概略
米ボーイング社が設計・製造した大型ジェット旅客機。1969年(昭和44年)2月初飛行。愛称は「ジャンボジェット」であるが、ボーイングは鈍重なイメージが付くとしてこの愛称を嫌い、暫くは「スーパーエアバス」と呼んでいた。
ただ、後に同名の航空機メーカーが設立されたこと、ジャンボジェットの愛称が世間一般に広まったことから、現在ではボーイングも公的な場でジャンボジェットの愛称を用いている。
デビュー当時、他に類がない圧倒的な輸送力により、航空会社が大衆向けに航空券安売りを始めた(後のエコノミークラスである)ことで、世界的な航空機輸送大衆化の旗振り役となった。
21世紀に入ってからは後続の双発機に押され、旅客機としては徐々に活躍の場が狭まりつつある。旅客機型として最終モデルは「747-8」型。貨物型「747-8F」生産はその後も続けられ、ボーイングは追加受注が得られなければ生産打切りを検討するとしていたが、とうとう受注を得ることはなく、2023年(令和5年)に米国アトラス航空に納入された貨物機「N863GT」を最後に完全に生産が終了された。
開発経緯
1960年代のジェット航空機はボーイング707やダグラスDC-8が主流となっていたが、増大する旅客需要に応えるために航空機のさらなる大型化が望まれていた。しかし、ボーイング707は主脚の設計上、胴体延長を行うと離着陸の機首上げ時に胴体後部が地上と接触することが判明し、胴体の延長を行うことが困難であった。それ故設計段階で胴体延長を見越し、実際に胴体延長型ラインナップに加えたをDC-8にシェアを奪われつつあった。
そうした状況の中で当時ボーイング707を大量導入し、同社と昵懇の仲であったパンアメリカン航空の会長ファン・トリップはさらにボーイング社に大型機体開発を要望する。その際、ボーイングは一度没案となった米空軍大型輸送機開発計画である「CX-HLS計画」に目を付けた。
- CX-HLS計画とは、1963年(昭和38年)に米空軍が「4発エンジン・搭載量82t・前部に貨物ドアを備える」新型大型輸送機制作を目論んだことで始動した計画である。ボーイング社も設計案を提出して最終選考まで残っていたが、選考の結果、ロッキード案が採用。ボーイング社は敗北した。なお、この際に採用が決定したロッキード案の輸送機が後の「C-5」である。
ボーイング社は「この設計案を旅客機に転用出来るのではないか?」と考え、パンアメリカン航空に打診。トリップ会長は大いに気に入り、製造するのであれば25機購入すると持ち掛けたことで1965年(昭和40年)12月に開発がスタート。CX-HLS計画に投じた予算の回収を目論んだこともあり社運を賭けたプロジェクトとなった。
元々軍用輸送機として設計されていた機体を手直しすることで驚異的なスピードで開発が進行し、1969年(昭和44年)2月に初飛行に成功。翌70年(同45年)1月にパンアメリカン航空がニューヨーク - ロンドン線に初就航させた。
革新的な航空機として
ボーイング747は設計当時としては未曽有の400席級の超大型ジェット機として開発された。そうした中で現在の航空機にも繋がる革新的な設計や独特の構造が施されていった。
- 従来の飛行場での運航を可能とした離着陸性能
ボーイング747は全長70m級の大型機でありながらボーイング727や737で採用され、同社のお家芸ともいえるトリプルスロッテッド・フラップ(高揚力装置)やディスクブレーキ採用により、3,000m級の滑走路は元より条件が整えば2,500mの滑走路での離着陸が可能であり、当時ボーイング707やDC-8が就航可能な空港であれば特別な施設の改修を必要としなかった。
- 隔絶した旅客・貨物搭載性能
上述の通り、747は客席を400 - 550席まで配置出来、現在の大型機と比較してもキャパシティは見劣りしない。また、元々の設計が軍用機であったこともあり、コクピットが2Fに設置されていることで、1F全てを旅客・貨物搭載スペースに使えるのみならず、貨物機型は機首部分を丸ごと跳ね上げる「ノーズカーゴドア(機首積み下ろし口)」新設が可能であり、通常の積み下ろし口の幅では積み込めない、長尺モノの貨物輸送が可能である。
