福嶋久晃 単語

フクシマヒサアキ

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福嶋久晃(ふくしま ひさあき)とは、元プロ野球選手である。

概要

1947年4月10日生まれ。和歌山県出身。

PL学園高等学校に進学。同期には得津高宏がいた。2年時に投手から捕手に転向。3年時に春の甲子園大会に出場したが、準々決勝で敗退している。1965年ドラフト会議では、広島東洋カープから8位で名されたが入団を拒否している。

卒業後、大昭和に入社。1966年都市対抗野球大会に出場し、準決勝まで勝ち進んだ。

1966年ドラフト外大洋ホエールズに入団。

1970年、第3捕手として一軍に定着したが、打力を生かすために内野手としても起用され、66試合に出場。プロ本塁打を含む2本塁打を放った。

以降も2、3番手の捕手として一軍帯同を続け、毎年5060試合前後に出場。

1975年伊藤勲と併用され、101試合に出場。打率.267、10本塁打、29打点記録した他、5割える盗塁阻止率を記録するなど、肩の強さも発揮。同年から1980年まで6年連続で2桁本塁打記録している。

1976年、初めて正捕手の座を射止めると、打率.266、18本塁打、45打点記録し、オールスターゲームにも初出場している。

1978年、初めて規定打席に到達し、15本塁打記録1980年には自己最多となる122試合に出場している。

1982年関根潤三監督が『ベテラン捕手3人制』を打ち出し、辻恭彦加藤俊夫とともに併用された。

その後は若菜嘉晴の加入もあり、出場機会が減少。

1985年広島東洋カープへ移籍。広島では右の代打の切り札として起用され、サヨナラ安打を放つなど活躍を見せたが、同年限りで現役を引退

引退後、広島コーチとしてのキャリアを歩み始め、その後、大洋でもコーチを務めた。

大洋退団後、飲食店を経営する傍ら解説者としても活動。長女の福子がプロゴルファーとなってからは、子のキャディーやマネージメントを務めていた。

2016年からは関西高等学校コーチを務めている。

人物・エピソード

強打と強肩を武器に活躍した捕手。守備面ではバックホームのボールが来ていないようわざと棒立ちした後、ランナーが足を緩めた途端に捕球体制に入る「棒立ちタッチ」を多用していた。

称は「キューちゃん」。

長女は女子プロゴルファーの福子。

通算成績

打撃成績

通算:19年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 1254 3204 2932 252 702 107 370 4 32 28 184 28 484 90 .239 .288

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