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概要
1990年7月24日生まれ、大阪府出身。愛称は「三ちゃん」。
フジテレビのバラエティ番組『めちゃイケ』の元メンバーとして知られ、現在は“お笑い芸人”に転向している。
後述の通り、素人からプロ転向に至るまでの特異な経歴によりネット上でたびたび議論の的となっている。
経歴
めちゃイケレギュラー入り
小学校の卒業文集に「「岡村隆史のような芸人になりたい」と綴るなど、幼少期からお笑い、そしてナインティナインの岡村隆史のファンであり、お金を貯めて吉本興業のお笑い養成所『NSC』に入学しようと考えていたが、2010年7月から岡村が体調不良による長期休養に入ったため、同年9月4日放送のフジテレビ『めちゃ×2イケてるッ!』にて、新たなレギュラーメンバーを募集する全国オーディションを開催することを知り、元から『めちゃイケ』のファンでもあった三中は迷いなくオーディションに応募。
プロ、アマ含めおよそ一万人近くの応募者を掻い潜って、見事、素人枠から唯一選出され、晴れてめちゃイケレギュラーメンバーの一人に加わった。
「大のめちゃイケファンである朴訥な青年」というキャッチコピーの下、『三ちゃん』の愛称を与えられ、イジられキャラ・マスコット的存在として扱われていた。2011年のフジテレビ新春キャンペーンではイメージキャラクターに選出されたり、時は番組内において岡村に次ぐ数のメインのコーナー・企画を持つなど、まさに破竹の勢いだった。
素行悪化〜みちのくプロレス入団
だが、メンバーに加入してから次第にテレビ慣れするに伴って、共演者やスタッフ、一般人への接し方などにおいて不遜とも取れる振る舞いが目立つようになった事から、番組側もそれまでのようにただのマスコット的存在として持て囃すばかりでなく、TPOを学ばせる目的も兼ねて、お笑い番組の出演者としての『身体を張った』企画もさせる方針に切り替える。
その一環として、2012年末にはお台場合衆国のめちゃイケブース『三中食堂』の店長として働き、2013年9月には東名高速道路・足柄サービスエリア(下り線)で行われた企画「めちゃイケサービスエリア」では『総支配人』として、2014年9月までの約1年間のイベント期間中、東京での収録以外は現地の店舗で売り子をしていた。
しかしながら、「めちゃイケサービスエリア」などの企画を通じても素行の改善に至らなかったため、2014年10月から新たな企画としてプロレスラーを目指すことになり、新崎人生率いるみちのくプロレスへ「テスト生」という形で仮入団。同団体所属の野橋太郎による指導の下、まずはプロレスラーの練習生になるためのテスト合格を目標とした。
なお、入団に至るまでの細かな経緯は以下の通りである。
- めちゃイケサービスエリア終了後間も無く、三中の自宅に直接スタッフとスーツ姿の岡村本人がで登場し、「昼メシでも食いにいこか」と誘われ、言われるがままに岡村達と着いて行く。すると三中に手渡されたのは盛岡行きの新幹線の切符であり、戸惑う三中は岡村に何処へ行くのか尋ねるが、岡村は「いいから着いてこい」一言のみしか言わなかった。
- やがて、盛岡に到着するとそのまま車に乗せられ、上記のみちのくプロレスの事務所に到着する。するとそこへ新崎が直々に出迎え、「三中君をウチで預かって、立派なプロレスラーに育てます!!」と豪語した事から新企画を三中へ打ち明けられた。
- そして、企画の詳細を三中に伝えられた際には、やはり三中本人は自信が無いと不安視し辞退しようとするが、岡村による強い力説や力技で半ば強引に説得させ、入団を促す。そして、新崎本人からも2011年に発生した東日本大震災の余波が未だ岩手にも残っており、被災者達を元気付けてほしいと懇願された事から入団を決意する。
こうして、三中のみちのくプロレスの企画がスタートした。
因みに三中は岡村に「今度はいつまでやるんですか?」と問うが、岡村は「知らん!」の一言で返されそのまま帰ってしまう。
企画の開始当初こそは、「(みちのくプロレスは)今までのどこにいた環境とも違います。一緒に住む人(=先輩レスラー)達も優しいし、すごく楽しいです」と笑顔で前向きな言葉を口にしていたものの、三中は元々この企画に乗り気でなかった。テストに受かるための練習でも、手を抜いたりさぼったりするなどいい加減な形でしか取り組めなかった。結果的に1回目のテストは不合格に終わってしまう。さらに、新崎から「三中が今まで生きてきたレベルの中で頑張ってるだけだな」とテストに向けての練習がいい加減で自己満足でしかなかったことを指摘される。最終的には、「プロレスの世界っていうのはな、子どものころからプロレスが好きで好きで、本当に『レスラーになりたい』って人が入ってきても、10人入ってきても1人残るか残らないか······、そういう世界なんだよ」とプロレスラーはいい加減な気持ちでできるものではないことを説かれたうえで、「この(テストまでの)1ヶ月間、三中の中では頑張ったかもしれないけど、プロレスラーになるのは1度諦めてくれ」と勧告を受けてしまった。それでも直後に練習生テストの再実施を志願し承諾されたことで、再テストが1か月後に行われることになった。この際、人生社長から「番組の中(=めちゃイケの企画)でのことだというのは分かっているよ」とした上で「本気で苦しんで頑張る姿をみせて、『三中(が)頑張ってるんだから、俺等も頑張ろう』と思わせないと」、「『頑張ってます』って言うな、自分で。他人(ひと)が言うから。『三中、頑張ってるな』って(三中のことをみてる)他人(ひと)が言ってくれるよ、そのうち」などと厳しくも激励の言葉をかけられた。
一方、トレーナーの野橋は「俺はお前が三ちゃんだろうが、めちゃイケから来てるメンバーだろうが関係ないから。それでこれからはより、お前に対しての見る目も厳しくなるから。生活態度や練習に対する態度だってそう。今までのやり方でダメだったんだから、それ以上に厳しくするしかないじゃん」と叱責し、それ以降野橋の指導方は今まで優しく接してきた時と比べて180度変わり、翌日以後は野橋を含む周りのトレーナーはより厳しく指導するようになる。
だが、トレーニングが過酷さが増した事から練習もより過酷になり体が追いつかなくなった事や、練習中も常に大きな声を命じられ、声を出さなければ野橋から「ちっちぇんだよ!出せったら出せ!」と罵声を浴びせられ、益々三中は練習に対して卑屈になってしまう。更に、テスト合格のノルマとして当時100kgもある体重を95kgまで減らすため、減量まで命じられ食事制限を課せられてしまう。そのため、収録のために東京へ帰省中でも好きな食事すら食べられず、スタッフの目を盗んでこっそり福徳とご飯を食べに行こうとすればスタッフから咎められられ、息抜きすら制限される日々に段々三中の不満は溜まり続けていく。
そして、再テスト1週間前、練習がより過酷になり体が追いつかなくなった事や、急にプロレス企画に参加することになった事への不安・不満などをスタッフに吐露し、(この直前、雪の山道で倒れて動けなくなり、「車に轢かれればリタイアできるだろうか」「もう死んでもいいや」と考えるまで追い詰められていたことを後述する芸人のゲスト出演の動画で語っている)ついには募り積もったものが爆発する形でトレーナーの野橋と衝突。企画のリタイアを宣言して帰京してしまった。三中のこうした行動について、濱口優は「彼が(プロの)芸人やったと考えて、『みちのくプロレスに行って、リングデビューするまでがこの企画です』って言われてやってて、途中でやめたってことは、芸人も失格やと思うんですよ。僕らもいつ、そういうの(=過酷な企画)に行かされるかも分からないし······。そう考えたときに、それ(=企画を途中でやめる)って、芸人としてもタレントとしても失格ですよね」と批判している。一方、ナインティナインの2人は、「分からんときってあるんですよね、今やっていること(=企画)が。『なんで、こんなことせなアカンねん』って。その先(=企画のゴール)がみえていないから(by岡村隆史)」、「味方がいないですよね、三中には。今、すごい孤独やと思う。(三中に手を差し伸べられる仲間が)1人でもいれば、全然違うでしょうし(by矢部浩之)」などと多少の理解を示した。
その後、兄貴分的存在であったジャルジャルに「人間関係が辛い」「ずっとプロレスばっかり」「自分はお笑いがやりたい」とプロレス企画に対する愚痴を言うが、「人間関係どうこうよりも、結局は辛いから逃げたんちゃうん?そんなことで逃げるんか!?」と問い詰められ、福徳からは「バラエティの仕事はお笑いどうこうとか関係なくてプロレスも歴とした仕事やで!それにもし、三ちゃんがプロレスラーになったらめっちゃ面白いで!!」と叱責かつフォローを促し、この厳しい芸能界で生き残るには、それなりの武器が必要だと諭した。
そして、「辛いんやったら泣いたらええ!!普通だったら止めにこんへんぞ!他人の夢を。止めにきてんねん俺たちは!!」と激励され、必死の説得により企画に戻ることを決意し、みちのくプロレスのイベントに自ら参加する。リングの上に呼び出され、野橋に「お前、昨日までみちのくプロレスの練習が辛くて、キツくて逃げ出したろ。(プロレスの世界は)頑張るのが当たり前の世界。お前がプロになるには今よりももっと辛いことが待っているけど、それでもプロレスラーになる覚悟はあるか」と問われる。「はい!あります」と宣言したのち、野橋から平手打ちを1発食らったことで1回目の脱走はひとまず許されることになった。それから、みちのくプロレスの合宿所に戻って練習を再開。結果、年を跨いだ2015年3月に再テストに挑んで見事合格。応援に駆け付けたメンバーからも称賛され、一時は厳しいコメントをした濱口も「新メンバーオーディションの頃が蘇って胸が熱くなった」と見直していた。
そんな中、チビタイガーマスクに扮した岡村からは「ここにいるメンバーやめちゃイケスタッフが君に一番注目していたかわかってるかな?なぜなら君が一般人だからです‼︎一般人だからこそ君にどうすればいいか考えていたんですよ」と三中が芸能界で成長させるために総動員であらゆる策を考えていた事を告白。更に岡村は「君は今まで散々辛いと言ってましたけど僕からしてみればまだまだ甘いですよ。辛いのはこれからなんですから」と叱責し、これから更に辛い試練が三中に待ち構えていることを伝え、終いには「そのためにもう、素人扱いはやめてこれからは我々と同じプロ一線で活躍していきましょう」と告げて、その覚悟を確かめるために互いにビンタの撃ち合いをしながら再テストは幕を閉じた。
こうして、改めてプロレスラーデビューを目指して企画に取り組み始める。
二度目の脱走〜みちのくプロレス退団