このノーズカーゴドア、貨物積み下ろしでは断然便利な機能であり、この点では最新型エアバスA380をも凌駕している。
- ちなみに、A380は旅客型開発遅延に伴う貨物型開発遅延の危惧やノーズカーゴドアを持たないために長尺荷物が扱えない、2F部分に積み込むには専用車両を導入しないと出来ないといった欠点が判明。導入予定航空会社が全て発注をキャンセルしてしまい、開発が凍結されてしまった。このクラスの貨物型機としてはロシア機しかライバルがいないという状況である。
ただし、現在はエンジンの高性能化・信頼性向上に伴い、双発機でも747と同等のキャパシティーを確保出来る様になったため、旅客型747については最新型旅客機を相手に不利を強いられている。
・エンジンメーカーが選択可能に
当時航空機に搭載されるエンジンは1型式当たり1社のみ限定供給というのが当たり前であったが、-200型以降はGE(ゼネラル・エレクトリック)・P&W(プラット&ホイットニー)・RR(ロールス・ロイス)の3社より選択することが可能となった。
これにより航空会社が保有する機材に合わせたエンジンメーカー搭載(例:P&W製エンジンを搭載するDC-8に合わせて747もP&W製エンジンを搭載したモデルを選択する)が可能となり、整備面からも歓迎されたことでさらに受注を伸ばすこととなった。
バリエーション
747はバリエーションが非常に多い。生産されている期間が長いことが大きな理由であるが、もう1つの理由としては、後述するように日本の航空会社が独自にカスタムされたタイプを、しかもわずかな数だけ発注したということもある。
基本的に-100 - -300・SR・SPを「747クラシック」と呼称している。
747-100シリーズ
-100(-100A)
最初のモデル。ローンチカスタマーはパンアメリカン航空であり、1970年(昭和45年)に世界初就航させたのがこのタイプ。当初は装備されたエンジン(P&W/JT9D-3)の出力がカタログ値通りに出なかったことから直ぐに改良型(P&W/JT9D-7A)に換装したモデルを投入。どうにかカタログ値通りの出力を確保出来る様になった。
初期に生産されたJT9D-3搭載型を-100、JT9D-7A搭載型を-100Aと区別していたが、後に前者もエンジンをJT9D-7Aに換装したため、-100Aも-100に改称された。
だが、改修後も機体重量と比べて出力は不足気味であり、燃料搭載量も物足りず当初の性能が発揮出来なかったことから航空会社からは不評を買い、ボーイングは取り急ぎ機体軽量化やエンジンへの水噴射装置装備によるパワーアップといった応急措置を取る傍ら、-200型市場投入を急いだ。
SR(SR-100)
1970年代、利用者が伸び続けて需要が非常に高まっていたにもかかわらず、空港施設が貧弱な日本向けに開発されたモデル。SRとは「Short_Range(短距離仕様)」の頭文字。
飛行時間は長くて3時間程度。そして頻繁に行う離着陸対策としてギャレーやトイレ削減・シート間隔切詰め、機体フレームや降着装置強化が施され、着陸料対策で最大離陸重量を258tに引下げている。
ローンチカスタマーはJAL(1973 - 75年導入)であるが、ANA導入機(1978 - 83年導入)は最大離陸重量が272tに引上げられている他、エンジンについてもP&W製を搭載したJALに対しANAはGE製エンジン(CF6-45A2:-200型に搭載されたエンジンの低出力型)を搭載している。また、ANA仕様機は世界で初めて有償旅客数500席を達成した機材でもあり、JALも後に追随している。
ちなみに、ANAが導入した内の2機は1986年(昭和61年)より始まった国際線進出に当たり、エンジンを-200Bと同型のエンジン(GE/CF6-50)に換装、ギャレーやトイレ増設を行った上で国際線機材として運用されていた。
