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松井秀喜

まついひでき

松井秀喜とは、元プロ野球選手。愛称は「ゴジラ」。イチロー等と並び、平成時代を代表するプロ野球選手の1人である。
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概要編集

所属OB
出身石川県能美郡根上町(現・能美市)
生年月日1974年6月12日
身長・体重188cm、95kg
投球・打撃右投左打
守備位置外野手
プロ入り1992年ドラフト1位
引退2012年

1993年、星稜高校からドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。

2003年にFA権を行使し、MLBへ移籍。ニューヨーク・ヤンキースに入団。2009年にはワールドシリーズでのMVP選手となる。

2010年よりロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムへ移籍。

2011年よりオークランド・アスレチックスに移籍。

2012年はフリーランスとして開幕を迎えるも、タンパベイ・レイズとマイナー契約、その後メジャー昇格。

2012年12月28日(※日本時間。現地時間では27日)に現役引退を表明。


2013年5月5日、恩師の長嶋茂雄と共に、安倍晋三首相(当時)から国民栄誉賞が授与された。

同年7月28日(※現地時間)には引退セレモニーがヤンキース主催で行われた。


引退後はニューヨーク・ヤンキースのGM特別アドバイザーに就任。


背番号編集

背番号使用年所属チーム
551993年〜2002年読売ジャイアンツ
552003年〜2009年ニューヨーク・ヤンキース
552010年ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム
552011年オークランド・アスレチックス
352012年タンパベイ・レイズ

選手として編集

通算本塁打はNPBで332本、MLBで175本。

NPB、MLB通算の本塁打は507で、2024年終了時点で歴代7位


シーズン本塁打はNPBの50本(2002年)、MLBの31本(2004年)が自己最多。


NPB時代は稀代のホームランバッターとして名を馳せた。NPBでの実働は10年だが本塁打王・打点王・最高出塁率のタイトルに3度も輝き、ベストナインも1995年から8年連続受賞。更には首位打者にも1回輝くなどアベレージヒッターとしても優秀だった。なお、三冠王は惜しい所で逃している。大舞台にも強く、2000年に日本シリーズMVPを獲得している。


MLBでは中距離打者にシフトした関係でホームランは大きく減少したが、チャンスに強い打撃でチームを支え、ヤンキースのクリーンナップを任された。2024年時点で、MLBで二塁打40回以上を複数回達成している唯一の日本選手でもある。

とくに2009年には、ポストシーズン15試合通算で打率.349(43打数15安打)、4本塁打、13打点、OPS 1.136、ワールドシリーズ6試合通算で打率.615(13打数8安打)、3本塁打、8打点、OPS 2.028と、ヤンキースの優勝に大きく貢献した。ワールドシリーズ優勝を決めた第6試合では1試合6打点(シリーズ歴代最多タイ)という爆発力を見せつけ、日本人選手初のシリーズMVPに輝いている。


ヘッドスピードがとにかく速かったことで知られ、ある投手曰く「手を出さないから打ち取ったと思った次の瞬間ホームランになっていた」、別の投手曰く「投げてみるまで結果が分からない」。


2021年まで、MLBにおける日本選手シーズン最多本塁打(2004年・31本)日本選手シーズン最多打点(2005年・116打点)、および日本選手通算最多本塁打記録(175本塁打)の記録保持者であったが、シーズン最多本塁打は2021年大谷翔平エンゼルス)に更新され、シーズン最多打点と通算本塁打も2024年にやはり大谷翔平(ドジャース)に更新された。

これについて松井氏は、

「大谷選手は昨年(2023年)、メジャーリーグで本塁打のタイトルを取ったほどのパワーも技術もある選手。私のメジャーリーグで打った本塁打数は、私自身誇れる数字ではないと感じていますので、今後も大谷選手が200、300、400本と日本の野球ファンの皆様が喜ぶ数字を残していく事を私も応援しております」

「彼の存在の大きさ、選手としての素晴らしさを思えば、私の数字と比べる必要は全くないと思います。ファンの皆さんがそれぞれいろいろ予想して楽しめばいいと思いますし、私が思うのは、彼のいい状態でのプレーを応援したいなと思うだけです」

と述べ、大谷選手の今後の活躍にエールを送った。

(ちなみに、上記2024年に大谷翔平はイチローが持っていた日本選手シーズン最多盗塁記録日本選手シーズン最多得点記録も更新、2000年代にMLBで活躍した2人の日本人選手の記録を幾つも覆すという偉業を達成している。⇒50-50クラブも参照)


逸話編集

野球を始めた頃は右打ちだったが、すぐに左打ちに転向した。その理由というのが「あまりに打ちすぎるから周りからハンデとして左打ちを命じられた」というもので、本人が同じく右投げ左打ちである掛布雅之氏のファンだったことから渋々承諾したという。

このことからも分かるように、小学生時代の松井氏は阪神ファンであった。


松井氏の巨人在籍時に監督であった長嶋茂雄氏は松井氏と付きっ切りで素振りの指導を行っており、松井氏が渡米後打撃不振に陥った際には電話越しに素振りの音を聞いて打撃のチェックを行った。