ところが、同年の7月中旬。企画途中経過でのマンネリ化が進んだ事から企画が停滞し始め、東京での収録にも呼ばれず、みちのくに入り浸る日々が続く。そのため、テレビやメディアでも全く取り上げてくれない日々が続き、さらにそれまで撮影に関わっていたスタッフも27時間テレビの準備に追われていたためそれ以降は自分でカメラを回して状況を説明する様に命じられる。この頃から三中は「自分はめちゃイケから忘れ去られている」という焦燥感にも駆られていた。更に体力的な限界に加え人間関係の不調、そして周囲の誰もが企画に打ち込む自身に構ってくれないことへの不満、試合後に血まみれ、傷だらけになって戻ってくるレスラーたちの姿を見て「自分もあれをやらされるのか」と考えると怖くて先に進めなくなった事などの複数の原因が重ねに重なり、精神状態が不安定になったこと。更にそこへきて、プロレス企画への不安やめちゃイケ加入以前より燻らせていた『プロのお笑い芸人になりたい』という志が再燃したことを理由に、27時間テレビ放送直前に再びみちのくプロレス合宿所から脱走して勝手に帰京。
なお、フジテレビ側は三中が脱走した事をみちのくプロレスから知らされると、27時間テレビの収録が迫っていたことから、終わり次第に詳しい事情を確かめるつもりだったが、その後の三中は事あるごとに理由を付けて収録を休み、そのまま連絡が取れなくなってしまう。
これを受けたトレーナーの野橋は「もう諦めましょう。本人に戻る意思がないのならどうしようもありませんよ」と新崎に企画中止を促すが、新崎本人は「もう少し彼の様子と状況を見てから決めよう」と判断し、この時点までは企画の打ち切りまでは踏み出さず、当面の間は企画休止という形を取った。
しかし、そんなみちのく側の配慮も知らず、三中はこの脱走中に、旧友であった吉本興業のアイドルグループ「L.A.F.U.」のメンバー 臼杵寛を誘い、お笑いコンビ『ワンハンドレッド』を番組側に無断で結成。さらには、やはり番組への相談も一切ないまま幾つもの芸能事務所やタレント養成所へ履歴書を送ったり、オーディションに参加していたことも発覚。
当初、三中は芸能事務所関係者に対して『めちゃイケ』の名を騙り、これは番組の企画の一環だと説明していたが、質問に対して次第に辻褄が合わない部分が見え始め、不審に思った関係者がフジテレビに問い合わせた結果、全くの事実無根である事が判明し、この問題行動が明らかになった。
そして、三中の状況報告の際にそれらの事実を把握した野橋は、上述のやり取りの末に一度目の脱走を赦していたこともあってか殊更に失望・憤慨し、「アイツは(『もう逃げない』って)リングの上で交わした約束を平気で破りやがったんだぞ! その挙げ句にプロレス放っぽって、お笑い(芸人を目指すの)かよ!? ふざけんじゃねぇよ!」と三中の言い分を一切否定した上で「こんな舐めた真似をする奴はもうプロレスラーとして信用できないし、そもそもなる資格すらない!そっち(めちゃイケ制作陣)がいくら連れ戻して謝らせても、俺はもうアイツを許す気はないし、何も教えてやろうとも思わない!」と三中を完全に見限る形で指導役から降りることを宣言。更に他の所属レスラーからも「これ以上、あんな奴のためにみちのくプロレスが振り回されるのは耐えられない」とこれ以上の企画への協力を拒絶されてしまう。
なんとか野橋らを宥めようとした新崎も、最終的に「いくら無理に連れ戻したところで結局はまた同じこと(脱走)が繰り返されるだけではないのか?」と諦めてしまったことから、プロレス企画は事実上継続不能に陥ってしまう。
この危機的状況を危惧した番組側は三中に対して番組に関わる重要な話と半ば脅しをかける形で呼び出すと、それにやっと応じる形で話し合いの席に現れた。
その際、三中は無断でみちのくプロレスから逃げ出し、そのまま雲隠れしていた事は謝罪するも、同時にみちのくプロレスを辞めたいと要求する。
その理由として三中は
- 入団当初より更にトレーニングが過酷になったことから身体ついて行かなくなった。
- その間でみちのくプロレスのトレーナーや先輩との人間関係が更に悪化し、自身の居場所が無くなった。
- そして、自身が子供の頃から憧れていた芸人の道を目指したいという熱意が再燃し、興味も無いプロレスラーでは無く憧れの芸人を目指したいという夢を持った。
という具体的な理由をスタッフに打ち明けた。それに対して、スタッフ側は多少の三中の苦悩や心情は理解出来たが、言うまでもなくみちのくプロレスはれっきとした仕事であり、加えて本企画は三中の人格改善を目標としている為、本人が改善の兆しすら見れない状況で彼の要求を呑んでしまえば更に素行が悪化してしまう可能性もあり、ましてや三中の言い訳も殆どが自分の都合に関する事ばかりで、趣味ならまだしも番組企画を途中で放棄するのはやはり許可出来ず、引き続きみちのくで頑張るように命令する。
だが、三中自身も今度ばかりは周囲が幾ら説得を重ねても一切首を縦には振らず、「自分で決めた事なので辞めさせていただきます」と企画辞退を番組側へ申し出た。
その為、一部のスタッフからは『プロレスを続けながらお笑いもやる』という妥協案も出されるが、三中は「それだと中途半端になるからお笑いだけを本格的にやりたい」と突っぱねてしまう。
一方で「みちのくプロレスでの経験を活かし、アマチュアレスラーとしてデビューする」という三中からの妥協案も提示されるが、番組側はそんな中途半端な内容を呑むはずが無く、最初の目標どおりプロレスラーとしてデビューするのが目標だと決定付け、この妥協案も却下された。だが、三中は自身の要望も聞いてくれない事に苛立ちを隠せず、とうとう「こうなったら何を言われても絶対にみちのくには戻りませんから!」と駄々を捏ね出してしまう。
そして、痺れを切らしたスタッフ達も「いい加減にしろ! めちゃイケは君一人だけの番組じゃないんだよ!」と怒りを隠さなくなり、最終的に「番組から「やれ」って言われたらそれを最後まで続けることが君のここにおける仕事なんだよ。もし、僕らよりも偉い人達から『もう一度みちのくプロレスをやれ』って言われたらどうするの?」と警鐘を鳴らされるが、それでも三中は「誰から何を言われようと絶対に戻らない」とみちのくプロレスに戻ることを頑なに拒否し、「例え、戸渡(総合演出)さんにだって企画は辞めると言いますから! とにかくお笑いに専念させてください!」と断固として譲らなかった。これにはスタッフ達も精根尽き果て「ならもう勝手にしろ!」と匙を投げたことで、結局話し合いによる説得も最後は「あとでどうなっても俺達は知らないからな!」と喧嘩別れも同然に決裂してしまった。
そうして三中を説得できなかった番組制作陣はみちのくプロレスと改めて合議の末、これ以上の企画継続は不可能という結論に至り、同年9月、企画の打ち切り及び三中のみちのくプロレス脱退が決まり、プロレスラーデビューは夢幻と消えてしまった。
なお、それまでみちのくでの三中の活動記録を配信していたYouTubeチャンネルの『みちのくさんちゃんねる』は、今回の件について表向きでは最終回と発表し配信を終了した。また、その動画では今まで悶々としていたのが嘘のように大喜びしている三中が映っていた。
事の一部始終をスタッフから一足先に聞かされた岡村は「やっぱりアカンかったか…でも一度逃げた奴にみんなから『もう一度頑張れよ』って応援してもそらまた逃げるわなぁ…」とこの企画の行末を少なからず予感していた。
後日、改めて岡村とスタッフはメンバー全員を招集し、「三中なんですけど、みちのくプロレス。辞めました‼︎」と企画が完全に打ち切りになった事を報告し、それを知らされた他のめちゃイケメンバーも「また逃げたん!?」「なんで!? やるって言ったじゃん!?」等と以前の脱走騒動の時以上に驚いたり、呆れたり、怒りを露わにした。
特に一回目の脱走騒動で三中を叱咤激励して復帰の後押しをするなどして支えてきたジャルジャルの2人は「あの時に僕らが何時間もかかって説き伏せたのも全部無駄になったって事ですよね…(by.福徳秀介)」「悔しいというより『ふざけんな!』って気分ですよ。俺達一体何のために、アイツを説得しに行かされたんですか?(by.後藤淳平)」と自分達の説得も徒労にされたとあってか、あからさまに嘆息し、それを聞いた岡村も「俺も『プロ意識を持て』って散々言って聞かせて、アイツも『ちゃんとプロレスラーになる』って答えとったくせに、半年も保たんとこれ(企画放棄)やで…? 結局、俺らの言うことなんか何一つ三ちゃんの心の底までは届いとらんかったっちゅうことやな…」とかつて再テスト合格時に自分が諭した言葉や、周囲からのアドバイス、エールも全て無碍にされたと落胆していた。
さらに、上述した三中の『お笑い』に拘る想いを聞いた加藤浩次は「一回逃げ出してるし、もうこんな感じでは(みちのくプロレス復帰は)無理だよね」と諦めた上で、「そもそもアイツの考えてる『お笑い』ってなんなの? プロレスだって、その気になればいくらでもお笑いに繋げられんじゃん? 結局、単に(企画から)逃げたかっただけでしょ?!」と実際に自身も過去にプロレスに纏わるコント企画をやっていたこともあって、三中の言い分を完全に否定。濱口も「何をいっちょ前に生意気なこと言うてんねん!そういうのは何十年も頑張っている奴のセリフや!少しは自分の立場弁えろよ!ホンマ、根性無さ過ぎやろアイツ!」と、プロレス練習生テストに必死の努力で受かった際に三中を見直していた事もあって、メンバーの中でもとりわけ憤慨していた。
そんな中、矢部は「三ちゃんの気持ちかて解らんことも無いけど…。せめて行動起こす前に、少しは俺らにも相談して欲しかったな…」と三中へ多少の理解を示しつつ、気遣う姿勢を見せ、同じく雛形あきこも「正直言って私は、(この企画は)長くは続かない気がしたんですよね…。そもそも芸歴の短い彼があんな体力企画を誰の応援も無しにたった一人で遂行すること自体、無理があったんですよ」と三中の苦悩に同情していた。また、福徳も「勿論三ちゃんにだって良いところもちゃんとあるんです。けど、だからこそ心配なんですよ。優しいアイツが芸人になったらどんな仕打ちを受けさせされるのか…? そして、プロレス(企画)もアカンかった奴が、ホンマにそれに耐えることができるんか?…最悪、お笑いも「辛い」とか言うてまた逃げ出すんちゃうかな…って」と三中へのフォローや気遣いも交えつつも、お笑い芸人への転向については不安の弁を述べていた。
すると加藤が「こうやって皆が怒ったり、心配になるのも分かるけどさぁ…言ってみれば三ちゃんの人生でしょ? 『お笑いをやりたいなら、やっていいんじゃないの』と思うけどね」と半ば諦めるかの様に妥協案を提示したのをきっかけに、岡村が「『お笑いの世界だって厳しいんですよ』っていうのを三中に分かってもらいましょうよ」と三中が本当に芸人になる覚悟があるのか確かめようと提案する。岡村曰く、芸人の中にはバイトしながらネタを考えて生活しており、それでも売れず何年も日の目を見ない芸人が多くおり、岡村を含むメンバー全員がそれを経験をしながら活躍している。そんな売れる保証もない厳しい世界でプロレス企画さえも逃げ出した三中が頑張っていけるのかという試練を与える必要があると説いた。
そのため、メンバー達は『三中が自発的にこの話を持ち出してくるまでは、彼が芸人になった事は知らない風に装い、その時がきたら改めてプロレス企画をお蔵入りしたことついて追求しつつ、「その負の面を抱えながらも頑張っていけるのか?」そして、「芸人の世界で活動するというのはみちのくプロレス以上に厳しい」というのを伝え「それでも頑張れるのか?」と問う』という体にして、しばらく様子見する方針を定めた。
みちのくプロレス退団後〜波乱の芸人転向