世界中でJALとANA以外に導入した航空会社は存在せず、JALは御巣鷹山墜落事故の影響もあり-300SRや-400D等に置換えられる形で1994年(平成6年)までに全機が撤退。ANAも2006年(平成18年)3月10日の鹿児島発羽田行の便(当時のANAの紙の時刻表の上ではB777-300による運用便であったが、この日のみ変更)を最後に全機撤退した。
これら2社より撤退した機体の多くは後述するSRFに改造されている。また、変わった例としてJAL仕様機のうちの1機はNASAのスペースシャトル輸送機に改造され、2012年のシャトル退役まで使用された。現在この機体はカリフォルニア州で保存されている。
SRF
売却された747SRを貨物機仕様に改修した機体である。JAL仕様機は米国の航空会社、ANA仕様機は1機のみNCA(日本貨物航空)が購入・就航させた。改修は下述する-200SFに準じながらも、エンジンを-200型同様のエンジンに換装することで最大離陸重量引上げや航続距離延長といったパフォーマンスを向上させている。
-100B
747-200Bの短距離仕様機として同時期に平行生産された。設計はSR(ANA仕様機)をベースとしているが、燃料タンク等の配置や容積は-100型に準じ、-200型同様エンジン選択も可能である。生産は全部で12機であり、イラン航空(原型機1機)とJAL(3機)、サウジアラビア航空(8機)のみ導入した。なお、GE製エンジンを搭載したモデルは製造されていない。
JALは上述の747SRの増備分として導入しており、SRと同様の改造を施している。
747SP
パンアメリカン航空東京 - NY直行便のために開発されたモデル。名称については開発時はSB(Short_Body・短胴仕様機)と呼称されていたが、マーケティングを意識してSP(Special_Performance・特別性能機)と変更された。
最大の特徴として機体全長を70.6→56.31mまで短縮。重量を軽減させることで航続距離延長を図っている。
さらに、この胴体短縮のお陰で主翼が2F部分直後に来たことにより、エリアルールに則った形状(2階建て部分が主翼による断面積増加分を吸収し、断面積変化を抑えることで空気抵抗を減らした)となり、空気抵抗を大きく減少させたためにカタログ値以上の性能を発揮することが可能となった。この結果を受け、ボーイング社は2F部分を延長したタイプであるSUD(Stretched Upper Deck)開発に着手して行くこととなる。
他にも胴体短縮に伴う安定性確保のために水平尾翼・垂直尾翼がそれぞれ1.5mずつ延長・主翼設計も一新される等、機体各所の設計が改められている。
1976年(昭和51年)4月にパンアメリカン航空が世界初となる東京 - NY間直行便に就航させ、アラスカ経由で同路線を飛ばしていたJALやノースウエスト航空は大打撃を被った。
しかし、本来の747型と比較して乗客数が大きく減少する点がネックとなり、購入を見合わせた航空会社も多く、生産後期は航続距離やそのサイズから政府専用機仕様としての注文が多かった
日本からの発注はなかったが、2011年(平成23年)までイラン航空が保有する機体が成田空港に顔を出していた。また、政府専用機候補に挙がったこともある。
747-200シリーズ
このモデルよりエンジンメーカー選択が可能となっている。
-200B
性能不足が露呈した-100型に機体構造を強化や燃料タンク改修を行い性能を向上させたモデル。1971年(昭和46年)にKLMオランダ航空が就航させた。初期はP&W製エンジンを搭載するモデルのみであったが、翌1972年(昭和47年)よりGE製、1975年(昭和50年)よりRR製エンジン搭載モデル製造を開始している。ただし、構造を強化した分機体重量も嵩み、初期型はやはり当初想定していた性能を発揮出来なかったことから、1989年(平成元年)の生産終了まで燃料タンク増設や設計見直し、エンジン変更等の設計変更が続けられた。その代表例といえるのがJALが1983年(昭和58年)に導入した通称「エグゼクティブ・エクスプレス」である。
