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馳浩

はせひろし

馳浩とは、石川県出身の政治家。元レスリング選手、元プロレスラー。第20代石川県知事。
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概要編集

1961年5月5日富山県西礪波郡砺中町(のちの小矢部市)生まれ、石川県金沢市育ち。女優高見恭子(双方ともに再婚)。

当初はレスリング選手として頭角をあらわし、専修大学卒業後は母校星稜高等学校国語教員をしながら選手生活を送っていた。

ロサンゼルスオリンピックのレスリング・グレコローマンスタイルのライトヘビー級に出場した事もある。


その後1985年に24歳でプロレスに転向。ここではいった新人の為「先生」と呼ばれることとなり今もなお「先生」だったりする。

プロレスラー時代は得意技のノーザンライトスープレックスや、ジャイアントスイングなどの見せ場で人気を博し、ジャイアントスイング連続60回などのパフォーマンスも知られる。

当時の印象からか、現在でもpixivのイラストは専ら彼の技関連の作品で占められている。


1995年、自身もプロレス好きであった森喜朗からスカウトをうけ参議院選挙に出馬し政治家デビュー。その後暫くはプロレス界に籍を残していたものの2006年、試合で欠いていたインプラントを入れて正式引退し政治家に専念する。

この間、2000年には『クイズ$ミリオネア』にて有名人としては世界初の1000万円獲得者という記録を持つ。


スポーツ教育問題を主に取り組み、青少年健全育成基本法案の担当者として従来は表現規制賛成寄りの立場であったが、赤松健ロビー等でスタンスを変えつつあり「マンガ・アニメ・ゲームに関する議員連盟」の幹事長となった。


2015年10月第三次安倍改造内閣文部科学大臣に就任(2016年8月退任)。任期中には当時問題になっていたピラミッド組体操の規制を推した。

2017年7月には、プロレスリング・マスターズのリングに登場し、11年ぶりにプロレス界へ帰ってきた。


国会議員として参議院議員1期、衆議院議員7期(石川1区で5期・比例北陸信越ブロックで2期)務めたが2021年7月、任期満了に伴い2022年3月までに行われる石川県知事選挙出馬のため、第49回衆議院選挙に立候補しないことを表明。実際に出馬を見送る。


2022年2月24日告示・3月13日投開票の石川県知事選挙出馬し、196,432票を得て初当選。3月27日に28年ぶりの新石川県知事(20代目)として就任した。


プロレスラーとしての経歴編集

1985年8月:ジャパンプロレスに入団。

1987年新日本プロレスに移籍。

1996年11月全日本プロレスに移籍、引退まで在籍。

2023年1月1日プロレスリング・ノア日本武道館大会にて8人タッグに参戦。カード発表時はXと名前は伏せられていた。


得意技編集

ノーザンライトスープレックス 裏投げ ジャイアントスイング

裏STF


関連動画編集

入場曲『TWO HEARTS』編集

オリジナル編集

入場曲バージョン編集


余談編集

  • 星稜高校教員時代に体罰を行っていた事を義家弘介との正論(産経新聞社)との対談で明かしており、文科相就任時に問題視されていた、
  • 2020年4月に、colabo視察の際に不適切な行いをしたことで抗議文を送られ、結果的に謝罪に追い込まれている。当時の安倍晋三首相から不興を買い、結果的に議員から石川県知事立候補(つまりは左遷)となっている。
    • 石川県知事選は結果的に馳の勝利に終わったものの、安倍の慰留を蹴ってわざわざ議員を辞して立候補した自民党議員の山田修路や当時の金沢市長の山野之義との保守分裂状態となり、森喜朗の支援(前任の石川県知事は森喜朗とは距離を置いていた)やプロレスラーの団体の応援の効果もあり、僅差での勝利となった。その後の石川県政において僅差の勝利は県政において保守分裂の禍根を残すこととなった。

関連タグ編集

政治家

マイク・ハガー…こちらは元プロレスラーの市長。馳氏の県知事就任で彼を思い出した人もいるかもしれない。

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