その後、なんとか番組からはプロ芸人転向を認めてもらえたものの、それまで番組では主にいじられキャラという立場で際立ったトーク術や持ちギャグも皆無であった事もあり、その後のオーディションでの三中は、吉本興業のネタ見せオーディションにおいては、ナインティナインが若手時代に披露したネタをコピーしたも同然な漫才を披露した事で、密かに見守っていためちゃイケメンバーや、オーディションの審査員役の講師から「基本的にパクリ」と酷評されてしまう。
そこでコンビ名を自身と臼杵のラッキーナンバーである「3」に因んだ『サンプライズ』へと改名して完全オリジナルのネタで勝負する方針に切り替え、来る2016年2月19日。合格したよしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属することを決める。
因みに三中はよしもと以外にも松竹芸能、ホリプロ、人力舎、グレープカンパニー、ASH&Dの計5社にもオーデションを受けたが、合格したのは上記のよしもととグレープカンパニーだけだった。その理由は基本的によしもとは来るものは拒まないという緩すぎる体制であり、グレープカンパニーは新メンバーオーデションに参加していたトミドコロからの推薦があったため、つまりは偶然とはいえコネによるものであった。
一方、三中を落とした他の残りの4社の内、ASH&Dは「社のイメージにそぐわない」、それ以外の3社全ては「養成所から通い、基礎から身につけるべき」というのが不合格の理由だった。
そして最終的にめちゃイケメンバーである憧れのナインティナインや兄貴分のジャルジャル、加藤と同じ事務所であるよしもとに所属する。
メンバーからの糾弾〜めちゃイケ降板
こうして正式に本職であるお笑い芸人の肩書きを持つ事とが出来、2015年年末のとある企画会議終了後にプロのお笑い芸人に転向した事を全メンバーに発表した三中であったが、先述の経緯通り、敢えて知らなかった体をとりながら、岡村達は三中のカミングアウトを聞き入れた。しかし、『番組から与えられた企画を二度も投げ出した挙げ句、放棄してお蔵入りにしてしまう』というプロ意識に欠けた真似を犯しながら『“プロ”のお笑い芸人に転向する』という矛盾した行動について、自分達が納得させるような説明もなく、事務的な報告しかしなかったがために、他のめちゃイケメンバー達からは失望や懸念、怒りの声が相次いだ。
当初岡村は三中のカミングアウトに対して、「もし、三ちゃんに"お笑い芸人"という肩書きがあればプロレス企画は出来た(最後までやり遂げた)かな?」と穏便に問いただすが、三中本人は「出来てなかったと思います」と返し、例えお笑い芸人になってもプロレスの仕事はしたくはなかったと遠回しに伝えた。
それを聞いた岡村は呆れ果て、「なかなかのワガママお笑いやな。(そんな選り好みしてたら)仕事なくなるぞ」と『お笑いはやりたいけど身体を張る仕事はできない』と言ってるも同然な三中の身勝手極まりない弁解に皮肉を交えた苦言を呈す。
対する三中も「企画に戻ってからも人間関係が改善されなかった」「途中から自分の企画に誰も関心を持たなくなって、カメラも回ってない中で一人でずっと寂しかった」「プロレスじゃなくてお笑いがやりたかった」と反論するが、岡村は「カメラ回ってる回ってないとか関係なくて、やってる人(プロの芸人)はちゃんと(自分に与えられた企画を)やってるよ」と一蹴し、プロの芸人になりたいならどんな状況でもやるべき事はちゃんとやらなければならないと指摘した。
更に岡村は「結局は「これでいいわ(いつかはお蔵入りになる)」っていう気持ちに、何処かでなってたんやないか?」とプロテストに合格した時の三中への激励も全く響いておらず、結局は真剣に取り組んでいなかったものと落胆していた。
同じく加藤は若手時代に高所恐怖症にもかかわらず無理やりスカイダイビングをさせられた自分の経験を語り、「芸人が嫌いなことや嫌なことは確実にやらされる」という芸人やバラエティの世界の過酷さを諭した。更に加藤は「今は周りから散々言われて三ちゃんは鬱陶しいと思っているかもしれないけど、これからはもう誰も何も言わなくなるよ。それがプロだからね」とプロの世界に入ったら、今の様に周りから粛正して貰えるようなこともなく、そしてそれがどれだけありがたい事であるか否が応でも思い知らされることになると諭した。
また、濱口や紗理奈はメンバーの中でも特に三中の一連の行動に対し憤慨しており、濱口は「ナイナイのカッコいい部分だけをやりたいだけやねん!ズルいよそれ、(そんなんでお笑いなんて)ムリだよ」とプロ意識がまるでない今の姿勢で、芸人として成功できる算段は無いと断言し、「逃げてお笑いなのか?だったら(お笑いを)ナメるなよって話やで!」と、芸人になろうという意思も結局は『ただ辛い企画から逃げ出したいための建前』に過ぎないことを指摘し、そんな安易な理由で芸人で志した三中の考え方を徹底的に批判した。続け様に「逃げた仕事はまた来るよ!」と一度逃げ出したからってそう簡単には周りは許してくれないと警鐘を鳴らした。
同じく紗理奈も「(今の自分の立場や、芸能界の厳しさを)わかってない気がする。あたしだったら今の(素人という)立場を捨ててプロになろうだなんて思えない」とプロとして芸能界で活躍するのが如何に難しいのかを訴え、タレントとして何のスキルも得ていない上に、『素人』であるからこそ他の出演者と比較しても好待遇で扱われている今の環境を棄て、プロに転向しようという三中の行動はあまりにも無謀である上に、恩知らずである事を指摘した。
また、光浦靖子は「(人間関係がどうのこうの言ってるけど)お笑いのほうが人間関係大変だよ。バラエティ番組っていうのは皆で作るんだから」と、テレビやお笑いの仕事はプロレスよりも厳しいと諭すと同時に「プロになるからには、これからの事は全部自分で責任取りなよ」と、今後は誰も三中の後ろ盾になるつもりはないし、プロになってから後悔する事になっても助けてあげるつもりはない意志を示す。
武田真治も「これからは誰ももう『頑張れ』って言わないよ、三ちゃんに」と、加藤同様に今後もしプロのお笑い芸人としてめちゃイケに残るつもりなら、以前のような甘い対応はしないとコメント。
止めと言わんばかりに重盛さと美は「いつもご飯を食べに行った時とかよくコントをやってて、全然面白くないのに『スゴイ』って言ってたけど、(プロになったら)『面白くない』って言っていいってことだよね?」という彼女らしからぬ厳しいコメントに加えて過去に自分のことを「ボケの塊」と自称していたことも明かし、「(面白くもないのに)自信だけは人一倍あるから心配」と辛辣な言い回しで詰問。
そんな中で、矢部は上記のみちのくプロレス脱走についても触れず、今後の三中の芸人目標についても濱口達の様に責めたりはせず、冷静且つ中立的に対応した上で、「もし、本当に三ちゃんがお笑い芸人になるんだったら少なからず、見方は変わるかもね。素人じゃなくてこっちはプロとして見るから」と、芸人になる以上は今後めちゃイケでは今までみたいに優しくはせず、プロの芸人として厳しく接していく事を伝え、また、雛形も「意見があるならちゃんと自分の口から言った方がいいよ。(言われたことに)『はい』とか『うん』(とか応えてる)ばかりじゃなくて」とプロとして活動していく事を認めて貰いたいのなら、今の自分の主張はしっかり伝えていかなくてはいけない事をアドバイスし、同様に福徳も「『自分はお笑いがやりたいんです』っていうアピールをもっと出した方がええんちゃう?」とフォローし、辛いのが嫌でプロレスを辞めたのかお笑いをやりたいからプロレスを辞めたのかをはっきり考えを示した方が良いとアドバイスをした。
だが、そんな周りから促されなければ意思表示もできない三中の姿勢に加藤や濱口は苛立ちを隠せず、加藤は「なんでそれを三ちゃんの口から(自分で考えて)言えないんだよ!」と指摘し、濱口も「それでお笑いなんて無理やぞ!」と批判の色をより強くした。
すると三中は、かつて岡村が参加していたオファーシリーズのボクシング企画を引き合いに、「岡村さんだって1年間もボクシング企画をやらされてたじゃないですか。やりたくも無いのに無理矢理嫌々ながら。僕はそこまで自分を傷つけてまでやりたくはありませんよ!」と訴えるが、岡村は「あの企画は正直に言って辛かったけど、あの企画があったからこそ今の俺がおるんや。その企画で得たスキルを他の番組でも活かせたのは事実やから、決して無意味じゃないよ」と、どんな企画でもその企画から得た経験は必ず将来に役に立ち、決して無駄では無いと諭した。
それでも三中は「例え仕事でも出演者である僕にだって多少の拒否権くらいはあってもいいじゃないですか!」と反論するも、それに対して加藤が「そんなの言い出したら、それこそ"ワガママお笑い"そのものだぞ! さんまさんやたけしさんみたいな大御所の方ならまだしも、俺らでさえそんな権利ないっていうのに、三ちゃんみたいな経験の無い素人にあるわけないだろ!」と一蹴し、続けざまに「大体お前あの(入団テストに合格した)時、岡村に『素人気分は辞めろ』って言われてたろ!? だったらそんな甘ったれた考え、いい加減捨てろよ!」と叱責したことから、とうとう三中も「加藤さんはやってないからそういうことを軽々しく言えるんですよ!」と逆上して、一触即発になる場面もあった。
見かねた有野晋哉が仲裁に入りながら「プロになるって決めた以上はもう覚悟を決めてやろう。勿論それで僕らを含め周り(世間)からの見方は変わると思うけど、それならもう一度気持ちを切り替えて一緒に頑張っていこうよ」と三中を宥め、励まし、最後に矢部から「じゃあ、これからはプロとして活動するって事でいいね?」と三中の覚悟を認識する形で半ば強引に話し合いは終了した。
後日三中を除いたメンバー達で改めて話し合いが行われ、一部のメンバーからは三中への不平不満が飛び交う中、大久保佳代子は「私はまだ完全に嫌いになったわけではない。彼にも面白いところがあるのなら、それを見てみたい気もする」と珍しく三中を擁護する意見を述べ、福徳も三中がプライベートで起こしたアクシデントに触れつつ、「変だけど面白いところもある」とコメント。それを聞いた岡村も自身もかつて武田真治が好きではなかったが一緒に仕事しているうちに打ち解けていったという経験を引き合いに出し、三中にもいいところはあるかもしれないとフォローしていた。
その後、『フジ縛霊』のコーナーで三中がプロの芸人に転向した事を世間に公表したが、この際にもスタジオに姿をみせた新崎、野橋、「みちのくプロレス」所属の佐々木大地の3人と久しぶりの再会となるにもかかわらず、三中からは何のリアクションもなかったことに対して、加藤は「みちのくのお三方が入られたときに、(三中は)立って挨拶すべきだったと思う」と指摘した上で、「座ったままだったのが、腹立ってしゃあないもん!」と、先輩方に対する非礼に立腹。岡村もそこに割って入り、三中が自身に用意されていたケータリング用のドリンクを全部飲んでしまったと暴露し、「腹立ってしゃあないわ!」「お前、ほんま(礼儀知らずも)えぇかげんにせぇよ!」と礼儀のなさを訴えるも、三中はだた黙りこくったままだった。
加えて、当然ながら肝心のゲストとしてスタジオに居合わせた吉本の先輩芸人達からは少しも称賛・歓迎されないばかりか、めちゃイケメンバー同様に厳しい糾弾の声を相次いで浴びせられてしまう。
