ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

京都放送

4

きょうとほうそう

京都府と、ラジオ部門は滋賀県もエリアとするラジオ・テレビ兼営局。テレビ部門はラ・テ兼営局としては日本で最後に開局した。

今日も

KBS京都TVで

楽しい一日を…

概要

AMラジオ放送は京都府滋賀県を放送対象地域とし、テレビ放送では京都府のみを放送対象地域とする特定地上基幹放送事業者。略称KBS。通称であるKBS京都と呼ばれることが多いが、正式社名は京都放送で更に遡ると近畿放送という社名だった。

京都御苑の西側、蛤御門の向かいに本社がある。

放送局概略

ラジオ放送

系列NRN系
愛称KBS京都・KBSラジオ・KBS京都ラジオ
コールネームきょうとほうそう
親局久御山送信所JOBR 1143kHz/20kw
比叡山送信所 94.9MHz/3kw
副親局彦根JOBW1215kHz/1kw
舞鶴JOBO1215kHz/2kw
福知山JOBE1485kHz/100w

久御山送信所は日本のAMラジオ送信所では珍しい自立式鉄塔である。

テレビ放送

番組供給系列全国独立放送協議会
コールサインJOBR-DTV
リモコンキーID5
親局京都(比叡山)23ch

親局である比叡山送信所の送信アンテナがなぜか滋賀県方向にも向いており、滋賀県でも広範囲で直接受信可能。舞鶴中継局を介して福井県にも視聴者が居る模様。

歴史

JOBRのコールサインを持つことからも分かるように民放草創期からある局であるが、テレビは京都府に本社を置いていたことやラジオ関西と共に関西テレビの開局支援に回ったこともあり、独立UHF局として開局した。

また、1990年代には巨額汚職事件である「イトマン事件」に巻き込まれ、放送機器は借金のカタにされ、給与は滞ったため廃局の危機を迎えたこともあるが、従業員だけでなく市民が一丸になった努力により見事復活を果たした。

  • 1951年
    • 6月:京都放送株式会社創立。略称はKHK。呼称はラジオ京都。本社とスタジオは中京区烏丸二条上る蒔絵屋町の旧京都商工会議所ビルに置いた。
    • 12月14日:ラジオ放送本免許交付(コールサイン:JOBR/周波数1140kc/初代送信所を北区衣笠山に設置)
    • 12月24日:日本で5番目の民間中波ラジオ局として開局。17時放送開始(コールサイン:JOBR/周波数1140kc/500W)。
  • 1958年:京阪神急行電鉄株式会社(現・阪急阪神ホールディングス株式会社)、産業経済新聞社、京都新聞社、神戸新聞社、神戸放送株式会社(現・株式会社ラジオ関西)と共に大関西テレビ放送(現・関西テレビ放送株式会社)を設立。
  • 1963年11月3日:高島屋京都店に常設サテライトスタジオ第1号「ラジオ京都 高島屋サテライトスタジオ」を設置。
  • 1964年10月:株式会社近畿放送(略称KBS)に商号変更。
  • 1965年5月:新社屋が京都新聞ビルに完成。これまでの本社は烏丸通向かい側にあった。
  • 1968年12月24日:アナログテレビ放送試験電波の送信を開始(JOBR-TV/比叡山親局34ch/映像出力10kW)。
  • 1969年4月1日:アナログテレビ放送を本格的に開始。東京12チャンネル(現・テレビ東京)、日本教育テレビ(現・テレビ朝日)とネットワーク関係を結ぶ。なおラ・テ兼営局は当社以後は発足していない。
  • 1978年11月23日:国際電気通信連合(ITU)の決定により、日本国内におけるAM放送の周波数間隔が10kHzから9kHzに変更。それにより、ラジオの京都本局の周波数が1140kHzから1143kHzに変更。
  • 1981年4月:開局30周年を機に、京都新聞本社南館7(6)階から9階にあった本社を烏丸上長者町の新社屋に移転(地上5階・地下1階建て)。同時にKBS京都の呼称を使用開始。
  • 1983年:白石英司社長(兼京都新聞社社長)が急死し、内田和隆が後任社長に就任。遺産相続段階で京都新聞社とKBS両方に英司社長が進めていた不動産投資の失敗による70億円にも及ぶ簿外債務が発覚する。これが経営破綻の序章となる。
  • 1984年:簿外債務処理などをめぐり、京都新聞社が内田社長の解任要求を明らかにするが、株主総会招集直前に撤回。英司未亡人の浩子が京都新聞、英司の母がKBSを支持し、京都新聞とKBS、および白石一族内の確執が表面化。
  • 1985年〜1988年:簿外債務処理のためにKBSが切った約束手形が闇金融に流れる。イトマン事件の中心人物となった許永中に手形の回収を依頼し、手形の回収に成功。KBSは許を資産管理会社のひとつ「KBSびわ湖教育センター」の代表取締役に就任させる。
  • 1989年
    • 6月:資本金を10億円から20億円に増資。京都信用金庫傘下のノンバンク、キョート・ファンドが筆頭株主となり、関西新聞も資本参加。「最後のフィクサー」として知られる福本邦雄(父親が戦前の共産党の指導者で、転向して産経新聞の記者となった後画廊を開いて政界に裏から関わった)がKBS社長に就任(内田前社長は副社長に。またこの時竹下登の娘婿でDAIGOの父親としても知られる内藤武宣が専務として乗り込む)。
    • 12月:ダイエー傘下のダイエーファイナンス(現・セディナ)がKBS本社の建物と土地に146億円の根抵当権を設定していたことが発覚。福本社長就任直後に設立された不動産会社の「KBS開発」に対する融資の担保とされていた。KBS経営陣が従業員に対する説明を回避したため、労働組合が翌年より経営陣やダイエーなどへの抗議を行う。「京都唯一の民間放送を守ろう」という掛け声の下、リスナーやパーソナリティも参加しての運動に発展。
  • 1991年
    • 6月4日:イトマン事件強制捜査でKBSが大阪地方検察庁と大阪府警察本部の家宅捜索を受ける。直後の株主総会で福本社長、内田前社長、内藤専務らが辞任。
    • 9月:KBSが大阪地方裁判所に根抵当権設定登記抹消請求訴訟を起こす
  • 1994年9月22日:親会社の京都新聞にも跨る経営陣の内紛、イトマン事件に巻き込まれるなどで経営が悪化、労働組合有志が給与未払いを理由に京都地方裁判所に会社更生法の適用を申請。事実上倒産する。民間放送では日本初の倒産事例となる。申請前から存続運動が行われたため、放送継続。
  • 1995年8月:イトマン事件に関わった者を排除するための100%減資と100%増資を同時に行うことを柱とする更生計画を京都地方裁判所に提出。10月に認可。
  • 1996年10月:株式会社京都放送に商号変更。「KBS京都」の呼称は使用継続。
  • 1999年2月:更生計画に基づき減資・増資実施。京都新聞社が筆頭株主に復帰し、任天堂ワコールオムロン京セラなど京都に本社を置く大手企業が出資し、新資本による新生KBS京都がスタートする。京都府や京都市関西テレビも出資する。
  • 2001年9月:サンテレビと業務提携し「三都ネット」を確立。
  • 2005年4月1日:地上デジタル放送 (JOBR-DTV/比叡山親局物理23ch/リモコンキーID: 5ch)をスタートさせる。
  • 2007年
    • 4月:東名阪ネット6に参加。
    • 6月:京都地方裁判所に更生手続きの終結を申し立て。10月2日に京都地裁が更生手続きの終結を決定。
  • 2011年7月24日:地上アナログテレビ放送を終了。
  • 2018年4月2日:ワイドFMをスタートさせる。