- パンアメリカン航空が747SPで開設した東京 ー NY直行便に対抗するために特注したモデル。燃料タンクのさらなる増設に合わせ、既にエンジン納入が始まっていた-300型が使用する機体(P&W:JT9D-7R4G2)に変更している。軽量な-200B型機体に自重が重い-300型用ハイパワーエンジンを組合わせることで、フルサイズ747型として初めてNY直行便での運用(1983年7月就航)を可能とした。後に同仕様機をノースウエスト航空やユナイテッド航空も導入しているが、-300型納入が始まっていたこと、既に-400型開発が決定していたことから総生産数は8機のみ。
ちなみに、型式末尾「B」については当時-100型は「747A」、長距離仕様・-200型は「747B」として開発されていた名残である。
日本ではJALが1971年(昭和46年)、ANAも国際線進出に合わせて1986年(昭和61年)より導入。特に、ANAは-200Bの最終生産機を受領している。
-200B/SUD
下述する-300型就航後の1984年(昭和59年)にボーイング社が提案した改造プランで、就役中の-200Bの2F部分を-300型と同等の長さに延長するというもの。KLMオランダ航空が10機(-200Mから改造された機体も含む)、UTAフランス航空が2機の計12機が改造された。
-200F
747シリーズで初となる純貨物型。型式「F」はFreighter(貨物機)の頭文字。1972年(昭和47年)にルフトハンザドイツ航空により就航。747型開発が始まった頃には将来は超音速旅客機が旅客輸送の主流を担い、747型は貨物仕様注文がメインとなると予想されており、ある種「本命」といえる派生型である。貨物搭載量は当時の民間機最大となる110t。貨物搭載スペースとなる1Fは床強化やコンテナ移動用ローラーを備え、胴体後部にサイドカーゴドアを、機首に上述の跳ね上げ式ノーズカーゴドアを追加している。勿論旅客型と同様床下に貨物コンテナを積むことも可能。2F部分は貨物搭載スペースとするには小さいため、座席を設けてパイロットや荷主用スペースとしている。
1991年(平成3年)まで生産が続けられたため、最終期に生産された機材は機体の一部構造が生産が始まっていた-400型と共通となっている。
日本ではJAL・NCAが導入している。なお、NCA最終導入機は747クラシック全体の最終生産機でもある。
ちなみに、以前はJALも保有していたが、ごく一部の-200Fはサイドカーゴドアを装備せず、ノーズカーゴドアのみ装備した機材が存在する。
-200SF
旅客用としては既に引退した-200Bを貨物機仕様に改修した機体。型式「SF」は「Special_Freighter」の頭文字。窓封鎖や床強化、サイドカーゴドア増設等。-200Fに準じた改修が施されているが、ノーズカーゴドアの追加はされていない。旅客機と比べ貨物機は耐用年数が長く、旅客機として役目を終えた後に貨物機に改修するという需要は今も昔も旺盛である。
日本ではJAL・NCAが導入している。
-200M
「-200コンビ」と称する客貨混載仕様。型式「M」は「Mixed(混載)」の頭文字。1975年(昭和50年)にエア・カナダが就航させた。1F旅客スペースに仕切りを設け、胴体前方を旅客スペース、後部を貨物搭載スペースとしているのが特長。設計は-200Bを踏襲しているが、胴体後部に貨物の積降用にサイドカーゴドアを追加しているのが外観の大きな違い。なお、旅客と貨物の搭載比は固定ではなく、運航者のニーズに合わせて変更することが可能。
日本からの発注はなかった。
-200C
旅客or貨物のみ・客貨混載にも出来る客貨転換仕様機。型式「C」はConvertible(転換)の頭文字。1973年(昭和48年)にワールド・エアウェイズが就航させた。やはり設計は-200Bを踏襲しているが、-200F同様ノーズカーゴドア・サイドカーゴドアを装備しているため、見た目は「旅客窓が付いた-200F」である。運航者が座席の脱着を行う事で旅客仕様にも貨物機仕様にも転換出来たため、チャーター便を多く運航する会社で重宝された。ただし、旅客最大搭乗人数では-200Bに、貨物の最大積載量では-200Fには及ばない。