特に自身の最大の売りであった『素人』の肩書を捨てたことについては、トータルテンボスの藤田憲右が「舐めんなって話ですよ!プロを!甘ちゃん過ぎて腹立ってきますもん!」と濱口同様に、この時点で芸人としてのプロ意識が欠けていると憤慨。インパルスの板倉俊之も「まだここにいない、陽の目を見てない芸人が一番腹立ってると思う」とめちゃイケ新メンバーオーディションの際に合格を目指して必死でネタ作りや一芸を磨こうと頑張っていた他の一般人の参加者達や、オーディションに不合格だったために解散したお笑いコンビを愚弄するも同然の行いだと指摘するなど、激烈な批判を浴びせられることとなる。
また、藤崎マーケットのトキは「プロになれば肉体がボロボロになる。それほど恐ろしいプレッシャーに襲われる」と、プロになれば誰にも頼ることができず、少しでも判断を誤ればいつ仕事がなくなるかもわからない恐怖に襲われると警告し、千鳥のノブも「三ちゃんはずっとめちゃイケのスタッフと一緒だから簡単に番組に参加から楽だけど、僕らみたいに番組レギュラーを持たない芸人は事ある毎にスタッフや演出家の意見を聞かなければならないから大変なんだよ」と光浦同様に芸人に転向すればプロレス時代以上に人間関係が更に複雑になることを諭し、本当に頑張っていけるのか不安を隠せなかった。
そして5年前に新メンバーオーディションの最終選考で三中と争っていたダイノジの大地洋輔は、三中にレギュラー権を奪われた時には彼が『素人枠』であったがために諦めもついていたが、そんな三中が実に身勝手な動機で『素人』の立場を捨てて自分達と同じお笑い芸人となり、それでいて尚もめちゃイケにレギュラーメンバーとして居続けようとすることに対し「(このまま思い通りにさせたままなのは)ダメだと思うよ!本当に!気持ち軽いでしょ!?」と異議を唱え「番組から与えられた企画をやってみてやっぱしんどいから辞めるってさ。「じゃあ次はプロの芸人でやる」って、それでめちゃイケには残る気でいるのかよ!?それ、おかしいでしょ!?」と涙ながらに批難した上で「プロになるって言うなら、もう一回スタート立って(めちゃイケメンバーの)オーディション受けろよ!!」と抗議した。その言葉から「それは理に適った話や」、「改めてプロとしてオーディションを受け直さなければ世間は認めてくれない。『プロになる』って事は、そういうことなんやで」と周りから諭され、新崎からも「お客さんは三中がいなくても生きていける。でも、三中はお金を払ってくれるお客さんがいないと生きていけない。プロになるのであれば、それをちゃんと考えてやってほしい」と言葉をかけられた事から三中はオーディションを受け直すことを決意。
その際、武田から「このオーディションの意味が本当にわかってるの?『オーディションは不合格でした。また来週!』じゃないんだよ!もし不合格だったらそれこそ本当に僕たちとサヨナラになるんだよ!それを分かっていってるの?」と三中の曖昧な態度を不安視していたが、流石の三中もこのオーディションの結果次第で自分の今後の芸人人生の苦楽が大きく左右される事は理解しており、翌日以降は毎晩楽屋に泊まり掛けでネタ作りに精を出し、上述のメンバー会議以降関係が険悪だった岡村や濱口の元へ自ら出向きアドバイスを聞き、見知らぬ人に声を掛けてネタを見せるなどオーデションに向けてひたすらに練習を重ねた。そして、同年2月27日に放送された「真冬に汗をかきまくれ 国民投票だよ全員集合 全力の生スペシャル!!」にて、“プロの芸人”としてめちゃイケに残留するか否かを賭けた再オーディションを行うこととなった。
当日の生放送では視聴者がデータ放送やスマートフォンで投票し「合格」「不合格」のどちらかに投票できるという形式で行われた視聴者投票による『“芸人”としてレギュラー参加をかけた再オーディション』を受け、生放送の中でお笑いコンビ『サンプライズ』として漫才を披露したが、約63万票の投票を集めた結果、最終的な投票で合格ラインを超える支持率を得られず不合格となってしまい、三中の「めちゃイケ卒業」という名の降板が決定した。
再オーディション終了後、フジテレビのネット配信番組にて中継された残念会の中で、再オーディションのゲストだった出川哲朗の助言もあり、コンビ名を正式に『dボタン』に改名し、名実共に一人の駆け出し芸人から再スタートすることとなった。
三中のプロ芸人としての最初の仕事は、再オーディションにゲストとして呼ばれていた新崎からのオファーで、翌日都内で開かれるみちのくプロレスの試合におけるMCの仕事であった。
しかし、やはりプロレス企画の一部始終を見ていたみちのくプロレスのファンからは、新崎達への不義理や、プロレス企画を台無しにしたことで、めちゃイケはもちろん、みちのくプロレスの面目までも潰したことに対する凄まじい怒りを向けられ、酷いブーイングや野次を浴びせられたり、空き缶やペットボトルなどを投げつけられるなど、終始身の置き所がない状態でMCの仕事をこなしていた。
そんな中、試合後に元トレーナーの野橋がリングの脇にいたdボタンの2人をリングの上に呼び出した。
リング上で対峙した野橋は、半年しか経っていないというのにすっかり企画を始める前の体型に戻ってしまった三中の姿を見て、プロレス企画終了後、連日連夜知人・友人達と趣味の食べ歩きや、飲み会や合コンに明け暮れるなど企画の間抑制していた鬱憤を晴らすかのごとく不摂生な生活を続けたことを指摘しつつ、「俺がお前を鍛えた1年は、一体なんだったんだよ…?」と呆れ、「2度目の脱走の際は、失望したというよりは凄く悔しかったし、なにより悲しかったよ…。『もう逃げない』って言ったお前の言葉を信じて、指導してきた俺達の期待が見事に裏切られたんだからさぁ…しかも、まさか『何の挨拶もなしに、勝手に全然別の世界の敷居跨ごうとしていた』なんてふざけた真似しやがったのはお前が初めてだよ」と三中に対する複雑な想いを吐きつつも、三中がお笑いに対しては全力に取り組んでいることは認め、「お笑いをやると決めたのはお前自身なんだ。この先どんな困難がお前を待ち受けているかは分からないが、これはお前が行くと決めた道なんだから、今度はもう簡単に逃げたりすんじゃねぇぞ」と激励。
三中も涙ながらに「皆さんの期待を裏切る様な真似をして、本当にすみませんでした……」と謝罪し、最後は野橋、そして人生社長と固いハグを交わした。最終的に三中(と『相方の不祥事の連帯責任』として一緒に制裁を受ける事となった臼杵)への制裁は、一回目の脱走騒動の時と同様にケジメのビンタを一発だけ浴びせる事で手打ちとすることで、新崎や野橋とは和解を果たしたのだった。
そして、翌週の2016年3月12日放送では三中最終出演回として、和解した野橋達や臼杵と共にヤンキー風の学ラン、メイクでめちゃイケのレギュラーメンバー達に不満をぶちまけながら、彼らをプールに投げ落とすという、『お礼参り企画』が執り行われ、この回をもって三中は番組から正式に降板となった。
めちゃイケ降板後~コンビ解散
しかしながら上述の通り、企画放棄や独断でのプロ芸人転向からの半ば懲戒免職も同然に降板する形となった三中は、その後、めちゃイケ視聴者を中心とする世間から露骨な嘲弄や誹謗中傷を一身に受ける羽目となり、めちゃイケ降板と同時にそれまでアルバイトとして活動したフジランドからも解雇された上にお台場本社ビルをはじめとしたフジテレビ系列の全企業や関連施設への出入り禁止を言い渡されてしまう(上述しためちゃイケ最後の出演回となった『お礼参り企画』も収録はフジテレビのスタジオではなく都内某所の学校のプールで行われた)。
そのため、唯一の収入源を失った三中は新たにアルバイト先を探すも、上記の様に負の一面を世間に曝け出してしまったが故にどのアルバイト先からも「めちゃイケの時みたいにすぐにサボったり、逃げたりされると困る」、「君を雇っていると知られたらウチまでイメージが悪くなる」等と悪印象が押し付けられ、結局、どこからもすげなく門前払いを食らうこととなってしまう。
なお、肝心の芸人の仕事においては、降板後に短期間の間のみ吉本興業グループの神保町花月劇場での前説を行っていたが、ネタのクオリティが千鳥を丸パクリしたものだと観客や配信視聴者から指摘され、全く評価されず、ゲストで招かれた江頭2:50からも「お前じゃ(お笑いは)無理だ!」「絶対売れねぇよ!」と一蹴される始末だった。その後は番組や劇場のオーディションも全く受からない状況が続き、自身が元めちゃイケメンバーだという武器をアピールしても全く見向きもされないばかりか、先の素行不良や企画放棄の件を引き合いに罵倒、嘲笑され、事務所のネタ見せの際にもスタッフからは「面白くない」の一言で返されてしまう程の散々たるもので、めちゃイケ時代と比べて仕事が全く無い日々が続き、芸人としての収入も皆無に等しかった。
この困窮した状況を番組スタッフを介して耳にしためちゃイケの放送作家の鈴木おさむから、自身の経営するちゃんこ屋でのアルバイトの誘いを受ける。それを知らされた三中は是が非でも飛び付き、彼の店のアルバイトの面接を受ける。その際の面接官には鈴木本人と自身もアルバイト経験のある大地と新メンバーオーディションに参加していたあかつを含む複数の芸人が担当した。
そして、まず鈴木は三中の現段階での状況と今後の目処について尋ねる。すると三中は上記の困窮状況に加え、更にアルバイトはおろかオーディションすら一つも受からず、芸人としての活動は降板以降全く出来ていない切羽詰まった状況を告白した。
それを知らされた鈴木は「辛いのはわかるけどそれは身から出た錆だし、ましてやそんなことはデビューしたての無名芸人には誰だって経験する事だ。そうやって地道に苦労を重ねて芸人として成長するものなんだ」と芸人として売れるまでが如何に過酷かを論した。
続いて、鈴木は三中に普段心掛けていることについて尋ねると三中は「まずは挨拶ですね」と即答。すると鈴木は「挨拶は(芸人に関係なく)当たり前だろ!」と一喝。その後も会話の中で三中が一般人を「素人」と呼び捨てたのを聞いて「素人”さん”!呼び捨てするな!」と注意したり、プロレス企画の話をする際にも「(みちのくプロレスは)地獄でした…」「もうあんな所は二度と…(行きたくない)」と不平や不満ばかり零す三中に対し「芸人だったら、こんな時くらい良い思い出や面白おかしかった思い出を話したりして、みちのくさんを立ててあげたり、場を盛り上げていくようにしなきゃ」と説諭するなど、未だに一般人気分が抜けきれず、芸人らしい話術も身についていないことを指摘し、苦言を呈す一幕もあった。
同じくあかつも三中に対し「企画を与えてもらっているのに逃げ出すのはダメ」と叱責し、岡村や濱口同様に与えられた仕事を最後までやり通すのが芸人であることを改めて諭し、他の芸人達も「(考えが)甘いんだよお前は!全てにおいて!」「そんな心構えでこの(お笑いの)世界でやっていけるなんて思うなよ」「俺達はそう簡単にお前を芸人としては認めないからな」と、三中のお笑いに対する考え方を批難した。
対して三中は、自分の芸人としての甘い姿勢を滾々と叱責されているにもかかわらず、「こんなに(自分の事を心配して)言ってくれたの、鈴木さんが初めてなんで!」と突然お礼を言いだすなど、どこか噛み合っていない様な反応を返し、流石の鈴木やあかつ達も呆れを通り越して、失笑するしかなかった。