松井氏が長らく背負った背番号「55」王貞治氏のシーズンホームラン記録(当時)の55本にあやかってつけられたという噂が流れているが、本人が否定している。

ちなみにこの「55」は彼が在籍したいずれの球団でも欠番指定されていない。


実はWBCには一度も出場しておらず、3回あった機会のいずれも辞退している。


上記にある通り掛布雅之氏のファンで、彼と松井氏のインタビューは、かなりくだけた様子の松井氏の姿を見る事ができる。また、2021年に日本テレビの番組でタイガースの佐藤輝明の印象について「掛布さんの再来」と憧れの掛布の名を挙げて絶賛している。但し翌2022年に佐藤が打撃不振に陥った際は「今のままではずっと打てない」と批判もしている。


松山ホステス殺害事件で被疑者として指名手配されていた福田和子は、松井氏の出身地根上町に潜伏していた時期があり、和菓子屋の主人の内縁の妻として同店に勤務していた。少年時代の松井も同店を訪れた事があり、福田が逮捕された際、松井は福田の印象について「綺麗で愛想の良い奥さんだった」と語っている。


5打席連続敬遠事件編集

彼を語る上で絶対に外せない逸話に、1992年夏の甲子園2回戦で起きた松井秀喜5打席連続敬遠(事件)がある。

星稜高校の4番であった松井氏は、対戦相手であった高知・明徳義塾高校から5打席全て敬遠(走者がいない打席ですらも)を受け、結果星稜は2-3で敗退。明徳義塾の作戦勝ちであるが、この行為を見かねた観客から罵声や怒号が飛び交う高校野球史上類を全く見ない大事件と発展した。試合後も明徳義塾の滞在する宿舎に抗議や嫌がらせの電話が殺到し、報道陣や過熱したファンが押しかけるなどして宿舎や選手・監督らを警察や警備員が警護する事態にまで発展した。なお、全国から心無い非難を浴びせられた明徳義塾は、それによる精神的ダメージが響いて次の3回戦で広島工業(練習試合で圧勝していた格下相手)に0-8とボロ負けしている

明徳義塾の馬淵史郎監督は当時の松井氏を「高校生の中に一人だけプロが混じっているようなもので、絶対に打たせるわけにはいかなかった」と勝利のためにはやむを得ない指示だったと語っている(当時の高知勢は1987年から91年までの夏の甲子園の最高成績が2回戦まで(2回戦が初戦だった年あり)と低迷していた)。だが、結果的に勝利に固執した作戦が自らの首を絞めることとなり、3回戦でボロ負けした後、選手達の前で申し訳なさから号泣し、「お前らはようやった」の一言を述べたのみだった。その後、選手達や高校に多大な迷惑をかけたことで監督の辞表を提出しようとしたが、校長の説得で受理は保留となり、選手達や保護者、地元民の激励や擁護によって監督を続投した。


ゴジラの呪い編集

松井とヤンキースに関わる2つのジンクス。


上記の通り、松井は2009年ヤンキース優勝の立役者であり、ワールドシリーズのMVPに輝いたのだが、直後に契約終了によりヤンキースから放出された。そして、その後15年以上、ヤンキースはワールドシリーズで優勝できておらず、ワールドシリーズ出場も1回のみとなっている

(ヤンキースは1903年の設立以来27回ワールドシリーズに優勝している優勝回数1位の名門であり、2009年以前の15年間ではワールドシリーズに7回出場しており、5回優勝していた。)

有力な打者を放出したのち優勝から遠ざかってしまったため、類似の有名なジンクスであるベーブ・ルースレッドソックスの「バンビーノの呪い」になぞらえて、一部のファンがこれを「ゴジラの呪い」「ヒデキ・マツイの呪い」と呼ぶことがある。


また、松井はヤンキースのGM特別アドバイザーを務めているため、ヤンキースの試合で始球式を行うことがあるのだが、2024年現在まで松井が始球式を務めた試合ではヤンキースが全敗している。こちらも「呪い」と呼ばれることがある。


2024年に15年ぶりにヤンキースがワールドシリーズに進出した際、第4試合で松井は始球式を行ったが、その試合でヤンキースは5点差をひっくり返されて大逆転負けし、1勝4敗でシリーズを敗退した。

このシリーズは優勝争いをしていたドジャースに大谷翔平、山本由伸という有力な日本選手が在籍していたため日本からの注目度も非常に高く、また試合内容もヤンキース側に通常ではあり得ないような失策などが連続したため、「松井の呪い」が日本でも有名になってしまった。


念のため書き添えておくが、これらの「呪い」はファンが勝手に呼んでいるだけで、もちろん松井自身には何の責任もないことは言うまでもない。

(なお、MLBでは他球団でも「ビリー・ゴートの呪い」「ブラックスソックの呪い」「ワフー酋長の呪い」など、実際に呪ったとされるものから本人に関わりのないものまで、ジンクスとして語られる「呪い」がいくつも存在する。上記2024年の敗戦時も、現地で最も話題になったのは松井ではなく、キケ・ヘルナンデスが発言したジョークに基づく「ファット・ジョーの呪い」だった。)


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