この型も日本からの発注はなかった。
ちなみに、この様な客貨転換仕様が製造されたのは747型はこの型式のみ。併せてRR製エンジンを搭載したモデルもこの型式では製造されていない。
747-300シリーズ
1980年代後半に設計を一新した-400型開発が発表されたために受注は少なく、各型合計81機で生産が終了している。製造中に後継機・-400型製造が始まったため、生産後期機体は構造が一部-400型と同一仕様となっている。また、747シリーズで唯一米国からの新規発注がなかった型式でもある。
-300
747SPの経験をフィードバックし、2F席を主翼直前まで延長したモデル(これをSUDと称する)。1983年(昭和58年)にスイス航空が就航させた。
空気抵抗が以前のモデルよりも改善された(=燃費が良く、巡航速度が高くなり、航続距離も伸びる)上に2F部分延長に伴って輸送力が増強され、-400型就航まで長距離国際線の花形となった。
日本ではJAL及びその子会社・JAA(日本アジア航空)が導入している。また、同社は-300最終生産機を受領している。
-100B/SUD
JALが747SRの代替と輸送力増強を兼ねてボーイング社に特注したモデルで、1986年(昭和61年)に就航。世界中でも導入はJALのみ。-200B/SUDと異なり、1から新造された機体であり、胴体はー300であるが、エンジンをー100型と同じタイプ(P&W/JT9D-7AW)としたため、-100型の派生タイプとして扱われている。併せて747SR同様、機体や降着装置強化が施されている。導入時の旅客座席数563席は世界最多であった。1986年限りで-100型用JT9D-7A生産を終了することが決定。以降の導入は下記の-300SRに変更されたため、総生産数は僅か2機。
-300SR
JALが上記の-100B/SUDから切替えて1988年(昭和63年)より導入。これまでのSR型の例に漏れず機体の構造強化や最大離陸重量引下げが施されているが、-300型とエンジンは同一であるため、後述する-400D導入が進んだ後に国際線仕様に再改修を行い、国内線のみならず、中・長距離国際線に投入している。また、1995年(平成7年)には全席普通席・584席仕様となり、世界最多座席数の記録を自社内で更新している。なお、ANAは747SRの増備は-400Dを導入する予定としたために-300SRは導入せず、世界中でもやはり導入は-100B/SUDと同様JALのみであった。なお、総生産数は4機。
-300M
上述の-200M同様の客貨混載仕様。1983年(昭和58年)に-300型同様スイス航空が就航させた。
日本では導入されなかった。
-300SF
2F部分を延長した-300型であったが、貨物搭載スペースに転用する程の容積ではなかったため、貨物機型は計画されず、引続き-200Fが製造されることとなる。だが、旅客型・-300型引退が進行すると同時に-200SF同様、貨物機型に改修された機材もあり、-300SFの型式が付与された。なお、改修内容は基本的には-200SFと同様である。
日本での導入例は無かったが、アメリカの会社で元JAL機が-300SFとして活躍中である。
747-400シリーズ
747型のフルモデルチェンジ版(通称「ダッシュ400」)。このモデル登場以降、-300型までのモデルは「747クラシック」と呼ばれる様になる。
-400型
外見こそ従来の747型と(ウィングレット追加以外は)大差がないが、内部的には大幅に変更されている。
- コクピットメーター類グラスコックピット化(メーターではなく、ディスプレイに情報を表示する)
- デジタル化進展に伴い、運航乗務員は2名のみで飛ばせる様になった。
- エンジンを新型に変更(P&W_JT9D→GE_CF6/P&W_PW4000)。
JALでは「スカイクルーザー」、ANAでは「テクノジャンボ」という愛称を与えられていた。
また、日本政府専用機もこのタイプ。
-400D