一方の大地は、鈴木やあかつ達のように一方的に責めたりはせず、「まだまだ厳しいけど、今が踏ん張りどころだから頑張らないと」と三中に再オーディションを求めた時とは一転し、自分なりに彼を案じ、激励の言葉をかけていた。これは三中のめちゃイケ降板が決定した後、一部の視聴者から三中降板のきっかけを作ったして自身のSNSに批判的な意見が少なからず寄せられたことにより心境が変化したことによるもので、大地は三中と再会した際に「俺の事、恨んでる?」と尋ねるなど、多少なりとも責任や罪悪感を感じていた。なお、それに対して三中からは「少しだけ」と返され、思わず苦笑することとなった(それを聞いたあかつ達は「そこはウソでも「いいえ」って言わなきゃダメだよ」と三中を窘めていた)。
最終的に鈴木からは「10日くらいでキャベツと玉ねぎの千切りを覚える」という条件で三中を仮採用し、その後は店の呼び子や注文の受け子まで担当され、2020年に閉店するまでアルバイトを続けた。ちなみに番組関係者を介して鈴木が三中をアルバイト雇用したと知った濱口は「アルバイトくらい一人で探せよ…自分が蒔いた種やっちゅうのになんで周りが助けたるん? なんやかんや言って、おさむさんもお前ら(スタッフ)も甘いわ」と三中だけでなく鈴木や番組スタッフに対しても不満を顕にしていた。
なお閉店後、三中は東陽町にある元仮面ライダー俳優の倉田てつをが経営するステーキハウス「Stake House Kurata」に転職し、倉田自身も三中の今までの事情を知った上で彼を採用し、現在は弁当の仕出しや賄いも担当している。
また、お笑いとしての表現力を高めるために自ら劇団「三ランポリン4アター」を立ち上げて、舞台役者としても活動するなどしていた(ちなみにこの「三ランポリン4アター」の団員にはお笑いコンビ『EXIT』の兼近大樹も在籍していた)が、程なくしてこの劇団は自然解散してしまった。
その後も芸人として地道に活動を続け、2017年には箱根で開催されたイベント『めちゃイケ温泉』のコンシェルジュとしてゲスト参加するなど、劇場や様々なイベントに出演したものの、特に目立った活躍も無く、さらにはめちゃイケが2018年の3月末を以て終了する事が決定し、『コンビでめちゃイケのレギュラーに返り咲く』という大きな目標をも失った影響か次第に『dボタン』の活動は減っていき、最終的には「方向性の違い」という理由で2018年1月にコンビ解散となった。
それから2ヶ月後の2018年3月31日。放送された『めちゃイケ』最終回は歴代最長となる5時間半の尺が取られたものの、その中で三中の存在については一部のメンバー(敦士と矢部浩之)が卒業への思いを語る際に名前を出して触れたのと、その説明として過去のめちゃイケ新メンバーオーディション及び再オーディション時にその姿が映っていたVTRや画像が僅かに使われただけで、番組終了の発表以降で三中がメディアでも言及する程に熱望していたレギュラーメンバーとして最後の復帰のチャンスであった『めちゃイケ最終回への出演』を果たす事は遂に叶わなかった。
また、めちゃイケが終了することは三中にだけは一切知らされておらず、その事実を知ったのはかつてめちゃイケでも多数の出演経験があったたむらけんじがめちゃイケの終了の一報を告知した時であったという。その事実を知らされた三中はすぐにかつてのめちゃイケメンバーやフジテレビ関係者に問い合わせるも一切の返事も無いまま悉く無視されてしまい、とあるお笑いイベントにて「誰からも連絡がない。僕、6年(※実際は5年4ヶ月)もいたんですよ!」「メンバーでもないたむけんさんにさえ連絡があったっていうのに…」と嘆き、「最終回までに1回、出してほしいです。本当に、それだけ。出していただければなんの文句もないです」と出演を懇願したが、それに対して同席していたとにかく明るい安村から「自分が悪いんじゃない?6年いたヤツに連絡しないってことは、そいつに原因があると思う」「それ(返事が来なかったこと)が(めちゃイケからの)答えだよ」と切り捨てる形で、それだけ周りに迷惑を掛け続けた彼を誰もめちゃイケに呼ぶつもりはないと遠回しに伝えた。
事実、三中が降板した際にはめちゃイケの公式ホームページのTOPにおいてメンバー全員での集合写真が掲示されている中、三中の部分だけが消されており、プロフィールも削除されていた。更に、終盤に放送されていたナイナイ中居の日本一周FINALでかつてめちゃイケサービスエリアが行われていた足柄SAを訪れた際に、中居がここで三中が総支配人として活動していた事について触れると、岡村は「三中って誰?そんな奴おったっけ?」と完全にはぐらかし、矢部と敦士がニューヨークを訪れた時は敦士がかつて新メンバーオーデションに参加していた頃を語った際には三中の名前が出れば、矢部は「ああ、いたねそういえば…あんま覚えとらんけど」と全く触れられず、彼の降板から最終回まで総集編や回想を含んでメンバーの殆どが三中について口を開くものはいなかった。
その上、上述した『めちゃイケ温泉』にコンシェルジュとして参加した際も、番組内では全く触れられることは無く、かつてのメンバーとの交流も無かった。
そして、安村の言葉やこれまでのめちゃイケからの行動を確信づけるかのように結局最終回までめちゃイケに呼ばれることのなかった三中は、最終回放送当日、芸人仲間の友人と共に鑑賞し、自分の事については殆ど取り上げて貰えなかった事に嘆いて悔し泣きしていたという。
その後は、良くも悪くも知名度があった事から吉本の劇場の売店で売り子を任されたり、YouTubeのマイナー芸人の動画にゲスト出演したり、ローカルアイドルのイベントにゲスト出演するなどして細々と活動していた。
2019年4月11日にテレビ東京系の番組「勇者ああああ 〜ゲーム知識ゼロでもなんとなく見られるゲーム番組〜」にて、約3年ぶりに地上波へ登場する。しかし、開始早々序盤からめちゃイケのフレーズを豪語してスベるなど空回りをしでかし、更に三中自身はゲームの知識など全く知らず、肝心のトークではゲームの特徴やシステムについて何も語れず、番組の趣旨と関係ない話ばかりする上に、話術も素人時代からほとんど成長しておらず、面白い内容も無かったため、トーク途中でカットされてしまった。
挙げ句に、共演したハリウッドザコシショウやハチミツ二郎からは後日、「今までで一番つまらないゲストだった」「放送事故」「三中(と共演した事)を記憶から消したい」と散々扱き下ろされる等、幸先の悪過ぎる他局デビューとなった。
また、それ以前に三中は日本テレビのドラマである『人生が楽しくなる幸せになる法則』にも出演すると芸人仲間や関係者に豪語していたが、実際に出演していたのはたった一話で、それも僅か数秒ほどしか映っていなかったというエキストラ同然のモブ出演に過ぎなかった。そのため、世間はおろか周りからは全く注目を浴びず、寧ろこの事実が世に明らかになったのは放送から3カ月も経った上記の「勇者ああああ」へ出演した直後だった。
特撮芸人への転向〜2度目のコンビ結成
その後、子供の頃から好きだったウルトラマンや仮面ライダーの知識を生かし、本格的に特撮芸人へと転向。
そして2019年9月、同じ特撮芸人を売りとするアマチュア芸人・京佑と新コンビ・『スーパーヒーロー』を正式に結成する(実は当初の予定では前年の2018年5月に同コンビを結成する筈だったのだが、その発表の場で前コンビ『dボタン』やその名付け親になってくれた出川への恩義を無下にした内容の軽口を述べてしまった事で芸能界内外から批判が殺到してしまい、その影響か定かではないが、同コンビ結成が1年以上延期された)。
だが、それ以降もやはり目立った芸能活動は出来ず、コンビを結成してから年を跨いだ2020年。新型コロナウイルスが全国的に流行し始めたことで思うように活動が出来なくなり、元々人気を掴めていなかったことも含めた焦りから次第に相方の京佑とも折り合いが悪くなっていき、ある時とうとうその鬱憤や怒りを彼にぶつけてしまった事が決定打となり同年の7月24日。三中の30歳の誕生日でもあるその日に京佑が自身のTwitter(現X)アカウントにて『スーパーヒーロー』のコンビ解散を正式に発表。そうして同コンビは売れるどころか話題にも上らず活動の痕跡さえほとんど残らぬまま、『dボタン』時代を遥かに下回る1年にも満たないコンビ期間で奇しくも三中の節目の誕生日に解散という、最初のコンビ解散から心機一転して二度目の同コンビ結成で再起の望みを懸けていたであろう三中にとっては余りにも悲惨な幕切れを迎えてしまった。
また、同時期には霜降り明星から、めちゃイケメンバーについて語ったYouTubeの動画において、三中について『メンバーとして認めていない(粗品)』『好きな人なんて一人もいない(せいや)』と辛辣な意見を投げかけられてしまった。
そんな三中の零落、迷走ぶりを見かねた先輩芸人達や母親からは、いい加減に芸人は諦めるよう忠告され、三中自身もいつまでも収まることのない世間からの誹謗中傷や罵声・嘲笑に心が折れかけ、一時はこのまま芸人を引退することも考えたが、子供の頃からお笑い芸人を夢見てきた気持ちは紛れもなく本物であり、さらにめちゃイケメンバー時代に自らの不義理で迷惑をかける形になってしまったみちのくプロレスの野橋から番組降板後に和解した際に激励された事や、かつてのメンバー仲間のジャルジャルからも劇場の売り子として懸命に働いていたことで劇場の仕事終わりに「頑張れよ。いつか苦労は報われるから」と応援されていた以上、ここで諦めればその想いをも裏切ったということでさらに後ろ指を指されると危惧したために何とか芸人引退を踏み止まり、再びピン芸人として活動を続けることにした。
なお、上述のスーパーヒーロー解散及びその後の経緯については、後述の新たに結成したコンビによるYouTubeチャンネルでの新企画に取り組む中で起きた関係者とのトラブルを映した動画で三中本人の口から語られている。
3度目のコンビ結成
2021年9月20日、三中のTwitter(現X)でピン芸人・てつ丸とコンビを組んだことが発表され、彼にとっては三度目の結成となるお笑いコンビ・『ラフリベンジャーズ』で活動を開始する。
なお、今回のコンビ名は三中が提案したもので、曰く「(堕ちるとこまで落ちぶれ果てた)今の状況から一発逆転でリベンジしたい」という想いを込めたとの事だが、それを聞いた相方のてつ丸は「パクリじゃん」と失笑していた。
さらにはYouTubeにて俳優の井上正大と共演し、井上が主催するオリジナル特撮作品「PINKの特撮」への出演交渉をしに彼の元を訪れ、PINKの特撮に出演させてほしいと井上に頼み込むなど、特撮芸人らしい活動も積極的に始めていく。
その動画では、井上から自身のめちゃイケ降板までの経緯が描かれたドキュメント動画を見せられながら、自身に纏わる悪評について色々と追及され、三中もまた動画に取り上げられていた事が全て事実であると認めながらも、現在は反省し、一からやり直すという意味も込めて芸能活動の傍ら、制作側の事情も学ぶためにADのアルバイトをやっている事を明かした。
そうして交渉の末、最終的にADとして雇ってもらえることとなった(この際、「ちょっと映っちゃったくらいはいいですよね?」「いずれは自身のチャンネルにも出演して頂きたい」等と軽口を連発して井上から「やっぱ欲豚やなぁ…」と呆れられ、「(未だに炎上するのは)そういうトコ(が原因)じゃないですか?」と苦笑混じりに指摘されていたことで、「ちょっと調子乗り過ぎました」と慌てて謝っていた)。その後はその縁から井上が主演・演出を務めた舞台版『牙狼 ~神ノ牙~』にも舞台俳優として出演している。
