杉浦享 単語

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杉浦享(すぎうら とおる)とは、元プロ野球選手である。

1975年から1980年までは「杉浦亨」を登録名としていた。

概要

1952年6月8日生まれ。愛知県(現:西尾市)出身。

中学時代は陸上部に所属していたが、部員不足の野球部に助っ人として参加していた。

愛知高等学校に進学。陸上部に入部していたが、部員不足であった野球部から勧誘され入部。1年時からレギュラーとして活躍し、甲子園出場はわなかったが、左の速球として県内では有名な選手となっていた。

1969年ドラフト会議にて、ヤクルトアトムズからドラフト10位で名され入団。投手として入団したが、入団直後に野手に転向している。

野手転向後、なかなかレギュラーに定着できず、1975年に同じファーストを守る大杉勝男が移籍したきたこともあり控え・代打としての日々を長く過ごした。

1977年終盤に、出場機会を増やすために外野手に転向。この年は6本塁打を放っている。

1978年、長打力を武器に外野のレギュラーに定着。クリーンナップの後ろを任され、打率.291、17本塁打、67打点記録チームの初優勝に大きく貢献。

1980年打率.311、20本塁打、62打点マークし、ベストナインに選出された。

1985年打率.314、36本塁打、81打点とキャリアハイの記録マークし、2度ベストナインに選出。

1986年、故障により42試合出場で打率.244と調子を崩したものの、翌1987年打率.304、24本塁打73打点復活し、カムバック賞を受賞。

1989年以降は若手の台頭もあり、に控えや代打の切り札としての起用が増えた。

1992年、故障によりわずか18試合の出場に留まったが、日本シリーズでは第1戦の延長12回満塁の場面で代打として登場し、日本シリーズ史上初の代打サヨナラ満塁本塁打を放ち、強インパクトを残した。

1993年チーム日本一になったこの年、杉浦は現役を引退した。

引退ヤクルトコーチと務めた後、ヤクルト本社で営業職として勤務していた。

人物・エピソード

鋭いスイングから強な打球を放ち80年代ヤクルトの中軸として活躍した遅咲きの長距離。がっしりとした体格ながら二桁盗塁を5度記録し、1982年には22盗塁記録している。

初球は相手投手の球筋やタイミングを図るためほとんど振ることはなかった。また、通算安打の約半数が本来打者が不利になる2ストライクからの安打である。

応援歌の前奏として必殺仕事人テーマ曲が使用されていた。

趣味ギター漫画鉄道模型など多趣味であった。

通算成績

打撃成績

通算:22年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 1782 5847 5056 743 1434 224 753 109 30 45 682 34 669 78 .284 .370

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