと、庭の雑草がボウボウでとても歩けないほど。当然近所にも迷惑を掛ける。放ってはおけない。
人の住まない家は、放っておくと極端にはツタで覆われて家が見えなくなるほど。
まあ、我が家はそうはならないだろうが、とにかく今は植木の悩みが無くなってホットしている。今日切ったカイドウも、虫だらけで、大変だった。
相変わらずコツコツと家財道具を処分している。先日は数百巻あるVHSのビデオテープを順に棄て始めた。結局一度も見なかった。ラベルを見るとクラシックのコンサートのテープが多い。自分の好きだった「世界遺産」のテープも大量にある。
定年後、時間が取れたら見ようと思って録っておいたが、画質も悪く、VTRも壊れたため、結局「積ん読」状態で終わった。
今もBLディスクに番組を録ったりしているが、これも多分見ないまま棄てることになるのだろう。所有欲の満足のためなので、ディスクに録るのも、これも趣味。
読み終わった本もせっせとメルカリで処分している。メルカリで買って、読んで、またメルカリで売る。これも趣味。
さーて、あと何を処分しようか?
それにしても、今日のカイドウをノコギリで切るだけで、ゼイゼイハーハー!
自分の体力の衰えは、目を覆うばかり。
とにかく動けるうちに少しでも「しまい」をしておこうと思う、後期高齢者ではある。
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