また、2022年には『仮面ライダーリバイス』に空気階段が出演した22話へエキストラとして出演し、2024年6月には以前から制作を進めていたインディペンデント映画の「ラフリベンジャーズpresentsさんちゃんが本気で作った特撮番組『オワライバー』」の上映が決定するなど、『特撮芸人』と名乗るに相応しい活動を地道に続けている。
批判と擁護
『1万人近くの応募を掻い潜って、人気番組のレギュラーメンバーに選出される』という絶頂に立てたところまではよかったものの、『一般人のレギュラーメンバー』という物珍しさが故に周囲から丁重に扱われ過ぎたことも要因となって、次第に己の人気に慢心、増長してしまい、その結果、自分の力量や立ち位置を正しく見据えることを怠り、周囲からの幾多の忠告や小言も聞き入れることなく、『芸能界』という普通の社会とも異なる特異な常識の蔓延る世界で立ち回るための術を身に付けず、業界のルールに尽く反目する行動を繰り返し、最終的にそのツケが回ってくる形で、せっかく手に入れた栄光ばかりか、更なる高みに登れる可能性もあったチャンスさえも潰してしまった上、半ば『不祥事・不義理を犯した芸人』として扱われ、数多くの汚名を背負わされながら一般的な下積み芸人よりも不利な立場へと転落する事となってしまった。
そうした文字通り事実は小説よりも奇なりな彼の数奇な栄枯盛衰ぶりに対し、当初は「自身の素行の悪さ、根性の無さが招いた自業自得」「分不相応に調子に乗りすぎた天罰」であると切り捨てる声が多かったが、時が経つにつれて、次第に「三中を育て上げためちゃイケやフジテレビにも問題があったのではないのか?」と、彼がメンバーに起用されるきっかけとなった新メンバーオーディションを含め、めちゃイケの後先を考えない番組編成や『責任転嫁』とも見て取れる方針、番組スタッフの三中への対応に対しても批判が相次いで挙がるようになる。
三中の母親や元相方の臼杵をはじめとする旧来の知人によると、めちゃイケメンバーになる前はメンバー時代と比べて真面目な性格であり、学生時代やバイト時代は常に一生懸命に学業や部活、仕事に取り組んでおり、弱音や文句、我儘など一切吐かなかったという(新メンバーオーディション前に芸人を志した際も、親には頼らず、単身上京して生活し、吉本養成所の入学費用もアルバイトで稼ぐ程の誠実さを持っていたとさえ証言されている)。また、新メンバーオーディション直後に矢部は三中について「彼の長所は素朴なところなんで、そこだけは変えないでほしい」とコメントしていた。
これらの点を踏まえると、三中の性格を豹変させてしまったのは、全国的にも珍しい『素人レギュラーメンバー』であった彼を番組側が必要以上に過保護に扱い、共演者や視聴者もそれに便乗する形で持て囃すだけで、『バラエティー番組の出演者が成すべき“役割”とはどういったものなのか?』『一般社会とも異なる常識が蔓延る芸能界において生き残っていくためにはどのように立ち回っていくべきか?』等の現実的なことをメンバー加入して間もないうちから教育していくべきだったのを怠ってしまったのが主な原因であるともいえる(詳細はめちゃイケ記事の「批判」の項目を参照)。
そうして、テレビ業界ひいては芸能界の”美味しい”部分を早くからたくさん味わい、芸人を含めた芸能界に生きる者全ての人間が必ず経験する『下積み』を殆ど経験せずにテレビ慣れさせてしまった結果、真面目と評されていた三中の心に分不相応な自信や、慢心、怠惰の感情を芽生えさせる事となってしまった。
因みに、スタッフ曰く彼の下積みとしての仕事は三中食堂の店長やめちゃイケサービスエリアの総支配人での活動程度だったがそれは決して下積みとは言い切れず、三中食堂ではファンとの交流を保とうと記念写真も撮っていたが、肝心の調理は全部レシピを託されたスタッフ任せで、自分は店のアピールのために表仕事ばかり行い、仕込みや調理、清掃等はは一切せず、休憩中はライバルでもある他の出店ブースに食べに行くまで不真面目ぶりだったという。
更にめちゃイケサービスエリアに至っては、事実目は総支配人という立場であるのにもかかわらず、基本的に彼が行なっていたのはファンとの交流ばかりで、調理は勿論、清掃や衛生・防災管理は全て足柄サービスエリアの現地責任者やスタッフに任せっきりだったという。その上、三中はファンとの交流でも基本的に若い女性や、子供達には積極的に接する一方で、男性客や、女性でもカップル連れやお年寄りに対しては冷たく接する等の露骨な差別化や、子供と接する際にも自分に生意気な態度を向けてきた子には容赦なく怒鳴りつけたり、追い払うなど邪険に扱い、バックヤードでは現地のスタッフに対して横柄な態度を見せるなどし、挙げ句の果てには事あるごとに理由をつけて休む日も少なくなかったという。
そんな調子で、いよいよ制作陣の手に余る様になると『人格矯正』を名目に過酷なノルマや企画を強いる等、掌返しの如く露骨にぞんざいに扱い、それでも懐柔させられないとなると、再オーディション、そして降板…と少しずつ追い詰めていく形で、最終的に自分達が発案し、オーディションで採用した筈の“一般人出演者” 三中を蜥蜴の尻尾切りも同然に切り捨ててしまった。
プロレス企画破綻の際に三中に対して徹底的に糾弾していた古参メンバーの岡村、濱口、加藤、紗理奈らはその時点で視聴者から賛否両論となっていたが、三中がめちゃイケから降板する最後の出演回において、新メンバー加入直後から岡村達は三中に対し邪険に接したり、企画やコーナーにおいて失敗すれば、それを三中のせいにして罵倒するなどあまりにも陰湿な行為を受けていた事も明らかとなったことから、三中の降板後は逆に世間から批判される事が多くなった。
特に岡村は自身が休業している間に三中が岡村の一部分の役目をカバーしていたのにもかかわらず、復帰後は三中本人にお礼も言わず、更には休みの日に三中から食事の誘いに対して「忙しいからジャマせんといて」と冷たく返し、終いに三中降板後に行われた残念会では参加すると言いながら「出川哲郎と一緒に食事に行く」と言ってすっぽかすという身勝手な行動(そもそも残念会に関しては岡村に限らず、旧メンバーの殆どが欠席し、辛うじて加藤、有野が冒頭に少し顔を出しただけだった)を暴露され、視聴者から批判を浴び、さらに自身がMCを務めるラジオ番組の中で彼が当時結べなかった靴紐を代わりに結んであげた若手スタッフにお礼を言わなかったことに対し苦言まで呈していたが、後年そのラジオ番組での不適切発言で後日矢部から説教を受けた際、自身もコーヒーを入れてくれた女性スタッフにお礼を言わなかった事が明らかになり、更なる批判を浴びることとなった。
矢部に関しても再オーディション後「敗因?オモロなかったよ。見方がわからんかった。」と三中のネタを痛烈に批判していたが「お前もほんまにオモロないぞ」「後輩にアドバイスができないニセ芸人の矢部」と人のことが言えない状況に視聴者から批判もされ、元光GENJIの諸星和己からも「矢部っちなんか、単なるカンペ読んでるだけじゃん!」と指摘されており、最終回では松岡修造にも「言われてみれば(矢部が)一番面白くなかった」と各芸能界方面に名指しで言われる始末で「個人のポテンシャルは三ちゃん以下だろ」と三中より劣る声も現れていた。
また、濱口もとあるネット番組の中で三中(と後述するもう1人)の事を「芸能人のダメな例」として名指しで挙げ、彼の一連の行動を「芸能人失格」と改めて批難していたが、それに対して後日有野からTwitter上で「自分だって電波少年の企画を逃げてるくせに」と冷やかされ「ローマ字で自分の名前すら書けない奴が偉そうな口を叩くな!」と叱責され、先輩の森脇健児からも「散々鶴瓶さんやミスハワイさんから叱られてきたお前が後輩を咎める身分か!」と叱責を受ける羽目になった。
同じく加藤も上記のスカイダイビングの体験を元に嫌な事は真っ先にやらされると三中に諭していたが、それに対して一部のメディアからは「たった一度で終わるスカイダイビングといつ終わるかも分からないプロレス企画とは大違いだ」と批判され、更には相方を失い思い通りに活動出来なくなり、その鬱憤を企画を放り投げた三中に当てつけてるのではないかと指摘されてしまう(しかしこの当時の加藤はこうした意見も一蹴していた)。
紗理奈に至ってはプロレス企画が始まる以前となるめちゃイケSA終了日の生放送中に三中から(悪意はなかったとはいえ)自身のプライベート(息子の名前や過去に付き合っていた芸人との関係など)を好き勝手にいじる不謹慎なボケをかまされて以来、放送中に「嫌い」と断言するほど三中を嫌悪し、めちゃイケ終了まで徹底して冷たい態度を貫いていたが、番組終了をきっかけにテレビの仕事が激減。マネージャーからはその原因として「プライベート(家庭)ばかり優先して、周りのタレントとの間に壁を作っているからだ」と遠回しに三中に行っていた仕打ちを含めたここ数年における言動を咎められ、盟友である雛形からも「このままだと三ちゃんの二の舞になるよ」と警告された。
他にも、メンバーの中でも比較的三中と絡みが多かったジャルジャルも、めちゃイケメンバーになる以前からアンチが多かったため、一回目の脱走騒動の際に三中を説得したり、助言をかけたりした事に対して視聴者から「(説教シーンが)生理的に受け付けられなかった」「出来の悪い後輩に対して偉そうな態度をとる先輩みたい」「一人前に兄貴面すんな」等と否定的な声が上がっていた。ジャルジャル本人も「本当はああいう厳しい接し方はしたくは無かったが、プロデューサーさんやディレクターさんからの命令で已む無く行うしかなかった」とコメントし、決して彼らは三中に対して冷遇したり邪険に扱うつもりはいなかった(実際に三中とは降板後も交流を続けていることも明らかになっている)。
なお重盛の発言に対しても後に視聴者から「お前が言うな」「お笑い芸人でもないくせに偉そうな顔するな!」等と叩かれることとなったが、実は重盛はめちゃイケに出演する以前にお笑い芸人として「エンタの神様」に出演してネタを披露した経験があり、その理由も当時本業でもあるモデルやグラビア活動が上手くいかず、その反面でお笑いの要素は評価されており、所属事務所からも「ここらで何かしらでテレビ出演しなければ諦めて引退するように」と迫まれていたため、已む無く最後の手段で芸人として活躍していたという。そのため、一連の批判に対して本人は「本当はあんなキツいこと言いたくなかったけど、プロの世界はそれだけ厳しいと教えたかった」と弁解している。
以上のことから各メディアからも『三中の素行悪化の原因』のひとつして古参メンバーの監督不十分や一部のメンバーやスタッフからの冷遇を指摘する声が挙がるなどした。
