プロフィール
品種 | サラブレッド |
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性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
誕生日 | 2009年4月22日 |
父 | ゴールドヘイロー |
母 | ダンスクィーン |
母の父 | ミルジョージ |
5代内のインブリード | Northern Dancer4×4 |
産地 | 北海道浦河町 |
管理調教師 | 清水久詞(栗東) |
馬主 | 木村信彦 |
獲得賞金 | 3億3378万9700円 |
馬名は冠名と父名の一部に由来。
父ゴールドヘイローも母ダンスクィーンも現役時代は地方所属(大井)という背景を持つ。
経歴
2011年7月新潟の芝1400mでデビュー。2戦目の新潟2歳ステークスは掲示板外となるが、3戦目のカンナステークス(中山)、4戦目のくるみ賞(東京)、5戦目の朝日杯フューチュリティステークスでは掲示板に載る結果を残す
年が明けた2012年はシンザン記念より始動。1番人気に推されるも4着。続くファルコンステークスではやや人気を落として2番人気となるも10着に沈んだ。その後のマーガレットステークスでは3着に再浮上するも、橘ステークスでは11着に再度沈む。夏の火打山特別(新潟)で勝利を収め、長岡ステークスでは2着と好走した。
2013年の初戦となった武庫川ステークスで勝利を収め、続くダービー卿チャレンジトロフィーでも勝利を収めて重賞初制覇。これは所属する清水厩舎にとっても初の重賞でもあった。
しかし京王杯スプリングカップでは8着に沈み、安田記念に出走登録するも収得賞金不足のために除外。
清水調教師は安田記念の翌週の準オープンを走らせることを考えていたが、安田記念へ向けて良く仕上がっていたため、同週の鳴尾記念にも一応、登録はしていた。最終登録となるレース2日前の木曜日に鳴尾記念なら出走可能という事が判明したことに加え、そこなら武豊騎手が空いているので騎乗できることとなった。
そして、武豊騎手を背にデビュー後初めてとなる1600m超のレースである鳴尾記念に出走して勝利を収め重賞2勝目を果たす。これがトウケイヘイローの馬生を変えることとなる。レース直後に清水調教師は武騎手に函館記念への出走を提案。
そして同コンビで函館記念・札幌記念と連勝し、1975年のツキサムホマレ以来38年ぶりに同一年に函館・札幌の両記念を制した競走馬となった。特に札幌記念では2着に6馬身差をつけて悠々と逃げ切る圧勝。また、2013年のサマー2000シリーズチャンピオンに輝いた。
鳴尾記念から重賞4連勝のかかった天皇賞・秋は前走の圧勝もあって2番人気に推される。しかし直線で失速し10着に沈んだ。
後に香港ジョッキークラブから招待を受けて香港カップへ出走。香港ダービー優勝馬のアキードモフィードに1馬身差をつけられて2着。
2014年は中山記念より始動するも6着に終わる。ドバイデューティーフリーに出走するも同レースはジャスタウェイが勝利し、トウケイヘイローは7着となる。
ドバイから帰国後、陣営は再度海外挑戦を発表。シンガポールのクランジ競馬場で開かれるシンガポール航空インターナショナルカップへ出走し4着。
シンガポールから帰国すると札幌記念へ出走。しかし11着。レース後に屈腱炎を発症していることが判明したために休養入り。2015年6月の鳴尾記念より復帰するも七夕賞・札幌記念・シリウスステークスと連敗し、シリウスステークス後に引退を表明した。
引退後はアロースタッドにて種牡馬入り。
その後2023年11月27日に種牡馬を引退し、ヴェルサイユリゾートファームに移り功労馬として余生を過ごしている。
現役時代は「武豊騎手とコンビを組んだことで才能を開花させた逃げ馬」ということで「サイレンススズカの再来」と謳われることもあった。
また、清水調教師はトウケイヘイローについて次のように語っている。
「まだ全国区でなかった僕の厩舎の名を広めてくれたのがトウケイヘイローでした。馬とユタカさんには感謝しかありません」
そして清水厩舎がトウケイヘイローと築いた武豊騎手とのバトンは、同厩舎の後輩キタサンブラックへと繋がれていく…