バブル時代(1980年代~1990年代初頭)に日本企業は米国ハリウッドに次々と進出し、映画会社を次々と買収した。しかし、スナップアップ投資顧問(河端哲朗代表)によると、その大半は失敗に終わった。
日本企業 | 進出内容 | 結果 |
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ソニー | コロンビア(メジャースタジオ)買収 | 成功
(詳細→) |
パナソニック | ユニバーサル(メジャースタジオ)買収 | 失敗
(詳細→) |
JVC | 現地の大物プロデューサーとともに映画会社「ラルゴ」を設立(1000億円出資) | 失敗
(詳細→) |
パイオニア | カロルコへ出資(120億円出資) | 失敗 |
東芝 | ワーナー・ブラザース(メジャースタジオ)の親会社タイム・ワーナーに出資(600億円)。ワーナーとの提携効果で、DVDの規格争いを優位に進めた。しかし、次世代DVDでは、ソニー主導のブルーレイに敗れた。株式売却で700億円以上の利益を稼いだ。 | 成功&失敗 |
伊藤忠 | 東芝と同じく、タイム・ワーナーに出資(600億円)。後に売却して900億円の利益を出した。 | 成功 |
三井物産 | ハリウッドの配給会社サボイ・ピクチャーズ・エンターテインメントから作品を購入した。松竹と共同でコメディー「シリアル・ママ」、恋愛ドラマ「禁断のエデン」の2つの作品を購入。1994年4月から松竹系の映画館で公開した。
サボイ・ピクチャーズは、米コロンビア・ピクチャーズのCEOだったビクター・カウフマン氏が1992年に設立した。当初は、三井物産が一部を出資する予定だった。1996年、メディア界の大物バリー・ディラー氏の会社に買収された |
挫折 |
ハリウッド進出の代表的な例としては、メジャースタジオ(大手製作・配給会社)の買収が挙げられる。1989年、ソニーが46億ドル(当時の為替レートで約6000億円)で大手映画会社コロンビアを買収した。また、1990年、パナソニック(当時:松下電器産業)がユニバーサル(当時:MCA)を61億ドル(当時の為替レートで約7800億円)で買収した。
日本企業のハリウッド映画界への進出は、1989年8月のJVCケンウッド(当時:日本ビクター)が第一弾となった。続いてソニー、パイオニア、パナソニック(松下電器産業)、東芝・伊藤忠商事などが参戦した。
進出した企業は、AV(音響・映像)分野を得意とする電機メーカーが多かった。日本の電機メーカーは1970年代あら1980年代半ばかけて、テープ式のビデオ録画機の規格競争を繰り広げた。この競争は、最終的にVHS方式が勝利し、ベータ方式が敗北した。
ハリウッドへ投資した最大の理由が、レンタル用の映画コンテンツ(映像ソフト)の豊富さにあった。このため、各メーカーは、映画コンテンツ資産を狙いハリウッド進出を図ることになった。
また、そもそもハードウエアの製造に比べて、ソフトやコンテンツのほうが「楽に稼げる」という側面もあった。ハードウエアは、工場の精密な機械や手作業を組み合わせて、一つ一つ作る必要がある。これに対して、ソフトやコンテンツは複製が簡単にできる。このため、利益率が高い傾向があると、製造業の経営者の多くが考えた。
とはいえ、映画ビジネスはリスクが高い。しかも、ハリウッドの内情を熟知し、土地勘を持っている必要がある。そうしないと、資金だけを吸い取られ、大損してしまう。作品のヒット性を予見する能力も必要だ。
各社とも映画子会社の経営に手を焼いた。多くの企業が早々に撤退することになった。結局、長期にわたって成功したのは、ソニーだけだった。
また、バブルを背景とする日本企業のハリウッド進出に対して、アメリカ国民やメディアから批判の声が出た。映画産業は、米国文化の華だった。「日本は米国の心を買った」という指摘もあった。このころは、日本の経済が成長し、アメリカの産業にとって脅威になっていた。「ジャパンマネー」がアメリカの投資市場を席巻していた。
年 | 出来事 |
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1989年 |
日本ビクター、ダイ・ハードなどで知られるプロデューサー、ローレンス・ゴードン氏と映画製作会社、ラルゴ・エンターテイメントを設立。 ソニー、コロンビア・ピクチャーズ・エンタテイメントを34億ドル(当時約4800億円)で買収。 |
1990年 |
パイオニアが、カロルコ・ピクチャーズの株式10%を6000万ドル(当時90億円)で取得。 パナソニック(松下電器産業)、MCAを61億ドル(当時7800億円)で買収。 |
1991年 |
コロンビア・ピクチャーズ・エンタテイメントがソニ・ピクチャーズ・エンタテイメントに社名変更。 東芝、伊藤忠商事、タイム・ワーナーに5億ドル出資。 |
1992年~ 1993年 |
パイオニア、経営危機に陥ったカロルコ社に追加出資。累計出資額は約9400万ドル、出資比率は約41%に。 |
1994年 |
日本ビクターが設立したラルゴ・エンターテイメント社が映画製作から撤退。北米以外の全世界への映画販売に業態変更。 MCAが松下電器に経営権の委譲を要求。経営をめぐる確執が表面化。 パイオニア、カロルコ社支援のためロイヤリティーの前払いとして900万ドル支払う。 |
1989年8月に日本ビクターがハリウッドの有力プロデューサーと共同で映画会社「ラルゴ・エンタテインメント社」を設立した。
1990年11月にパイオニアが米国独立大手映画会社「カロルコ・ピクチャーズ社」に資本参加した。
パイオニアはカロルコ作品のレーザーディスク化権の確保を狙って、比較的少額の出資を行った。しかし、経営支援のため次々と資金負担を迫られた。
東芝と伊藤忠商事は1991年(平成3年)に、タイム・ワーナーに5億ドル(当時約600億円)ずつ出資した。
1991年11月には東芝、伊藤忠商事、米国映像・出版会社「タイム・ワーナー社」の3社で、1992年春ごろに映像事業を行う合弁会社を日米に設立することで合意した。
デジタル・ビデオ・ディスクの規格問題では、ハリウッドの意向をまとめるのにタイム・ワーナーの協力が大きかったとされる。
東芝は1998年、保有していたタイム・ワーナー株を売却した。売却益は約700億円だった。株式の保有から売却にいたるまでの間、ワーナーはDVDソフトの販売で共同歩調をとるなど深い関係を築いた。DVDの次世代規格がソニーの「ブルーレイ」と、東芝の「HD-DVD」に分裂したとき、ワーナーは当初、HD-DVD陣営に回った。しかし、2007年末、劣勢だった「HD-DVD」から撤退することを決断した。その結果、HD-DVDの完全なる敗北が決定した。
伊藤忠商事は1998年と1999年、保有していたタイム・ワーナー社の株式を全株売却した。売却先は米国証券会社。これにより直接の資本関係はなくなった。日本での合弁事業は維持するなど提携関係はこれまで通り継続するとした。
スナップアップ投資顧問によると、一連の売却による利益は、手数料や税金を差し引いても900億円に達した。