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張魯

ちょうろ

道教の始まりである五斗米道の創始者である張陵の孫
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概要編集

沛国豊人の出身。張陵の孫で、張衛の兄。

中国の後漢漢中で興った宗教団体五斗米道」の大成者、指導者。

教団を引き継いで3代目となっている。

黄巾の乱ののちに、漢中で独立し劉焉劉璋の親子と敵対する。


漢中における張魯の統治は当時類を見ないほどの善政であったとされている。

漢中が豊かであったこと、戦乱を逃れた人々が漢中に流れ着いていたことから張魯の勢力は簡単に手出しできないほどのものとなり、朝廷も張魯を征伐せず統治を追認した。

215年に曹操に攻められた際には、「自分は元々国家に帰順するつもりである」「宝物類は国家のものである」ことを理由に宝物類を焼き払わず封印して立ち去る潔い態度を見せた。

感心した曹操は張魯に降伏を勧告し、張魯はこれに応じて降伏。

曹操から官位を与えられその後1年ほどで病死した。

張魯の娘は曹操の子に嫁いでおり、曹操からなお重視される立場であったようである。


三国志演義では仁政については描かれず益州を狙う悪人寄りの立場で登場。

ただし、宝物類を焼き払わなかったことで曹操から評価され降伏した結末は史実と同様である。

また、側近の楊松(架空の文官)が賄賂によって讒言したことで、一時傘下にいた馬超龐徳が敵に寝返るという暗愚な面もある。


ゲーム「三国志パズル大戦」でも描かれているようにおの人という認識が高く、それは張陵から教えをうける人々が布施として五(10リットル)の米を納めた為に五斗米道の由来となっている。

その事から「米」とも呼ばれていた。


創作物での扱い編集


真・三國無双シリーズ編集


CV:龍谷修武(4)、田中大文(5、6)、滝下毅(7)、金本涼輔(7猛将伝、7emp)


武器:将剣(4、5)、刀(7)


一般武将として登場。

弟の張衛共々、戦場で妖術を使うためそれを打ち破りながら進軍するというステージもある。

4は普通であったが、4猛将伝では追加ステージでなんとオカマ口調で喋るというものがあり、プレイヤーの度肝を抜いた。

流石に5以降は、オカマ口調で喋るということはないがしたたかな策略家の面を見せることが多くなった。


関連タグ編集

三国志   道教

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