ラジオ放送

ラジオ大阪と共にNRNの関西地区基幹局としての地位にある。毎朝5時を起点とする24時間放送を行っているが、AMステレオ放送は行っていない。また、日曜は25時で放送終了。

以前は自社制作番組も積極的に放送していたが近年は減少傾向にある。

聴取難易度

エリア外聴取難易度の高さは全国でもトップクラスと思われる。

隣接する1134kHzを、関東地方ではNRNのドン文化放送が、韓国では韓国放送公社(略称も同じKBS)がそれぞれ100kWの大出力で送信しているために、これらの影響を受けると聴取は難しい。しかし両方がそこそこ入るために打ち消しあう地域では文化放送よりもKBS京都の方がクリアに聴取できることがある。

それでも、親局の出力がKBS京都と同じ20kwなのに北陸放送と同じ周波数(1107kHz)を使う南日本放送よりはだいぶましなのだが(この2局は距離だけでなく、隣接周波数に新潟放送新潟本局の1116kHzも存在するため、非常に困難を極める) 。

逆に、1143kHz地域では文化放送をわずかな混信程度で聴取できる地域と、ほとんど聴取できない地域が混在する。

テレビ放送

フジテレビとの関係を持ち、カンテレでネットされないフジテレビ制作番組をネットすることがある。また地方局としては珍しく独自のドラマ番組を複数手がけており、その大半が産学連携により作られたものである。

関西の同業局・サンテレビとの関係もあり、不定期にサンテレビボックス席をネット、KBS京都も土曜競馬中継を長年にわたりサンテレビとネットしている。MBSABC腸捻転ネット時代は「(ABCがTBS系列に残留した上で)MBSがテレビ朝日系列を離脱しテレビ東京を傘下に収める」という構想もあったことから、テレビ朝日がサンテレビ共々関西における系列局とする考えもあったという。後にテレビ朝日系列番組の放送はABCの「夏の甲子園中継」における平日と日曜の昼時間のリレー中継という形で実現している。

