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笑福亭松之助

しょうふくていまつのすけ

『笑福亭松之助』は上方落語の名跡。(メイン画像は二代目)
目次 [非表示]

落語家の名跡。2代目の死後は空き名跡である。


初代編集

本名:竹内 日出男 、後の6代目笑福亭松鶴


二代目編集

本名:明石 徳三(あかし とくぞう)。1925年8月6日 - 2019年2月22日


来歴編集

兵庫県神戸市湊西区(のちの兵庫区)出身。

5代目笑福亭松鶴門下。一度だけ「笑福亭徳利」で初舞台となったが、入門半年で兄弟子(後の6代目笑福亭松鶴)が4代目笑福亭光鶴と改名しており、彼の使っていた松之助の名を貰うこととなり、改名した。

入門後程なくして5代目松鶴が死去、その後4代目桂米團治の事実上の預かり弟子となるも、この米團治も早世し、一時は喜劇役者の道に進んだ。吉本新喜劇の創立メンバーの一人でもあり、この縁もあってか長く吉本興業に籍を置いた(兄弟子・6代目松鶴は松竹芸能。ただし松鶴の筆頭弟子・3代目笑福亭仁鶴は吉本所属である)。もっとも、1960年代前後には松竹に移籍し、更に千土地興行(千日デパート奈良ドリームランドなどの経営で知られ3代目桂米朝なども籍を置いた日本ドリーム観光)にも籍を置き、その後吉本に舞い戻った歴がある。

その後本業の落語に回帰するも、その後もタレント・俳優としても活動。柔軟な芸を見せた。

高齢となっても、それを感じさせないエネルギッシュな舞台を晩年まで見せた。弟子でもあるさんまとの面白おかしいやり取りを、彼の番組の一つ「さんまのまんま」で見せている。

90歳を越えても存命で、晩年には上方最長老、東西合わせても4代目桂米丸桂歌丸の師匠)に次ぐ長老落語家となったが、2019年2月22日に老衰のため死去した。満93歳没。


家族編集

2回の結婚歴があり、前妻と後妻それぞれに2人ずつ子供を儲ける。後妻との間の長男・次男はそれぞれ弟子となり、長男ののんきは現在も落語家を続けている(後述)。

孫・曾孫等の全容は明らかではないが、少なくとものんきには息子がおり、祖父の松之助自ら「明石家ぽんた」の芸名を名付けている。前述の「~まんま」にも出演した。


弟子編集

明石家さんまの師匠』として余りにも有名。松之助自身、「さんまの師匠」を自己紹介代わりに使っていたほどである。

その他の弟子としては前述した長男『明石家のんき』がいる。他にラジオパーソナリティとなった芸人『わきたかし』。

また廃業した弟子としては次男の『笑福亭亀之助』(現在は「パーポ明石」を名乗りダンサーとなる)、他に『信用亭きん好』『明石家パーマ』『明石家パンツ』などを名乗る弟子もいた。


この他に『五所の家小禄(明石家小禄)』という弟子もいた。彼は元々露の五郎(後の2代目露の五郎兵衛)門下であり、五郎と松之助が共に吉本所属で喜劇役者も兼ねる落語家同士という関係性から移籍している。

彼は初期のさんまとコンビを組んで芸をやるなど、そこそこ有名であった。またトークの上手さには定評があり、さんま以上の評価を得ることもしばしばであった。小七、ポッポ、小八、クックと言った弟子もおり、松之助にとっては小禄一門の弟子たちは実孫・ぽんたを除けば確認された唯一の孫弟子にあたる。

しかしさんまがピンでの活動を望み、活躍していく中で小禄は落ちぶれていく。持ち前のトーク力を活かし、自らのみならず他の芸人の地方営業の斡旋等も行っていたが、これは現在で言う「闇営業」に当たり、これが吉本の逆鱗に触れて退所を余儀なくされる。当時闇営業行為が問題になった落語家が他にもおり、このこともあって松之助門下からも破門されてしまった。

更に経営していたスナックの破綻、弟弟子・さんまのネームバリューを利用した10億円の出資金を集めたイベントの失敗、2000万もの詐欺を働いたことで自己破産した上逮捕されるという結末になり、平成時代には表舞台から姿を消す。その後東海地方でひっそりと仕事を続けたとされるも、2011年に死去した…と思われていた

だが死亡の一報が流れて数年後、今度は200万の詐欺を働いてまたも逮捕され、思わぬ形で存命が発覚。直前にかつての師・松之助の葬儀に出ることも無かったことから、さんまにもすっかり亡くなったものと信じ込まれていた。これには、数々の芸人へのギャラ未払いなどの問題から逃げるために虚報を流したとの説もある。


他所に移籍した弟子として、『明石家つる松』がいる。元々3代目林家染丸の弟子であったが、彼もまた松之助門下に移籍した経歴を持つ。預かりではあるが一番弟子である(直弟子としてはさんまが筆頭となる)。

しかしながら諸々の事情により松之助門下を離籍(破門という説もあるが不明)。結局、米朝のとりなしで時の上方最長老の落語家・橘ノ圓都門下に移り、圓都の死後は米朝の預かり弟子となった。

ラジオパーソナリティとして活躍し、医療・健康関係の会社経営や講演なども行うなど落語に限らない活躍をしていたが、2021年3月に死去した。満73歳没。


一門の亭号編集

多くの弟子に付けた「明石家」の亭号の由来は、松之助の本名の苗字「明石」からであるが、何故これを使ったかについては諸説ある。

松之助の自著によれば「【屋号で自分たちの勢力範囲を示しているような】感じに違和感があったことや、下の名だけで区別するほかないため、自身が若手時代に不自由さを感じたことによる」とのことであるが、

弟子のさんまのエピソードによると、さんまの出奔からの復帰に伴い「笑福亭のままでは反発がある」という理由で明石家を名乗らせたとか、落語家から漫談家・タレントとして転向するに当たり「落語を演じない者に一門の『笑福亭』を与えることは許されない」という理由があったとかの通説もある。なお後者の説だと、前述したつる松・小禄も明石家を名乗っている理由が成り立たないため、これは俗説と見るべきかもしれない。

なおさんま以降の弟子でも息子ののんきの前名は『笑福亭梅之助』であったが、他の弟子は殆ど「明石家~」を名乗っている。更なる俗説に「さんまが売れたので、門下全員便乗して明石家に変えさせた」というものまである。


関連項目編集

笑福亭松鶴

明石家さんま

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