これらの批判が故か、めちゃイケ終了後(特に2019年のコロナ禍以降)、岡村はあまり派手な言動や行為を慎むようになり、矢部は前述の相方のラジオでの不適切発言に加え、めちゃイケ終了前に行われた『めちゃイケネタNo.1決定戦』という企画においてテツandトモの「なんでだろう」を丸パクリしたネタを披露した事で岡村共々視聴者の失望を買い、メンバーだけでなくNONSTYLEの石田明からも批難された事もきっかけとなり、再びコンビとしての活動を増やすようになった。後にナインティナインは番組終了後のラジオにおいて、ジャルジャルと共演した際に、「三中自身もあの企画(みちのくプロレス)は辛かったかも知れないし、逆に負担をかけてしまったのかも知れない」というフォローのコメントをし、本人達も三中がみちのくプロレスに参加するのは無謀な挑戦だと危惧し、企画が持ち上がった際には撤回を促そうとしたものの、上記の様に当時のフジテレビの権力は圧倒的に高く番組の中心的人物だったナインティナインすら製作陣に意見出来ない程で、結局はプロデューサーやディレクターから言いなりになるしか無かったとコメントする形で弁解した。
事実、新メンバー加入以降のめちゃイケはプロデューサーの明松、総合演出の戸渡、チーフディレクターの遠藤らによる主要スタッフ達が主導権を握っており、実質的には彼らの制作・企画方針は絶対命令だった。そのため、彼らの方針に背いたり、反発したりする者(主に新メンバー)がいればオンエアでは意図的にカットされたり、明らかに悪意を交えた演出を受けるなど、理不尽な扱いを受けていた。無論、岡村や加藤も幾度も彼らに制作方針を変えて欲しいと意見し続けていたが、その度に岡村は長期休養、加藤は相方の降板をネタにされ、その分のカバーを自分達が十分に補わってきたと恩を着せられてしまい、結局そのまま言いくるめられていたと番組終了後に明かしている。
それを知った三中も2020年に岡村が結婚した際に祝福のコメントを矢部を介して送り、岡村もそれに対して素直に感謝する返答をするなど、両者はある程度の関係は修復できた。
同じく濱口も上記の軽率な発言やバイトとして採用した鈴木へのコメントが故に世間からの心象が悪化。猛批判を受けたことで、これまでの三中への言及を悔いるようになり、三中が降板後に活動していた舞台を度々観に行き、その度に彼と撮ったツーショット写真を自身のTwitterに載せてエールを綴っていた。
そして紗理奈も岡村が結婚した際に、その内容を知人を介して三中に報告し、それを知った三中は岡村へ祝福の言葉を告げ、その事を教えてくれた紗理奈にもお礼を述べていた。
また、加藤は三中の一連の行動に何か感じるところがあったのか、再オーディションの際には彼のネタ作りに親身に相談に乗った。さらに、降板が決定した際にも有野と共に「残念会」に参加し、その後のラジオでもエールを送っていた。
そして、めちゃイケ終了後に発覚した闇営業などに関連する吉本興業の過剰なまでの若手芸人への締め付けに嫌気が刺し、自ら吉本を離れ独立した際に無名の若手が三中のように周りから蹴落とされながら活動する姿を見兼ねた事をきっかけに「今の若手は三ちゃんみたいに辛いのか」とかつてのお笑いと今のお笑いとのギャップに違和感を感じるようになり、その後三中に対して「辛い事があればいつでも相談しにこい」と支援する方向へ進んでおり、その際に三中は加藤に対しても素直に感謝の念を述べていた。
なお福徳はめちゃイケにおいてメンバー同士が仲良くプライベートで食事をするといった交流を図る場面が無く、長寿バラエティ番組が持つ独特な空気に三中が戸惑っていたことを踏まえて「可哀そうだった。二十歳で(新メンバーとして)入ってきて、思いのほかチヤホヤされていなかった」と、三中に対する同情と申し訳なさを明かしている。
一方の重盛も三中のめちゃイケ降板が決定した直後には、過去に(自身のめちゃイケでの立ち位置が分からなくなって)辛くて泣いた際に彼から、「これからも一緒に頑張っていきたいです!僕にできる事があったら何でも言ってください!」と言われ励まされたことを引き合いに出し、ブログでそれまでの感謝の念を述べている。
そして、一時期は完全に絶縁・敵対状態になったみちのくプロレスも上記の和解以降は、ある程度の関係性は修復でき、地方公演のイベントにもサプライズゲストとして呼ばれるようになる。そして人生社長も番組や雑誌のインタビュー、他のレスラーとの対談の際に三中の活躍についても触れており、「最終的に脱走はしてしまったが、彼なりに頑張ろうという姿勢もちゃんとあった」と彼の努力を少なからず讃えていた。
また、この一件は人生社長にとっても『バラエティー番組が求めるエンターテイメント性とプロレスの危険さに対する認識の差異』という問題点を大いに考えさせられるきっかけとなり、この騒動以降、みちのくプロレスではタレントの卵を含めた一般人を事前の了承も得ずに練習生にする等の、プロレスの危険性を軽視したバラエティー番組の企画のオファーは一切引き受けないと断言し、純粋にプロレスラーを志して入団希望してきた者に対しても念入りにその覚悟を確認するなど、三中の二の舞のような事例が起きない様に選定を厳しくしているという。
同じく野橋も現在の新人レスラーと練習生の育成指導の際に三中の活躍時代の内容に触れて指導しており、当時自分の指導が厳しすぎた事も三中を企画挫折に至らせる要因のひとつになったと当時は同世代のレスラーも含め、批判的な声が相次いだ事を認め、「あの時の自分のやり方(指導)は、三中の心に寄り添えているとは言えなかった」「もう少し深く心を通じ合わせていたら、彼を脱走へ至らせる事もなかったかもしれない」と反省する一方、「プロレスというものは常に死と隣り合わせになる程の危険な競技であり、レスラーを志望してきた者達がそういう世界に入り込んだ以上、自分達はその者達に対して責任を持ってレスラーとして育成していかなければ、生死に関わる危険もある。だからあの時の自分としては三中に対し、あの様な厳しい指導をするしかなかった」とコメントしている。
その上で野橋は「目の前から逃げることは許されないが、自分の夢を諦めるのはもっと許されないものだ」と三中のように自分で決めた憧れや夢を捨てずに芸人の道を歩み続けていることに関しては決して悪くないと説き、一連の騒動について一時は完全に愛想を尽かした時期もあったものの、現在では「あれもお互いに良い思い出になった」とひとつの“人生経験”として認めている。
その一方、今まで携わってきためちゃイケのスタッフを含むフジテレビ関係者との関係性は降板以来、未だ修復出来てはいない。三中が上記の「勇者ああああ」に出演した際にもめちゃイケ時代に活躍していた過去の資料映像の使用許可をしておらず、結果的に資料映像なしと処理されていた(尤も、これは彼に限った話ではなく、フジテレビは基本的にめちゃイケの映像資料を他局に使用する事を原則許可していない)。
また、かつてめちゃイケの制作を担当していたチーフディレクターの遠藤達也からは「三中の降板劇をきっかけに番組(めちゃイケ)の印象が悪くなった」と謂れのない批判をされた上、プロレス企画の打ち切り以降、三中もそれまで自分をぞんざいに扱い続けてきたスタッフや共演者への意趣返しと言わんばかりに、大部屋楽屋への差し入れを独り占めして他の出演者を隅に追いやって楽屋スペースを独占したり、とあるコーナーの収録時には故意にセットを破壊したり、打ち合わせの約束なども頻繁に遅刻してくるなど、目に余る傍若無人を繰り返す様になり、とうとう自分が直接叱責しても反省するどころか逆ギレする始末だったと暴露され、「三中や一部の視聴者は我々を薄情者と思っているかもしれないが、こちらも彼のために散々苦労させられた。寧ろあれだけ迷惑をかけられたのに、違約金や賠償金を一円も請求しなかっただけ慈悲のある処置だと思ってもらいたい」と反論された。
更に元プロデューサーの明松功も「三中がいた時は色々と問題を起こされて手を焼いていた。降板すると決まった時は正直に言って肩の荷が降りた」と如何に三中をレギュラー時代から邪険に思っていたのかを語っていた(ちなみに、そんな明松も三中降板から約3ヶ月後。製作部から営業部へと異動する形で、三中の後を追うようにめちゃイケを去っている。同じく遠藤もめちゃイケ終了後は自身が番組制作する機会が減ったことからフジテレビを退社し、フリーとして活動するようになったが、その後に参加した「月曜から夜ふかし」でも取材相手の一般人をメンバー時代の三中同様に雑に扱う醜態を晒してしまい、視聴者のみならずマツコ・デラックスからも苦言を呈されることがしばしばあり、現在は古参メンバー程ではないが派手な行動は謹んでいる)。
また、三中降板後に総監督としてめちゃイケスタッフに復帰した片岡飛鳥は「一般素人をレギュラーメンバーに加えること自体無謀な試みと思っていた」と三中のメンバー加入前からこの様な結末に至る可能性を懸念していたことを明かしている。
対する三中も、降板後のインタビューにおいて「先輩芸人だけでなく道行く人にまで“クズ”呼ばわりされる」、「未だに世間からは犯罪者の様に扱われる」などの風評被害に悩まされている事を打ち明けているほか、めちゃイケ出演当初から、素人にもかかわらずディレクターやプロデューサーから無茶苦茶な事を強要された事や、中期以降は言われた通りの事ができなければ平然と罵倒されたり、暴力を受けた事を告白し、その上で「今更何を言われても、返す言葉もありませんが…今思うとあの番組(めちゃイケ)はスタッフ全員がイカれてました。こっちの事情も無視してホントにやりたい放題やらされましたし…。番組が終わったことは勿論残念ですけど、はっきり言って終わって正解だったとも思います」とめちゃイケスタッフに対する遺恨を含めた複雑な心情を明かしている。
事実、新メンバー加入前からめちゃイケの打ち切りは検討されており、スタッフからメンバーを追加しないと番組の継続は難しいと言われていたことから(旧メンバーは反対こそはしたが継続の為に同意した)、そういった意味では三中は完全に加害者ではないとも言える。
また、一連の三中の顛末を見届けた若者達の中からは
「三ちゃんのおかげでお笑いの世界やテレビ業界とはどういうものかを知る事ができた」
「『安易に有名人になろうとしても、碌な事にはならない』といういい教訓になった」
「芸能界で成功するためには、一芸を極めるだけじゃなくTPOや忍耐力、挑戦心など色んな面で精進する必要がある事を改めて認識した」
と(皮肉を含めながらも)三中に感謝する意見も少なからず上がっていた。
昨今のお笑い、アイドル人気やYouTubeなどの動画コンテンツの発展などによって、テレビや芸人を含めた芸能界の表面上だけの部分しか見えていない若者達が「舞台に立って漫才やコントを披露したい」、「バラエティ番組の楽しい企画で笑いを取って人気者になりたい」等と良く言えば『純粋』、悪く言えば『安易な憧れ』だけで、タレントや芸人を目指そうとする風潮が年々強くなっていく中、三中の大失敗を見てそれらの世界が決して華やかで楽しいことばかりではないという”現実”を知り、夢を考え直すきっかけになったのならば、彼がめちゃイケメンバーとなった事は決して無駄ではなかったと言える(芸能界サイドからも第二、第三の三中が現れる事は決して望まれていない事と思われる)。
また、近年になって急速に普及したYouTuberは(芸能人レベルで有名になれるかどうかはともかくとして)基本的に自分で選んだ好きな事ばかりしていても「賛同してくれる人は支持してくれる」界隈であり、三中はいきなりプロの世界に入らずそういう段階から地道に学んでいくべきだったのではとの考えもある。
『素行不良』の真相…!?
