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2009年 01月 01日
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by akobayashi_dnikki
| 2009-01-01 18:29
2009年 01月 01日
これは2009年1月1日になった直後の近所の様子。ドイツではこの時期数日間だけ花火をスーパーマーケットなどの小売店で買うことができます。花火を上げていいのは大晦日から元日へ日付が変わる前後だけ。
閑静な住宅街ですが、ほとんどすべての家で打ち上げるのでこんなふうです。小さく見えてるのも全部花火です。遠いのでわかりづらいけど。そういえば、去年もこの年越しの花火を見ようとしたけど、そのときは霧が濃くてほとんど見られなかった。今年は快晴で遠くの方までよく見えた。 #
by akobayashi_dnikki
| 2009-01-01 18:24
2008年 12月 30日
そういう瞬間は誰にでもある。うちの次男の京平(8歳)がそれを感じたのはこないだの土曜日、12月27日。
ドレスデン旅行から帰ってきた翌日の26日、友達のヨアヒムさん(デザイナーでサンフランシスコ在住)が帰省中で実家のフライブルクから電話をかけてきて、27日に遊びに来るという。前々からだいたいその日か29日といっていたので特に慌てないが、子供たちの部屋と夫婦の寝室との入れ替えを11月からやっていて、部屋の模様替えが途中までしかできていなかったので、26日と27日の午前中で全部それをやり終えてヨアヒムさんを迎える、とすることにした。すでに11月に子供の二段ベットは下におろしてきて私の本棚は上に移しておいたから、今回は、洋服ダンスと夫婦のベットをばらして上の部屋に運んで完了。周平が重いものを持ってくれるのでだいぶ助かった。終わったのが27日の昼で、ヨアヒムさんが3時ころ到着の予定なので、まず郵便局に年賀状を出しにいく。郵便局の窓口が8つくらいあるのに3人しか働いていないため約20分ならぶ。そのあと買い物に行って、日本料理が大好きなヨアヒムさんが泊まるので夕食は鍋にしようと材料を買い込んで家に戻った。 お昼を食べたあと、食卓で私は由美子とお茶を飲んでゆっくりしていた。ヨアヒムさんが来るのがよほどうれしいのか、パワーが余っているのか、京平がふざけて走ってきて居間の床をツツーッと滑って遊ぼうとしたのが目のはじっこで見えた。滑ったときにバランスを崩した京平が派手に転んで、その拍子にテレビの台の角に思いっきり頭をぶつけた! ぶつけたところは見ていなかったが音で分かる。京平は四つん這いで大声で泣きだす。駆け寄ってみると血がぼたぼた落ちてくる。すぐにペーパータオルを何枚か持ってきて頭を押さえたがすぐ血で真っ赤になった。 土曜日なので、救急病院へ車で行く。京平のけがはいつも休日に起こる。周平には家に残ってもらい。ヨアヒムさんを迎えに行ってもらうことや電話連絡などを頼む。病院に入ったのが2時半少し前くらい。待合室には他に3組くらい待っていたが、けがが頭だし傷口から血がまだ少し出ているので、しばらくしてから「血が出ているから早くしてもらえませんか」ともう一回受付で言ってみたが二人の看護婦のうち一人は「当直医が一人しかいないので2時間くらい待ちます」という落ち着いた返事。もう一人の看護婦が私の方をにらみつけて急いでどこかにいく。こういうのがドイツのイヤなところなんだよな、と思う。ドイツで病院の世話にはなりたくない。 まあしょうがない、と思って、他に待っている人に聞いてみたら1時から待っている人もいる。私たちより1時間半早くから待っているわけだ。別の待合室から来たらしい車いすのおばあさんが、どこかに行きたいのかしょちゅう立ち上がっては看護婦さんに話しかけて「待っててください」と言われてまた座る、の繰り返し。別の人が、待ち時間が長すぎると受付に不平を言いに行く。周平から電話があり、家に来たヨアヒムさんにわけを説明する。 待っている間に患者が増える。救急車に乗せられてた女の子はそりで転んだらしい。京平よりちょっと年上の男の子が途中で入ってきた。腕が包帯に巻かれていて、聞いてみるとガラスで切ったらしい。 結局、6時半になってやっと診察室に通されて看護婦さんが京平の傷の周りの髪の毛を剃った。すぐに治療かと思ったらそのあと医者がなかなか来ないので私は診察室で横になったままの京平を不安がらせないように笑わせたりしていた。ひょっとして忘れられているんじゃないかと診察室から廊下に出ていた由美子の話では、休憩の時間になったのか医者はいなくなり、看護婦さんが外でたばこをふかしていたそうだ。車いすのおばあさんは、看護婦さんに車いすに縛り付けられたあと自分でそれをほどいてまた歩き回っていたそうだ。 7時になって、やっと医者が来た。ぽっかり3センチくらい開いている傷口の周りに麻酔注射を2本打つ。「けがをしたのはいつ頃ですか」と聞かれたので「2時ちょっと過ぎです。5時間も前です」と言った。医者も5時間待たせたことについてさすがに謝っていた。