テレビ東京との関係

テレビ大阪が開局するまでは多くのテレビ東京制作番組が同時ネットで流れ、サンテレビ、KBS、TXの共同制作番組もあった。

テレビ大阪開局後は枚方中継局や生駒山送信所の遠距離受信でテレビ大阪が京都市などで視聴が可能になったこと、大阪府にもKBS京都の電波がスピルオーバーしていることから同時ネットは原則として禁止されたが、現在も一部の番組が時差ネットで放送されている。その数少ない番組の代表格がテレビアニメ版ポケットモンスターである。

また土曜競馬中継はテレビ東京系の中継扱いとされ、東京競馬場中山競馬場など東日本地域からの中継はテレビ東京テレビ北海道新潟放送福島テレビからの映像を受ける(新潟放送と福島テレビは系列外だが、競馬に関してはテレビ東京とネットワークを締結しているため放送される。なお、中京競馬場、小倉競馬場は現在該当地域のテレビ東京系列局が競馬中継制作を行っていないため、夏やメインでの開催以外はグリーンチャンネルから受ける形になる)。このためサンテレビほどテレビ東京との仲が険悪というわけではない。そのサンテレビも一昔前と比べればTXとの関係は改善している。

UHFアニメ放送事情

電波が一応大阪府にも届いているので一部の作品がネットされることがあるが、大阪府ほぼ全域とその周辺地域一体もカバーしてしまうサンテレビに比べて放送数は少ない。ただしUHFアニメが全滅ということはなく、毎クール数本程度は放送がある。

逸話

  • サンテレビとは異なり、大阪への電波の届きは生駒山地や北摂山地に遮られてしまうことが多いためかお世辞にも良くはない。ただ、比叡山の東側にある滋賀県には広範囲に電波が到達しており、滋賀県内でラジオだけでなくテレビを視聴をしている人もそこそこいる。この他舞鶴局の電波が福井県嶺南の他、嶺北沿岸でも散発的に到達する地域がある。
  • ケーブルテレビでの区域外再送信は大阪・滋賀の他福井県嶺南と奈良県で実施されている。この区域外再送信には非常に積極的で「区域外再送信同意書」をKBSからケーブルテレビ各局へ送りつけたという。普通はケーブルテレビ局から区域外再送信同意書をテレビ局へ送るものである。
  • フジテレビ制作のバラエティ番組北野ファンクラブを午後10時からというゴールデンタイムに放送していた時期がある。しかもこの番組は過激すぎて度々ピー音が入ったフリートークコーナー、下ネタと稀に悪口ネタ満載の替え歌コーナーなどとてもゴールデンタイムに相応しいとはいえない番組で、それを知ったビートたけし「こんな危ない番組をゴールデンタイムに放送しているバカな放送局がある」と番組内でコメントした。なお半年ほどで放送時間が1時間半繰り下げられている。
  • 2018年7月上旬に発生した西日本豪雨にて京都府はかなりの被害を受けたが、その豪雨に伴う報道体制の影響で、同年7月6日開始予定だった「殺戮の天使」と「はるかなレシーブ」の第1話の放送を取り止め、延期した。また、前クールからの継続である「かくりよの宿飯」と「信長の忍び〜姉川・石山篇〜」の7月6日分の放送も延期を余儀なくされている。
  • ANIMAXで放送されていた「獣装機攻ダンクーガノヴァ」を、地上波で再放送した唯一の局でもある。なおダンクーガノヴァは、当局においては2014年秋に計6回、2話分を1回にまとめて放送していた。
  • 2020年4月7日、この日の夜7時にて、当時の首相である、安倍元総理が、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に、緊急事態宣言を発表する記者会見を開くこととなっいた。そのため、NHK及びそのほかの民放も、この記者会見に関する、報道特集の番組を組むこととなり、この時間帯は、どこもかしこもこの中継をやっていた。それは、いつなにがあっても通常運転をしていると、言われてるテレ東もだった。しかしそんな中、当局と、兵庫県が主な放送対象地域のサンテレビEテレだけが、この報道特集を組まず、ほかの番組を放映していた。その時放映していたのは、当局が「仮面ライダービルド(再放送)」を、サンテレビが「ぶらり途中下車の旅!」を、Eテレが「すイエんサー」を放映していた。そのため、世間(ネット)からは、称賛の声がほとんどだったが、心配の声もちらほらあった。

関連項目

文化放送お隣に同名のラ・テ兼営局がある(ただし略称は前述の南日本放送と同じMBC)。

京浜急行電鉄:当社同様、かつてKHKという略称を使用していた。

ファンタジーステークス京都競馬場で施行されている重賞競走。優勝杯を提供している。

あとがき

お休み前には

火の元・戸締りを

お確かめ下さい

コメント

コメントが未記入です
京都放送
4
編集履歴
京都放送
4
編集履歴