保育園ありがとう

3月も終わるというのに、寒の戻りは容赦がなく、私は真横に降る霙雪に抗うすべ無く家に引きこもるのだった。

卒園卒業入学入園シーズンである。

3月の日々は早い。先生だけじゃなく子も親も走る。師走よりも走る人数が多いのだから、月の和名を「怒涛」に変えたほうがいい。入学準備、進級準備、仕事の引き継ぎ、てんやわんや。子どもが育つのはうれしい反面、事務作業の多さにてんてこ舞いに踊っている。

そんななか、お世話になった方へアルバムや色紙を書こうと企画してくれる方には本当に頭が下がる。まず心根が美しいし、さらにスケジュール管理能力があり、そして周囲の人の「お礼したいけどどんなふうにしたらいいかわからん…」気持ちも汲む度量の広さを持っていると思う。すごい。尊敬する。ありがたい。

 

卒園にあたって、担任の先生へ保護者からお礼の気持ちを贈ることになった。寄せ書きとして、保護者が先生へメッセージを書くのである。

保育園の保護者というのは(私のところだけかもしれないが)基本的に立ち話とかあんまりしない。わーっと園に送って、「おはようございますー!」と挨拶して、わーっと仕事に行く。迎えに行く時間が被ると「こんにちはー」と挨拶して「◯◯くんバイバイー!」と別れる。たまに園のイベントに関して「歩きできます?車できます?」と情報の摺合せをする。でも基本先生に聞けば教えてくれるので大事な情報確認は保護者同士ではしない。そういうあっさりした関係であるから、顔は知ってても深くは知らない。ただ、お互い頑張っているというほのかな連帯感を持っている。私はただでさえ友達がいないタイプであるから、なおさらである。

だから、保護者の熱い思いを間近に目にするのは始めてだった。

集められていくメッセージを見ていて、なんだか胸がジンとした。どの家庭にも、外からは見えない保育園との思い出がある。そして感謝がある。すごく利発な◯◯くんのお母さんも悩みながら保育園に行ってたんだ。◯◯ちゃんのお父さん、いつも元気だったけど大変なことがあったんだ。

寄せ書きメッセージは80〜100文字と短いのだから、そんな詳しく他の家庭の事情とかはわからない。でも、何か大変なことがそれぞれあって、それぞれ保育園の先生との思い出があり、それに感謝しているのがわかった。入園から3年、長い人は6年、子どもとの奮闘と仕事を毎日積み重ねあげられたのは、保育園があったからだと、保護者全員が思っている。

 

私は仕事の復帰を甘く見ていた。というか、子供のタイプとか私のキャパとかを甘く見ていた。独身時代は朝から晩まで働いても、客に怒鳴られても別にどうということもなかったから、自分の鈍さに自信があったのである。

でも私の娘は鈍くなかった。当たり前に寂しがりやで、甘えたがりの普通の子だった。

朝7時に預けて夜6時に迎えに行く生活は、2歳の娘には合わなかったのだろう。朝は機嫌が良くても、帰りはシートベルトを拒否して、毎日毎日夕方園の駐車場で泣いてる娘だった。今考えたら疲れてたから甘えたかったんだとわかる。でも私も5時に起きて時間に追われる生活で、子供を気遣うより「なぜ時間通りに進まないのか」「なぜ段取りが上手くいかないのか」「なぜこの子はこんなことで泣くのか」の苛立ちが先に立った。泣いて帰らなければ夕飯が遅くなる。夕飯が遅くなるとますます機嫌を損ねて家でもひっくり返って泣く。この時期の子どもは早く寝かさないといけないのに、寝るのも遅くなる。洗濯物は溜まっていくし、掃除機はまた後回しで、私は今日もまた起きて仕事して子どもに泣き喚かれて終わるだけだという無力感で自分を卑下していく。そういう感じだった。

子供には子供の考えがあって、大人のように段取りやら時間やらは意識できない。真面目に大人の理屈を言うより、遊んだり気をそらしてさっさと進めてしまっ他が良い。そんなことすら知らなかった。宥めてもお願いしても長女は泣くだけで何も進まず、いっぱいいっぱいになった私は最終的に泣きながら怒鳴った。なんでママの言うことちゃんと聞いてくれないの?!シートベルトはしなきゃ死ぬんだよ!!