縫合の時に麻酔が効いていないらしく、京平が痛がったので少し待ってからもういちど縫合。X字型に2回縫っていた。治療が終わって7時半。 駐車場の料金はたっぷり5時間半ぶんとられる。もう料理どころじゃないので手っ取り早く近くの中華料理屋さんでチャーハンと焼きそばをテイクアウトして、やっと家に戻ってヨアヒムさんと再会。ヨアヒムさんがプレゼントしてくれた、ドイツ語の言葉の選び方のゲームで遊ぶ。由美子と子供たちは10時半ころベットに。周平の部屋はヨアヒムさんに貸して、周平は今まで通りの2段ベットへ。私はヨアヒムさんの新しい書体デザインを見たり今年一年のコンファレンスの話などして1時まで話し込んだ。頭を打った京平は夫婦のダブルベットの真ん中に寝かして、夜中も京平の容態に変化が起きないかどうか、また傷口をかきむしったりしないか心配で、夜中に京平が動くたびに由美子も私も何度も起きる。 翌日、私は7時半に目を覚まして京平がぐっすり寝ているのを見て安心して一人で朝食をとる。9時頃起きてきた京平が、前からほしがっていたバニラ味つきストローで(ストローの中にバニラ味の粒が入っていて、冷たい牛乳に味がついて口に入る)を一口飲んで言ったのが 「あー、オレは生きてて良かったなー」 だった。私も少し飲ませてもらったらミルクシェイクみたいな味がした。生きている喜びを味で表現するとミルクシェイクなのか。なんとなく納得する。 その日、ヨアヒムさんと私はフランクフルトに出て美術館を二軒観て、ヨアヒムさんはフライブルクに戻り、私は家に戻って風呂に入ったが、ゆっくりつかっていたら湯船で寝てしまった。その日もベットで京平を真ん中にはさんで寝る。 29日、30日は私は仕事。今年一年を振り返るとかそういう暇がないまま大晦日です。 #
by akobayashi_dnikki
| 2008-12-30 20:56
2008年 12月 26日
12月21日の日曜日から25日まで、ドイツの北東部にある街ドレスデンに行ってました。目的はドイツ最古と言われるクリスマス市を観るため。ドイツ鉄道で約5時間かけて日が沈んでからドレスデン駅に到着、今回は旅行の下調べがほとんどできないままきた。来る前にプリントアウトしておいたホテルの所在地を忘れてきたので駅でホテルの場所を調べてもらい、駅からタクシーで向かう途中に運転手さんにいろいろドレスデンのことを聞いた。街で一番大きいクリスマス市がどこにあるか、ここでは Weihnachtsmarkt でなく Striezelmarkt という、 Striezel はドイツのクリスマスケーキ(シュトレン)のこと、などなど。
その日にホテルに荷物を下ろした後すぐにクリスマス市に行く。574回目のクリスマス市、と誇らしげな横断幕。つまり574年の歴史があるということ。 市では、ドレスデンでなければぜったい食べられないようなものはなかったけれど、炭火で焼いたソーセージの前に行列ができていたのでそこに並んで熱々のを食べた。実際おいしくて、次の日も私はそこで食べた。 ドレスデンのホテルは私がインターネットで探して予約したが、思ったより広くて子供が大喜び。ホテルの周りや街の中心部ではやけに美容院が多いことに気づいた。ちなみに、ホテルから市電の停留所に行くまでの数百メートルの間に、プールバーが1軒、ネイルサロン1軒、パン屋が1軒、ケーキ屋が1軒、八百屋が1件という感じだったと思うが、それに対して美容院が5件あった。旧東ドイツなので、スーパーマーケットでは東っぽいデザインの食品パッケージを買い集めた。 25日に家に戻る。京平が、クリストキントからのプレゼントが届いているかどうか確かめるために真っ先に家に入り、ツリーの下にレゴの家があるのを見つけて喜んだ。私たちからは、周平にはソニーの MP-3プレーヤー、京平にはサッカーのアイントラハト・フランクフルトのユニホーム。夜遅くまで京平は家造り、周平は好きな曲のダウンロードをしていた。 #
by akobayashi_dnikki
| 2008-12-26 08:56
2008年 12月 21日
文化交流使としてロンドンに滞在中の寄席文字の右門さんが、ドイツでも寄席文字を披露したいと前々からいっていて、私も今年の春頃から各方面に働きかけていたところ、来年1月にフランクフルトでそれが実現することになった。12月18日の木曜日、右門さんが会場の下見や打ち合わせで急にフランクフルトに(一晩だけ)くることになり、私もドイツ語の個人レッスンを6時までで短く切り上げてもらって夕方からフランクフルトに行く。右門さんと2ヶ月ぶりに再会、日本領事館の方ともお会いして、私の提案でいっしょにクリスマス市見物に行った。レーマー広場の人混みをかき分けてグリューワインを片手にいろいろ話がはずむ。
右門さんのスケジュールはぎっちり詰まっている。でも当の本人は「どこまでできるかやってみようと思ってさ」とカラッと明るい。私も見習おう。 #
by akobayashi_dnikki
| 2008-12-21 05:20
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