太平洋の覇者
F6Fは、グラマン社で設計・開発され1943年に実用化、第二次世界大戦期のアメリカ海軍などが運用した艦上戦闘機で、愛称は「ヘルキャット」(Hellcat:直訳では地獄猫だが、意地悪女、あるいは性悪女の意)。
全備重量は約5.7トンと零式艦上戦闘機の倍以上だが、それを強引に引っ張ったのが2,000馬力を発揮するダブルワスプエンジン。
急上昇・急降下を織り交ぜた垂直面の戦闘で1,000馬力級エンジンの零戦を圧倒した。
また、乱雑な着艦時の衝撃や急降下時の急加速に耐える頑丈な機体構造、操縦席周辺に重点配置された装甲板・防弾ガラス等の充実した防弾装備など、徹底して軽量化された零戦とは対照的な要素を多数有し、これらは本機に搭乗した米海軍のパイロットにも軒並み好評となっている。
開発・戦史
前任・F4F | 同期・F4U |
---|
グラマンF4Fの後継として1938年から開発が開始され、1942年に原型機が初飛行。
翌年の1943年8月から太平洋での実戦投入が始まった。
本来の次期主力たるヴォートF4Uが安定性の不足などから艦上戦闘機としての運用が先送りされる一方、F4F譲りで堅実な設計のF6Fは配備が順調に進行。
1944年から米海軍が実施した連続的な攻勢で航空戦力の要を担い、特に6月のマリアナ沖海戦では米海軍の半ば一方的な航空優勢『マリアナの七面鳥撃ち』の立役者となった。
1945年にはF4Uの改良・高性能化に伴い徐々に置き換えが進められるも、終戦まで運用は続けられた。
ただ、戦後の軍縮を見越した米海軍にとってF6Fは不要でしかなく、終戦の報を受けた直後、一部の空母ではF6Fが続々と海中投棄される事例もあったという。
余談
- 対・零戦用戦闘機?
・米軍が零戦を鹵獲した後に登場している
・零戦に対して優位な特性を有する
...といった要素から、『対・零戦用戦闘機』という風に語られることもあるF6F。
しかし、F6Fの試作機は零戦の鹵獲時点で既に初飛行済みで、その設計・開発に零戦の情報が影響したという事実はないと見るのが妥当だろう。
- キルレシオ19:1?
米軍の資料によれば『最も多く日本機を撃墜した戦闘機』(2位は『F4U』、3位は『P-38』)で、大戦を通じてのF6Fの撃墜:被撃墜の比率、すなわち対日本機キルレシオは19:1という圧倒的なものだったとか。
ただし、このキルレシオはあくまで米軍側の資料に基づいているため、実際の値は10:1程度と見られている。つまり、日本軍の保有機数はそこまで多くは無い...