北条邦時(1325~1333)とは、北条高時の息子で北条時行の兄である。
北条高時の長男。生年は『花園天皇宸記』の正中2年11月30日条にある北条高時の男子誕生の報から、誕生日は金沢貞顕の書状に11月22日生まれの北条高時の男子がいることから、この両史料が北条邦時のことだとおおむねみなされている。
ただし、「続群書類聚」の2つの『北条系図』には没年が15歳とされ、男子まで設けている……のだがこちらよりも9歳説のほうが蓋然性が高いとされる。
母親は『太平記』では五大院宗繁の妹とされ、『系図簒要』ではこの娘とされる。とりあえず、五大院宗繁の縁者ということは、今のところ特に否定などはされていない。幼名は万寿丸で通称は相模太郎。
ちなみに側室の子とはいえ長子であり、『花園天皇宸記』では朝廷からの使者は長子として取り扱い長子の先例に従うべきだとして話し合いが行われていた。
『太平記』によると、鎌倉陥落時に脱出のために預けられた、この五大院宗繁に騙されて捕らえられ、処刑された。五大院宗繁は、その後このことを責められ、困窮の中で死んだとされる。ちなみに、五大院宗繫は「円覚寺文書」などに登場する北条高時の御内人「五大院右衛門大郎高繁」(五大院高繁)と同一視されるが、本当に同一人物であり実在したのか否かも含めて、もろもろが史実かは不明。
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最終更新:2024/12/23(月) 18:00
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