747-400の短距離タイプ。SR型の後継機として世界中でJAL・ANAのみ導入。狭い日本の空港事情と短距離路線では効果が期待出来ないことからウイングレットは撤去されている。ANAは一時期、一部機体でウイングレットを装備する等の魔改造を施して国際線に転用させたことがある。
なお、ANAが受注したうちの1機(登録記号:JA8963)は海洋生物をあしらった特別塗装機「マリンジャンボ」として落成。1993年(平成5年)9月12日 - 1995年(同7年)5月31日までこの仕様で運航された。
-400F
貨物機。アッパーデッキは-200Fまでと同等の長さとすることで貨物搭載スペースを確保した。
-400ER
- 400の航続距離延長型。カンタス航空のみが導入し、生産数は6機。
-400ERF
- 400Fの航続距離延長型。
747-8
747シリーズ最後のモデル。貨物型が主力となり、旅客型は導入航空会社が限定され、ルフトハンザドイツ航空・大韓航空等が購入した。
747型と名乗りがらも主翼形状が787型に近いものとなったり、エンジンもGEnxしか選択出来ないためにこれまで747型を導入し続けて来たブリティッシュ・エアウェイズがA380やデルタ航空(元々はノースウエスト航空)・ユナイテッド航空がA350に衣替えした理由の1つとなった。機構的にも「747型の皮を被った787旗」ともいえる機体となっている。
旅客型は「747-8IC」と呼ばれ、2F席後部にはオプションとして多目的スペース「スカイロフト」を設けることが可能。客席やVIP席、ラウンジ等に使用可能。ただし、いくら「スカイロフト」といってもここで鳥乗りの儀や大乱闘は出来ないため、あしからず。
貨物型は「747-8F」と呼ばれる。貨物型も双発機に押され気味ではあるものの、4発機は重量物の積載に優れ、機械類や分解できない大型貨物の輸送を行うユーザーにとっては747の独壇場である。
747-400LCF「ドリームリフター」
いってしまえば「現代版スーパーグッピー。」
世界各地で作られたボーイング787のパーツを米国の組立工場に輸送するため、中古の-400型を改造した大型特殊貨物機。胴体が大きく膨らんだ形状をしているのが特徴で、これで-400Fの3倍程の貨物を輸送出来る様になった。日本では中部空港で見ることが出来る。
日本国内の運用事情
国内ではJAL(日本航空)・ANA(全日本空輸)の両社が保有運用しており、かつては世界で唯一輸送時間3時間未満の国内輸送に使われる747型でもあった。それ故、高頻度運航に対応するため、脚部を強化して翼長を変えた日本国内専用機「747-SR」や「747-300SR/-400D」が製造された。SRは短距離を示す「short Range」の略、Dは単純に国内線を示す「Domestic」から来ている。
この理由として、諸外国と比べても格段に多い公共交通による大量輸送需要に加え、日本国内の空港がどこも混雑し、「747型の様な巨大旅客機でなければ輸送が捌けない」状態であったことがあげられる。その結果、747型は各地で一般人によって手軽に利用出来る国内線で頻繁にその姿を確認出来る様になり、「ジャンボジェット」が日本では特に大衆化される要因となった。
しかし、日本国内でも空港発着枠(その空港に飛行機が離着陸可能な総量)が増加した。特に、羽田空港沖合展開事業及び滑走路増大に伴う輸送力緩和、関西空港開港に伴う大阪の空港事情の大幅な改善は中型機による多頻度運航を可能とした。さらには航空会社がそれに釣られて増大、大手航空会社もその競争によって必然的に輸送量を減らした。また、新幹線が東西に伸長して航空機のシェアを奪った。以上のことから747型による大量輸送はさほど必要がなくなっただけでなく、大阪伊丹空港では4発機運用が制限されることもあって、数少ない大型輸送も777型に交代。特に経済性が高く、輸送力も747型に引けを取らない777型は国際線でも747型を世界的に置換して行った。このことからJAL保有機は2011年(平成23年)3月に引退した。そして、ANA保有機も2014年(平成26年)3月に引退した。徐々に日本の空にも省エネ化の波が押し寄せているのである。