概要
鉄道車両の系列の一つで、国鉄の急行用気動車の形式グループ(キハ58形・キハ28形・キロ58形・キロ28形)の総称。なおあくまで便宜的・趣味的に用いられた呼称であり、正式の系列名ではない。
1961年から1969年にかけて新製され、日本国内各地に投入され急行・快速・普通列車に幅広く運用された。特殊仕様を付加された車両(北海道向けキハ56系&碓氷峠対応のキハ57系)を含めた広義のキハ58系グループ全体では実に1,823両が新製された。最盛期にはこのグループ全体で国鉄の保有・運用する気動車の約3割を占めたことすらある。
形式別
本来、グリーン車は冷房化の要請が高いことから大多数の線区ではエンジンを1両1基にしてでも冷房エンジンを積んでいたが、中央東線の急勾配ではそれも叶わず、冷房を諦め2エンジン車で固めたことから走行機関2基搭載のキロ58が登場した。国鉄車では後述の名鉄キハ8200形のように電源機器などを床上に上げるという手法を取らなかったため(勿論この場合でも定員減などの代償はある)、冷房の搭載はブースターとしてのキハ65の登場を待つよりなかった。
改造と民営化後
国鉄時代末期には急行列車の特急格上げ・快速格下げによる減少からローカル列車での運用が次第に増え、初期車両には廃車も出たがそれでも1987年の国鉄分割民営化に伴いJR旅客会社各社に全体の約2/3が承継された。
- 中にはジョイフルトレインに改造された車両(普通車のまま、もしくはグリーン車格上げにより「キロ59系」「キロ65系」化)も存在する。
- キハ58系自体は2両以上の組成が前提となっていたため、普通列車では輸送力過剰と判断されてキハ56・キハ58の一部を対象に両運転台化改造を施工。新形式「キハ53」が誕生している。
晩年
21世紀に入ってからは、老朽化とアスベスト問題および後継車両の登場や定期運用路線の電化(特に北近畿・山陰・四国地区)により廃車が進んでおり、2007年6月に芸備線の急行「みよし」が廃止されたことで本来の用途である急行列車での定期運用は終了。そして、2011年3月をもってJR西日本の富山地区を最後に定期運用から完全に撤退した。
この時点でJRで稼働状態で残っていた「キハ58系」は、JR東日本のジョイフルトレイ「Kenji」に改造された3両で、また保留車として訓練車のキハ58 75号車が在籍。「Kenji」はエンジンが換装されて往時のDMH17エンジン装着車ではなかったものの、2018年に営業運転を終了。最後まで残っていたキハ58 75号車も2020年11月30日付で除籍となり、キハ58系はJR各社から全滅・廃形式となった。
JR各社からキハ58系は廃形式となったが、JR九州の観光特急「ゆふいんの森」用のキハ71系は、キハ58・65の台枠・機器を流用した改造車(車籍も引き継ぎ)であり、2021年時点でも現役で稼働している。こちらも再改造によりエンジンは換装済み。
国鉄以外のキハ58系
大量に製造されたキハ58系は全体から見れば少数ではあるが、私鉄(民鉄)や第三セクターでも運用されたり製造した実績がある。
富士急行(現:富士山麓電気鉄道)
当時キハ58系で運転されていた中央本線の急行「アルプス」に併結する形で運転された急行「かわぐち」用の車両として富士急行が製造した同型車(キハ58000形)が存在する(国鉄以外が製造したキハ58系列はこの車両のみ)。58001と58002は1961年12月製、予備車58003は1963年製である。
電気鉄道である富士急が、その時点で既に電化されていた中央東線の新宿駅~大月駅間への乗り入れ車両として気動車を製造したのは、併結相手の「アルプス」が未電化区間(当時甲府駅以西未電化)への直通列車だったため、気動車にせざるを得なかったためである。
3両が製造されたが、そのうちの1両であるキハ58003は予備として用意された両運転台車である(先述の通り両運転台改造車キハ53が登場したが、新造時から両運転台車なのはこの1両のみ)。
電車と気動車では動力車操縦者免許が異なり、富士急でも内燃車免許を運転士に取らせるなど車両購入以外の費用もかかった。のち中央東線は程なく電化されたが、大糸線を全線走破する「アルプス」や「白馬」に飯田線直通の「天竜」や小海線直通の「八ヶ岳」などの気動車急行も残っていたため、即座に無用とはならずに済んだ。
