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性格/強み

良くも悪くもあの有名な「不沈艦」ことゴールドシップに似ているといわれている。

レース運びにしても、ラニもゴルシも追い込み型で、最終コーナーで大外をまくり、最後の直線で先頭に立つ競馬を得意としていた。

また、ラニもゴルシも体重500キロ越えの大型馬で、毛色が葦毛というところも共通。しかも、気性の荒いところまで似通っていた。

あまりにもゴルシと似ているとことが多いことから、ラニはファンの間から「砂のゴールドシップ」という異名も頂戴することとなった。

戦績

デビュー前

母ヘヴンリーロマンスは2005年天皇賞(秋)松永幹夫騎手が騎乗のもと優勝。

引退後は繫殖牝馬として活動。2010年にはアメリカへ渡り、当時アメリカのリーディングサイアーだったTapitと交配された。

その結果生まれたのが、ラニである。

本馬はアメリカで生まれたが、その後日本に輸入され、オーナーのノースヒルズが鳥取県で運営する競走馬育成施設「大山ヒルズ」にて育成が行われた。

デビューが可能な年齢になると、JRA栗東トレセンの松永幹夫厩舎に預けられ、来るべきデビューに備えて調教を積む。

メイクデビュー~2歳時

デビュー戦は2015年9月13日、阪神競馬場芝2000メートル。一着のメイケイレジェンドから1.3秒離された4着で終わった。

2戦目は10月3日、阪神競馬場のダート1800mに出走。単勝1番人気に推されるも2着。

11月22日、京都競馬場で3戦目に挑む。1番人気であり、見事それにこたえて1着となり、初勝利を飾った。

その後は11月28日、 500万下の特別戦・カトレア賞(東京競馬場ダート1600m)に出走。3番人気ながら、見事に勝利した。

3歳時

これまでの成績を見た陣営はケンタッキーダービーをはじめとしたアメリカ三冠挑戦を表明。足りないポイントを稼ぐため、ヒヤシンスステークス(オープン特別・東京競馬場ダート1600m)とドバイの国際G2、UAEダービーに出走することとなった。

そして迎えた2016年2月21日、ヒヤシンスステークス。2番人気。当日はスタートで出遅れ、コーナーで大外を捲って2番手に押し上げたが、直線で沈むという謎の展開を見せて5着だった。

その後、検疫等を済ませ、二戦目の舞台となるドバイ、メイダン競馬場へと旅立つ。

3月26日、国際G2・UAEダービーメイダン競馬場ダート1900m)に挑戦。ヒヤシンスステークスと同じようにスタートで出遅れ、大外をまくり、残り100mで先頭に立ってそのままゴール

日本調教馬としては初の優勝を飾った。

アメリカ三冠

無事に必要数のポイントも稼いだラニ。鞍上に武豊を迎え、そのままの勢いでアメリカ三冠に挑む。

ケンタッキーダービーでは20頭中14番人気。いつものように後方から追い上げる競馬を見せ、何頭かは抜かしたものの9着に終わる。

その後は休まずプリークネスステークスに挑戦。11頭中6番人気に推された。前走のケンタッキーダービーとはうって変わった不良馬場の中、前走よりさらに後方からのレース運びを見せて5着。

その次は、三冠目にして最も過酷なベルモントステークス。再びの6番人気でレースに挑んだ。

スタート後は、向こう正面から押し上げ、第3コーナーで先頭集団に取りつく。その後はコーナーで少しポジションを下げたものの外目を回り、直線で一気に加速。

地元アナウンサーが「Here comes Lani!!」(ラニが迫ってきているぞ!!)と高らかに叫ぶ中、3着。

日本調教馬で初めてアメリカクラシック三冠レース全てに出走し、そのうち2回掲示板入りするという快挙を成し遂げた。

帰国後はオープン特別のブラジルカップへ挑み、2番人気で3着と好走。しかし、GⅢ・みやこステークスでは13着、GⅠ・チャンピオンズカップは9着と大敗。国内の重賞では勝ちきれず、3歳シーズンを終えた。

4歳時

2017年はドバイから始動するが、アルマクトゥームチャレンジR3を6着、ドバイワールドカップを8着と精彩を欠いてしまった。

帰国後、オープン戦のブリリアントステークスを2番人気で4着。次走は新馬戦以来の芝レースとなる目黒記念に出走し、ハンデ56kgとなかなかの好条件となるものの、馬場適正の無さが影響したか10番人気17着の大敗となってしまった。

次走は再びダートへ戻り、ブラジルカップへと出走。3番人気に推され、レースでは後方から懸命に追い込むが届き切らず5着。これを最後に引退、種牡馬入りした。

種牡馬入り後

種牡馬となったラニはアロースタッドにスタッドイン。

産駒は2021年よりデビューし、地方競馬を中心に走っている。

2022年には川崎所属の超巨大牝馬・ケウ佐賀で行われた地方全国交流重賞のル・プランタン賞を勝利。産駒初の重賞勝利となった

また、中央でも同年にリメイクGⅢカペラステークスを勝利。産駒初の中央重賞勝利となった。

全盛期のラニ伝説

先述したように、ラニは「砂のゴールドシップ」とも呼ばれ、その気性の荒さでも知られた存在であった。そのエピソードとしては、次のようなものがある。

  • 調教ではまともに走らない。そのくせ周囲の馬は威嚇し、蹴り、噛みつくなどの問題行動を連発
  • ある日の調教中、放馬した馬がコースを逆走してラニに絡んできたが、あまりにもウザく絡んできたためラニはブチキレてしまい、蹴り3発で撃退した。
  • ドバイ遠征前の検疫厩舎滞在中、大先輩であるホッコータルマエに吠えに吠えて脅かしてしまった。なお、ラニ担当の丸内調教助手は「100%怒られる」と覚悟していたが、タルマエを管理する西浦調教師からは逆に「いい馬だなあ」と褒められた。
  • ドバイでは、前を歩いていた牝馬に馬っ気を出して尻っ跳ね。後足で埒をまたぐようにはまってしまう。その後、自力で埒を破壊して脱出した
  • アメリカ遠征にて、当時のトップホースだったカリフォルニアクロームに喧嘩を売って引き下がらせる。
  • なお、何の因果か、カリフォルニアクロームは後にラニが居る日本のアロースタッドで種牡馬入りしている。
  • そのあまりにもな暴れっぷりから、アメリカで頂戴したあだ名は「ゴジラ」や「クレイジーホース」
  • しかも、アメリカ人にラニがゴジラを目からビームで攻撃したり、ラニがエンパイアステートビルを蹴りで破壊するクソコラが作られてしまった。
  • …が、種牡馬入り後は気性難が嘘のように改善。人に触れられても全く動じないどころか、むしろご機嫌に相手をしてくれる様子。アロースタッドの見学者からは、下唇をゆるーんと開けてリラックスする姿も目撃されている。

関連項目

競走馬

ビアンフェ:同じくノースヒルズ生まれの大型馬で530キロほどある馬だった、馬主は前田幸貴(前田幸治の長男)

なお種牡馬入りしたラニとは違い、気性難が祟ってセン馬(去勢された馬)となっている。

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