めちゃイケ降板後、自らや他人のYouTubeにおいてめちゃイケ時代の裏話を話すことがしばしばあったが、番組が終了し、主幹を担っていたスタッフもフジテレビを離れていった影響か、近年では、降板当初はあまり触れなかったようなディープな内容のエピソードも打ち明けていくようになっていった。
2021年11月にはラフリベンジャーズのYouTubeで投稿された相方のてつ丸と共に、自身のドキュメント動画を見る企画において、靴紐事件について『自分からADに靴紐を結ばせていたのではなく、本当は連続で縄跳びをさせられて疲れ果てて動けなくなった自分を見かねたADが靴紐を結んでくれた』という真相を語っていた。
また、2024年5月にニューヨークや鬼越トマホークのYouTubeにゲスト出演した際には、一部からは『高収入』と噂もあっためちゃイケレギュラー時代も、高収入だったのは三中以外のレギュラーメンバーで、実際はバイト代と番組のギャラ合わせて20万円(大卒初任給程度)ほどの月収しかなかったことや、3〜4年目の頃には他局からの出演依頼も多数寄せられていたが、当時の三中はフジテレビ局預かりの専属タレントとして扱われていたため、他局番組の出演は一切断られていたこと、更にプロレス企画に至っては「企画進行中は番組から給料をもらえず、みちのくプロレスから練習生代の1万円から食費等を引いた数千円しかもらえなかった」と実質的にノーギャラであったことを語った。
さらに番組から問題視されていた『番組に相談なくお笑いコンビを結成していた一件』に関しても、プロレス企画開始前には既に臼杵に話を持ちかけてコンビを組んでおり、決して脱走中に企画から逃れるための言い訳がてらに結成したわけではなかったことや、そもそもプロレス企画自体も実際には決して無断で逃げ出したわけではなく、人生社長や野橋に「もう無理です、辞めさせてください」と心身共に限界である事を相談、謝罪し、最終的に人生社長や野橋(三中曰く「実際は(テレビで見せてたほど)厳しい人でもなかった」らしい)からも「このままでは三中の身が保たない」と同意を貰った上で帰京していたが、それを知った番組制作陣が、自分達には事前相談もなく勝手にみちのくから戻ってきたと激怒。これを『二度目の脱走及び企画放棄』と見做されたという。そして、最終的に企画終了を承諾する条件と称した制裁措置として『一から十まで三中一人が悪者であるかのような放送用の筋書き』を用意され、関係者全員それに基づいた姿勢で演技させられた(三中曰くスタッフからは「ちょっとでも言う(筋書き)通りに動かなかったら、すぐにプロレス企画を再開するからな」とヤ◯ザみたいな剣幕で念押しされたらしい)事情を明かしている。
この他にも
- 人生含むみちのくプロレスの関係者からは『このままだと(レスラーデビューまで)5、6年かかる』と相談されるも、めちゃイケスタッフは『絶対にして欲しいです。何年かかってもいいです』と強引に進行させ、めちゃ女子プロレスのようにお笑いプロレスラーとして活躍させる等の妥協案を提示するも『本物のプロレスラーとして活躍させなければダメです』等と自分の意思など全無視で、勝手に話を進められた。
- プロレス企画が打ち切りになった後、めちゃイケスタッフからは口々に『番組の面汚し』『役立たず』『(プロレス企画の)制作費返せ』と罵倒され、まともな楽屋や担当のスタイリストさえ用意してもらえなくなるなど、ただでさえ他のメンバーと露骨に隔たりがあった待遇を更に悪くされた。
- 再オーディションの話が出る前から、自分を番組から降ろしたがっている雰囲気が丸わかりだった(ただし、スタッフ側も三中が本当に降板するとまでは思っていなかったらしい)。
と胸の内に溜めていた番組から数々の理不尽な仕打ちを受けたエピソードや、それに対する不満・鬱憤を吐いた。
そうした暴露話を聞いたニューヨークや鬼越トマホークも、めちゃイケ制作陣の、無茶苦茶としか言いようのない杜撰極まりない扱いにドン引きすると同時に、三中に同情するコメントをしている。
以前から一部の視聴者から「実はプロレス企画は既に何らかの理由で頓挫しており、責任を取らされることを恐れた番組側が三中を悪者にすることで彼に全責任を押し付けた」「再オーディションは視聴者を納得させるための建前に過ぎず、プロレス企画が破綻した時点で三中の番組降板は決定済みだった」という説や憶測がWikipediaやまとめサイト、ネットニュースで出ていた他、プロレス企画脱走の経緯に関する説明の内容が本記事やwikipediaに一時期記載されていたり、個別記事として存在していた(現在は共に削除済み)が、その内容が過剰に中傷的かつ根拠を欠いているという声が上がっていた。
しかし、上述の三中自身の証言から、一連の2度目の脱走騒動の真相は全て番組側が三中の印象を貶めんがために考えられ、めちゃイケ・フジテレビ側が用意したシナリオに基づいた演出(やらせ)であり、企画自体も番組側の練り込み不足、不適切な対応が主な原因で破綻したことが真相であり、上述した視聴者からの憶測も大方事実であったことが明らかになった。
これらの事情が明かされた事で、近年のフジテレビの運営体勢、めちゃイケメンバーの当時の素性や態度、2019年のお笑い芸人闇営業問題を始めとした芸能界の闇が明るみに出た部分への批判が集中するに伴い、三中への世間からの意見も、相変わらず芸人としての姿勢や品性を疑う声も少なくない一方、「番組の杜撰且つ節操のない方針に振り回された『被害者』である」と擁護する意見が増えつつある。
また、上述したニューヨークや鬼越トマホークとの対談動画などをきっかけに「トークが上手くなってる」、「努力してるんだな」「腐らずに頑張って確実に成長しててカッコイイ」などと方々から叩かれながらも、心折れる事なく地道に芸人を続けている姿勢を再評価する声も見受けられるようになり、さらに彼が自ら立ち上げた特撮企画『オワライバー』のために役者集めからスケジュール管理、番組編成まですべて自ら担って完成させたことが明かされると、「芸人としても人としても(ついでに体格も)確かに大きくなってる」「少しずつ自分なりのお笑いを見出してる」と彼を前向きに評価する声が増えつつある。
参考資料
【実話】三中元克(三ちゃん)がめちゃイケをクビになった真相...岡村隆史を本気で怒らせた非常識な素人。
三中の栄光と転落までの経緯が詳しく説明されている。なおラフリベンジャーズのYouTubeアカウントにて三中本人が上の動画を見てリアクションする動画も投稿されている。
「みちのく三ちゃんねる」
プロレス企画に取り組み始めてから合格までの経緯がまとめられた公式動画。
関連タグ
臼杵寛…『dボタン』(2016年2月~2018年1月)時代の相方
京佑…『スーパーヒーロー』(2019年9月~2020年7月)時代の相方
てつ丸…『ラフリベンジャーズ』(2021年9月~)以降の相方
山本圭壱…三中とは別の不祥事で番組を途中降板しためちゃイケメンバー。彼の不祥事と降板は、後の岡村の休養と新メンバー追加の原因になったと言われている。三中が降板した4ヶ月後に約10年ぶりに出演し、その2年後の最終回において事実上のレギュラー復帰を果たしている。
南信哉…通称「みなみちゃん」。かつて彼も一般素人として他局の番組の企画で中華料理の達人の元で修行していたが、三中同様に2度に渡って脱走したため、最終的に指導してくれた達人や番組スタッフだけでなく番組MCからも見限られている。
河西智美…同じく他局の人気番組の企画を途中で放棄して脱走した当時国民的アイドルグループのメンバーだったタレント。濱口はその番組のレギュラーだったこともあり、前述のネット番組の中で三中と同等に名指しで批判していた。
2代目林家三平…三中と共に新メンバー加入の失敗例として挙げられている日曜夕方の国民的人気番組の元メンバーだった落語家。彼も約5年半で降板となったが、三中が厳密には5年と4ヶ月であったのに対し、こちらは5年と7ヶ月であり、三中よりも出演期間が長い。三中とは違い、番組降板後もBSで放送されている派生番組には度々ゲストとして出演している。