1975年に併結相手の「アルプス」「こまがね」が電車化され「八ヶ岳」も廃止された関連で「かわぐち」も使用車両をキハ58系から国鉄165系電車に変更された。のち除籍され和歌山県の有田鉄道へ移籍。気動車の法定耐用年数(11年)は増備車58003もどうにかクリアしていた。
有田鉄道
キハ58001・002・003の3両は富士急で廃車後にトイレ・洗面所を撤去して有田鉄道に譲渡され、同社のキハ07を置き換えた。トイレ・洗面所の撤去は国鉄高砂工場で行っている。1980年、高砂工場に再入場しエンジンを1機撤去。形式はキハ58ながら性能はキハ28相当になっている。
001・002は元樽見鉄道のハイモ180の入線時に廃車となったが、003は路線廃止まで予備車として在籍していた。ただし検査は受けておらず、エンジン始動すら覚束無い状態であった。廃線後は沿線自治体を経て「有田川町鉄道公園」へ譲渡され、走行可能な状態に整備されて動態保存されていた。2024年現在は、エンジンの致命的な故障で自走ができない状態で保存されている。
なお、同社には国鉄清算事業団から購入した部品取り車が2両(86と136)存在していたが、このうち後者は驚くべきことになんと営業車としてJR西日本へ直通していた記録が残されている。届出上は車籍のない車両(ややこしい言い回しであるが、そもそも届出がない以上は車両として認められないため車両ですらない)であるため、ここの例で周知のとおり、それを営業運転に使うことは到底許されないことだが、一体どのようにして運用していたかは本当に謎である。
北近畿タンゴ鉄道(現:京都丹後鉄道)
JR西日本からキハ58・キハ28が2両ずつ計4両が譲渡され、そのうちの2両はキハ65のエーデルシリーズと同じ形をした展望席が取り付けられた。「タンゴエクスプローラー」の補完的な用途に使われたが、「タンゴディスカバリー」に置き換えられて廃車された。⇒レインボーリゾート(列車)
いすみ鉄道
2012年、JR西日本に残っていたキハ28をいすみ鉄道が引き取り、既に入線しているキハ52の増結車として運用されることになった。キハ28 2346号車。
その前に譲渡されていたキハ52 125号車と編成を組んで、2022年11月まで運用(イベント列車の車両にも使われる)。製造当時の車体で残るキハ58系としては国内最後の営業車であった。
南海電気鉄道
1962年4月、和歌山港~小松島港(徳島県)の小松島航路を介してなんば駅発着の特急「四国号」と連絡し高知駅・多度津駅発着の準急「阿佐」の運転が開始されたが、南海は「阿佐」用に6輌のキハ58系を利用債で製造を負担した。なお国鉄藉。
名古屋鉄道(キハ8000系)
名鉄が高山本線乗り入れ用として製造した車両。車体の外見はまるきり異なり、大きさが名鉄の車両限界準拠、窓や座席がパノラマカーの流れを汲むものであるが、下回りはキハ58をベースに設計・製造されている。最後に増備されたキハ8200形に至っては、キハ58等と同じDMH17Hエンジン2基装備ながら更に電源用エンジンを別積みするという構成である。
座席数は車体の短いキハ8000系より減っている。つまり国鉄で床下に付けている部品の一部を床上に置いたことで、二律背反な2機関搭載と電源確保を両立していた。固定窓・空調完備、座席は最低でも転換クロスシートと国鉄車とあまりに設備に差がありすぎるので(国鉄車は冷房なし・固定クロスシートもまだ普通の時期)、国鉄車両と併結されて運転されたことはないが、国鉄が借りて名鉄線内に起点を持たない夜行列車の運行に使われたことはある。
格上げ改造など無い、全く同じ車両の列車種別が準急→急行→特急とどんどん格上げされていった珍しい事例。特急化された際、キハ82系準拠の塗り分けに変更されている。
国外譲渡車両
ソビエト連邦(当時)向け
JR東日本で廃車になったキハ58形28両をサハリン向けに譲渡。ソ連崩壊前後の経済混乱で既存(日本製)Д2形が補修パーツの払底で運転不能になり、代車として渡ったもの。非冷房車である。
ただしД2以上に古い車両であるため、20両弱が使われたに過ぎず、残りは部品取りである。その部品取りも含めて現地車号としてk-1から順に付番しているため、日本の鉄道誌に掲載された車両の現地車番はところどころ飛びがある(運転写真のある車両の現地ラストナンバーはk-22)。kは勿論キハ(ロシア語でもКиха58と直訳。書類上は「k形」とされたが、通称では58はロシア語読みになったろうがそのまま「キハ58」と呼ばれ続けた)に由来。
