大家友和(おおか ともかず、1976年3月18日-)とは、京都府出身のプロ野球選手(投手)である。現在は横浜DeNAベイスターズのコーチを務める。
横浜DeNAベイスターズ #78 二軍投手コーチ |
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大家友和 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府京都市右京区 |
生年月日 | 1976年3月18日 |
身長 体重 |
185cm 91kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1993年ドラフト3位 |
引退 | 2017年 |
経歴 | |
選手歴
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野球選手テンプレート |
1993年ドラフト3位で横浜ベイスターズに入団そした。背番号は56。
1994年4月27日の中日ドラゴンズ戦でデビューし、4月29日のヤクルトスワローズ戦でプロ初勝利を挙げた。
1998年オフ、当時の監督だった権藤博の後押しもあり、メジャーリーグへの挑戦を決意し、ボストン・レッドソックスとマイナー契約を結ぶ。翌年1999年10月にボルチモア・オリオールズ戦で初勝利を挙げる。
2001年途中、モントリオール・エクスポズに移籍。
2002年、2003年は先発ローテーションとして二桁勝利を挙げる活躍をしたが、2004年は故障でシーズンの大半を棒に振った。
2005年は監督との不仲でミルウォーキー・ブルワーズに移籍し、自身3度目の二桁勝利をマーク。
2007年にはトロント・ブルージェイズに移籍し、野茂英雄に次いで二人目の大リーグ通算50勝を達成。しかしその後は成績不振で様々な球団を回る。
2010年4月27日に横浜ベイスターズと契約を結び、12年ぶりの日本球界復帰を果たした。初登板で勝利を挙げたが、これは日本プロ野球では16年振りの勝利であり、日本プロ野球最長ブランク記録を更新した。その後はやや好不調の波が激しかったが、チーム2位の7勝をマーク。特に読売ジャイアンツ戦は防御率2点台で2勝負けなしと得意にした。
2011年は7試合で6敗と揮わず、戦力外通告を受けた。オフに肩を手術。
2012年は所属球団がなく、野球浪人となった。2013年、韓国・高陽ワンダーズの春季キャンプで臨時コーチを務めた。
2013年4月8日、ベースボール・チャレンジ・リーグの富山サンダーバーズに入団。オフにトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。
2015年に富山GRNサンダーバーズに復帰したが、同年8月10日に自由契約となり、同月21日からは福島ホープスに所属している。またかつての両打ち登録から右打ち登録に変更された。
2016年オフにメジャーのトライアウトを受け、ボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結んだが、メジャー契約に至らず現役を引退した。
2018年からは横浜DeNAベイスターズの二軍投手コーチを務める。
通算:16年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB:6年 | 63 | 33 | 1 | 0 | 8 | 17 | 0 | 0 | .320 | 311.2 | 79 | 11 | 134 | 123 | 5.23 |
MLB:10年 | 202 | 178 | 5 | 1 | 51 | 68 | 0 | 1 | .429 | 1070.0 | 302 | 559 | 521 | 459 | 4.14 |
通算:2年 | 登板 | 完投 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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BCリーグ | 36 | 3 | 11 | 12 | 0 | .478 | 164.0 | 88 | 48 | 92 | 88 | 4.83 |
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最終更新:2025/01/09(木) 07:00
最終更新:2025/01/09(木) 07:00
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