中学時代はアミューズの新人発掘オーディション、高校時代にはジュノン・スーパーボーイ・コンテストにエントリーするも、どちらも良い結果には繋がらなかった俳優、菅田将暉。芸能界デビューと進学、その狭間で揺れる10代の菅田を見守り続けた父親は、どのように子どもの夢を支え、応援したのか――。菅田将暉の父、菅生 新氏が語る。※本稿は、菅生 新『スゴー家の人々~自叙伝的 子育て奮戦記~』(トランスワールドジャパン)の一部を抜粋・編集したものです。
神木隆之介とキャラかぶり!?
初オーディションの結末は
中学校2、3年生くらいになると、大将(編集部注/菅田将暉の本名)はスカウトから声がかかるようになりました。友人と梅田へ遊びに行った日は、必ずと言っていいほどスカウトマンからの手紙を持ち帰ってくるのです。何々プロモーション代表取締役誰々より、どこどこプロダクションマネージャー誰々よりという感じのものです。中味は大体、「つきましてはいつどこどこでオーディションがあり云々」と書かれていました。
私も大将も、スカウトに関しては警戒して近づかないようにしていましたが、大将はその頃には芸能界を意識していたように思います。大将の身長はまだ160cmそこそこでしたが、なかなか可愛い顔をしていたので声がかかりやすかったのかもしれません。
そんな中あるお店で私が、アミューズ30周年記念のタレント発掘オーディションのポスターを見つけて、応募してみようかという話になりました。募集のポスターを見ると、本人も行きたそうだったので、エントリーすることにしました。
すると、どんどん勝ち抜いて、全国6万5000人中ベスト30まで残り、東京での本大会に臨むことになりました。本大会でのパフォーマンスで大将は、キーボードを弾きながら歌いました。中学3年の少年が、緊張のあまり白目をむいて歌う姿は少し痛々しい感じもしました。厳しそうな審査員の目が光る前でのパフォーマンスはお世辞にも良い出来とはいえませんでした。
審査会場では、上の階からたくさんの有名人が降りてきて、応募者たちに「頑張ってね」と声をかけていました。そのなかには、上野樹里さん、神木隆之介さんらがいました。子どもたちはスターを間近で見られて大喜びです。
大将は、ちょうど神木さんと年齢と身長が同じくらいでした。キャラクターが被っているから入賞は難しいかな、という思いはありました。
しかしそれでも私は、大将なら入賞できるのではと密かに期待に胸を膨らませてもいました。