低床ホーム対応のステップ追加など最小限の改造で、キハ56を投入した北海道より寒い土地で使ったが、「冬は運休する。乗る客が居ない」とこともなげに片付けられた地域もある。Д2の補修が終わると現地でも廃車となった。
タイ向け
タイ国有鉄道にJR西日本から譲渡。冷房車で、キハ58・28とキロ28と一通りの車両が渡っている。当初は種車の等級(普通・グリーン)に関係なく全て2等車扱いで、エンジンの関係で走行性能は低いものの通勤ライナー的な優等列車に充当された(現地車両はほぼカミンズ製エンジンで統一され、それなりに走行性能を持つ。DMH17のキハ58系が優等列車充当なのは全車空調を持っていたため)。
ステップ追加以外にも軌間が異なるため、改軌改造・ブレーキ改造などを受けたほか、追加した下段ステップはロシアの外付けと異なり自動ドア内に引き込んだため車体裾が大きく下がった。
台車に干渉するためそうした改造が不可能な運転台付き車両は、前デッキのドアを締め切り扱いにして実質1デッキ車となった。
エンジンが旧式であること、冷房の負荷が日本の比でなく高いことから(熱帯気候であるので通年使用である)冷房故障などで老朽化が急激に進んでしまい、一部は非冷房の3等客車に改造して使われたものの後に全て廃車となった。
ミャンマー向け
JR西日本・東日本で廃車になった車両を譲り受け、改軌して使用。
ミャンマーでは気動車形式をエンジン出力(1両あたりの総出力)で分類しているため(但し車種・車体構造別ではなく、キハ52など別車体構造の車両も同一出力であれば一括り)、エンジンが原型(DMH17H:180PS)か換装形式(DMF14ほか:250PS以上)かで分かれ、公式には西日本車がRBE3600、東日本車がRBE5000となっている。但し現場では車体構造の区別をしたいためか、元の日本車番を併記(カタカナはローマ字に転写し、KIHA58 . 567(例)のように)している。
タイと同じく1m軌間でホームも低いため、改軌とステップ取り付けは必須であるが、設備条件の違いから改造内容には相当に差異がある。
- ステップ:ロシアと同じく車外に外付け。そのため、運転室直後のデッキも使用可能。
- 改軌方法:タイでは日本時代の車軸をバックゲージ差異分だけ圧入して使ったが、ミャンマーでは一旦車軸を切断し、差異分だけ切り詰めた後再溶接。日本では認められない方法であるが、走行速度はタイより数段低いため簡易な方法としてなされている。
- 車体:元々はタイの1m軌間車両限界も小さいのだが、タイにはかつて標準軌だった線があるため、そうした線区の実質の建築限界はかなり余裕があった。そのためタイ行のキハ58系は「実際問題通れる」ことから車体はステップ以外手を付けなかったが、ミャンマーの鉄道は元々隣接するバングラデシュなど旧英領インドの1m軌間線区の車両・資材を転用して敷設されたのがルーツのため、建築限界もそれに合わせて非常に小さく、最大高さは3400mmに制限される。最大都市(旧首都)ヤンゴンの主要駅近辺でも旧来の規格通りで空頭の低い跨線橋があるため、車体無改造では運転不能である。冷房を撤去してもまだ足りず(元々のキハ58系の屋根高さは初期車で3720mm)、さらに屋根を下げるため窓の近辺で車体を320mm前後切り詰めて調整している。
- その他:連結器は日本時代のものをそのまま使用。結果、ミャンマー国鉄の車両の連結器規格は同じ線路の上で3通りとなってしまった(ノルウェー式と称されるフック式連結器(中心高さ508mm)と、その高さでつけたジャニー式連結器、日本規格の高さのままの柴田式(ジャニー式系統))。工場で入換をする際、特に日本製気動車の場合は控車が必須となる(同じ高さで付けたジャニー式であれば、中間連結器でこのリンク写真のように繋げる)。
フィリピン向け
JR東日本のジョイフルトレイン「グラシア」としてキロ59系化、その後「こがね」化でキハ59系へ格下げされた3両は、2010年の運用終了後フィリピン国鉄へ譲渡。現地で普通列車用として従来車に混じって使われている。
余談
タイトーの大人気ゲームである電車でGO!では、初代から長きにわたってキハ58系が運転できるようになっている。初代では山陰本線、プロフェッショナル編では山陰本線とJR京都線の急行「たかやま」、3通勤編では山陰本線、篠栗線で、プロフェッショナル編2では、予讃線・土讃線の快速「サンポート」と急行「土佐」、長崎本線と佐世保線での運転が可能。特に山陰本線は、3作品で運転路線に選ばれるほど。
関連タグ
キハ58:表記揺れ。