神内靖(かみうち やすし、1983年8月12日-)とは、京都府出身の元プロ野球選手(ブルガリア二世・投手)である。
OB | |
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神内靖 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府綾部市 |
生年月日 | 1983年8月12日 |
身長 体重 |
176cm 86kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2001年ドラフト4巡目 |
経歴 | |
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プロ野球選手テンプレート |
延岡学園高校から、2001年のドラフト4巡目で福岡ダイエーホークスに指名され入団。同時に1巡目で指名された寺原隼人とは同じ宮崎県内のライバル同士だった。
2005年に中継ぎとして一軍に定着、46試合で3勝1敗14ホールド、防御率3.26の好成績を挙げる。
2006年、肉体改造でムキムキの体格に変貌し、先発ローテーションの谷間で先発。力のある直球を武器に三振の山を築く投球スタイルで6勝3敗、防御率3.22。初回から全力で投げ込むため最長でも7回までしか投げられず、ペース配分が課題とされた。
2008年の開幕前に左肘を手術してこの年はリハビリに費やす。
2009年は左腕リリーフ不足のチーム事情もあって中継ぎに戻り、開幕当初こそセットアッパーを任されたが、すぐにブライアン・ファルケンボーグにその座を奪われ、主にビハインドで26試合の登板に終わった。
2010年も中継ぎとしてスタートしたが、チームの先発不足により4月14日のオリックス・バファローズ戦に先発。しかし3回7失点とフルボッコにされ、怒りのあまりにベンチを蹴って破壊(あれ?なんかどこかで似たような光景を見たような…)。厳重注意と修理費7万円の弁償を課せられた上にその後二軍落ちした後は森福允彦が台頭したため出番がなく、10試合の登板で防御率7.02に終わった。
2012年は開幕直後に1試合投げただけで二軍落ちしたが、6月に復帰。7月にはリリーフ陣の一角として好投し、藤岡好明や柳瀬明宏とともに懐かしトリオの復活としてファンを喜ばせたが、8月には調子を崩して二軍落ち。20試合で4ホールド、防御率5.47の成績に終わった。オフに多村仁志・吉川輝昭とともに江尻慎太郎・山本省吾・吉村裕基との3対3のトレードで横浜DeNAベイスターズへ移籍した。
力強い直球が武器だが、制球難と短気なメンタル面が弱点だった。2006年には6回途中で11奪三振を奪い、その後継投での1試合19奪三振(日本タイ記録)を記録している。
通算:8年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 155 | 26 | 0 | 0 | 12 | 12 | 0 | 23 | .500 | 282.2 | 119 | 271 | 145 | 138 | 4.39 |
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最終更新:2025/01/09(木) 07:00
最終更新:2025/01/09(木) 07:00
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