 

そういうときに、子供の間に入ってくれたのが保育園の先生である。

 

駐車場で長い事やり取りするのを連日見ていたのだろう。はっきりと覚えている。雨の日だった。先生が傘を差してでてきて、濡れながら後部座席の娘に爆発する私へ「お母さん大丈夫?」と聞いてくれた。閉園間際で、先生にも迷惑かけてると思った私が反射的に謝ると、先生は「大丈夫大丈夫、お母さん、がんばってるんだよね」と笑ってくれた。傘をさしてくれた。泣きすぎてしゃくりあげる娘に「長女ちゃん、おうち帰りたくないのかなあ。保育園たのしかった?最近色々できるようになったもんね。お座りもちゃーんとできるかな?」と声をかけた。娘は泣きながら、あんなにのけぞってたチャイルドシートにちょんと座った。「すごーい!ね、お母さん」先生の合図に慌ててベルトをはめる。その間、娘は動かなかった。嫌がりもしなかった。できるじゃん。なんでいつもは時間かかって…と私がまた泣きそうになると、先生が頷きながら「大丈夫だよお母さん、チャイルドシートは大事だもんね。言ってること、がんばってること、間違ってないよ。毎日辛抱強く聞いてるよねえ、知ってるよ」と言った。泣いた。

閉園間際の真っ暗な駐車場で、泣きながら御礼を言って帰った。

甚だ迷惑だったことだろう。先生だって自分の家のことをしたいに決まっている。私が6時に迎えに行くということは、先生が帰るのは7時だし、私が7時に預けるということは、先生が園をあけるのは6時半である。勝手に肩身が狭かった。これ以上迷惑をかけないように、せめてスムーズに園から去ったりしたかった。でも先生は、仕事だから大丈夫と言い、私がパンクしそうなのを見て、娘との間に入ってくれた。

あれが無ければ、私は今も自分のキャパを過信して、思い通りにならない娘に今でも爆発してたと思う。もしかしたら手をあげていたかもしれない。産む前にはちゃんと「子供は他人である」と思うと決めていた。そういう意識が仕事で擦り切れてたことを、暗い駐車場で気づけたのも、先生のおかげである。

 

仕事を変えます、早く迎えに来れるような仕事にします。そう言ったら、先生はすごく喜んでくれた。

「お母さんも長女ちゃんも、ずーっとがんばってたもんねえ!」

がんばってた。私だけでなく、娘もがんばってた。私の生活に合わせようとして、でも娘も私もキャパオーバーだったんだ。気づけて良かった。この園で良かった。私とのやり取りで泣きながら癇癪を起こす娘だけど、保育園が嫌とは一度も言わなかったのは、昼間の園の居心地が、本当に良かったからに違いない。

 

 

今、口が達者な娘は「ママ、もっと遅く迎えに来てよ〜。友達と遊んでたんだよ、いま」と言う。保育園行きたくない、家で寝ていたいという次女に「お姉ちゃんがいるから大丈夫だよ。それに、◯◯先生にあえるよ」と声を掛ける。入学に不安と期待で緊張しながら「おともだちのこと忘れたくない…もっとずっといっしょにいたい」とこっそり夜泣いている。それが嬉しい。

娘の大事な場所の保育園。毎日楽しくて、私と喧嘩したり歌ったりしながら通った保育園。おとなになった長女が忘れても、私が保育園にお世話になったことを忘れない。この子が大きくなって、私もこの子の話を聞けるようになった。その全部が、保育園と先生たちのおかげなのである。

 

 

万感の想いを込めて、80〜100文字のメッセージを書いた。きっと他の保護者のメッセージの裏側にも、色んな思いがぎゅっと籠もってる。

先生ありがとう。保育園ありがとう。

親子ともども、本当に、お世話になりました!