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南アジア

みなみあじあ

アジアの南部を指す地域名。
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アジアの南部を指す地域名。

おおまかにいえば「インド亜大陸+α」。


南アジアに含まれる国編集

南アジアとは何処か、何処の国を含むのか?この問いへの答えは自明ではない。例えば世界の地域区分におけるもっとも一般的な分類とされる国連統計部分類では、南アジアとは「アフガニスタン」「バングラデシュ」「ブータン」「インド」「イラン」「モルディブ」「ネパール」「パキスタン」「スリランカ」からなる。日本人の感覚でこれを見ると、中東のイランを入れるぐらいならチベットを入れろ!という反応が珍しくなかろう。より実感に合いそうなのは南アジア地域協力連合原加盟国という区分であり、下記インド亜大陸+離島国家に相当する。もっとも南アジア地域協力連合には後にアフガニスタンが加盟したので、既に乖離が生じている。


インド亜大陸に位置する国編集

離島国家編集

南アジアに含まれる場合がある国・地域編集


このような曖昧さは何処から生じるのか。そもそも南アジアとは近代の概念、およそその大部分をイギリスが植民地支配して以降の用語である。それ以前はこの地域を、東洋では天竺、西洋ではインドと呼んできた。共にそれぞれの文化で憧れや豊かさを伴う概念であった。天竺とはインダス川漢文読み、Induもギリシャ語でインダス川を示す、つまり共に外来語である。外側から憧れの地として定義されてきた南アジアとは、どのようなまとまりなのであろうか。地理を概観してみよう。

地理編集

歴史的な意味でのインドは、インド亜大陸ともいう。かつて超大陸パンゲアの一部であり、分かれて北上してユーラシア大陸と衝突することで現在のようになった。衝突した衝撃で北側に出来たのがスレイマーン山脈、ヒンドゥークシュ山脈、ヒマラヤ山脈、アラーカーン山脈。ヒマラヤ山脈を始めとしてかなり急峻であり、外部からの侵入を阻んできた。このため、南アジアの文明は他地域からの独自性が相対的に強い。強いて言えばスレイマーン山脈とヒンドゥークシュ山脈の境界、北西にやや侵入に適した高原があり、ハイバル峠を中心としたこの地域を制した文明が、次いで南アジアへの侵入に成功してきた。亜大陸の南部は三方を海に囲まれた巨大な陸地であるが、中央にヴィンディヤ山脈という山脈があって、そこでおおよそ文化が南北に分かれてきた。


古来外部から定義されて、相対的な独自性を維持してきたこの地域であるが、内在的にはどのような歴史をたどってきたか、見てみよう。


歴史編集

南アジアの金属器文明は、この侵入が比較的容易な北西部に始まる。紀元前四千年前後の事であった。やがて紀元前二千年前後に壮大な都市文明へと発展する。それがインダス文明である。彼らはドラヴィダ語族と推定され、次第に南方へと広がって今日の南インドの人々の祖先となったと考えられる。インダス文明は西方に綿織物香辛料象牙細工などを輸出する技術力を備えており、また精神世界においても今日のヒンドゥー教の原型となる信仰を既に形成していた。


やがてインダス文明の衰退した紀元前千年頃に、アーリヤ人と名乗るインド・ヨーロッパ語族が北西部より南アジア入りする。彼らは遊牧民青銅の武器と戦車の扱いに優れ、先住民族を征服した。彼らが崇拝した自然現象と関わる諸神への信仰は被征服民族の信仰と合わさってバラモン教、そして後にヒンドゥー教となっていく。ガンジス川流域に広がってマガダ国という広域王国を形成し、その中で仏教も誕生する。マガダ国はマウリヤ帝国というほとんど南アジア全域に広がる巨大帝国にまで発展し、アショーカ王の時代に最盛期となった。マウリヤ帝国が滅んだ後も、南アジア北部にはガンジス川流域を中心とした仏教あるいはヒンドゥー教を重んじた諸王国の興亡が続く。


一方、南アジア南部には紀元前後に北部からの干渉を退けた独自の王朝が、まずはゴーダーヴァリー川流域に誕生する。そしてヴィンディヤ山脈の要害に守られて、その後も北部とは異なる主にドラヴィダ語族系の諸王朝が興亡を繰り返していくことになる。同じ頃には既に亜大陸南部の海上で海の道が成立し、東南アジアから西アジアに至る海上輸送ルートが出現する。その結果、仏教・ヒンズー教が東南アジアにも伝わり、ボロブドゥールアンコールワットのような歴史的な遺跡が成立する。


海の道を通ってシンド地方に上陸し、イスラム帝国が南アジア入りするのは8世紀になる。11世紀頃には北西部陸路の通過にも成功し、南アジア北部にはイスラム諸王朝が成立することになる。そして1526年にデリー入城に成功したイスラム系王朝が、モンゴル帝国の制度も引き継ぐことでさらに強大化したムガル帝国である。アクバル大帝の時代には北部を統一し、次のアウラングゼーブ帝の時代には南アジアの大部分を統一する大国となった。アクバル帝の政策によりイスラム王朝でありながら他宗教も栄え、今日の南アジアにおける精神文化はほぼ出来上がった。


やがてムガル帝国の衰退に伴って侵入した欧州諸国、特にイギリスは南アジアほぼ全土を植民地にしてしまう。しかし南アジア諸民族の伝統は失われなかった。ついに戦後イギリス植民地の崩壊に伴って次々と独立し、今日の南アジア諸国を形成している。



関連タグ編集

インド洋 ヒマラヤ山脈/ヒマラヤ エベレスト

仏教 ヒンズー教 イスラム教


関連キャラクター編集

ダルシム…インド出身

カレクック…インド出身

アシュラマン…エントリー国がインド

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