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山形浩生氏の連載が始まります!テーマは9月号(8月10日発売)と連動した『集合知』。身近なエピソードから、くすっと笑えるお話まで。なぜいま集合知?集合知は万能なの?そんな疑問もこれを読めば解消されます。
はじめに
ウシの体重を当てようというコンテストで、シロウトたちのあてずっぽうをたくさん集めて平均を取ってみたら、ウシの専門家たちの見積もりより、正確な数字が得られた――これは、集合知に関する通俗書としてかなり早い時期に出たジェームズ・スロウィッキー『「みんなの意見」は案外正しい』の冒頭に出てくるエピソードだ。
集合知という言葉には(おそらく)明確な定義があるわけではない。が、人々がこの言葉を使うときに考えているのは、概ねこのエピソードで見られるような事態だ。一部の専門家の持つ高度(とされる)知見は、実はそんなに大したことがないのかもしれない。何も知らないはずの人々が、実は深い知識の片鱗を持っており、それを集約することで専門家をはるかに凌駕する叡智が浮上してくる――そしていまや、インターネットや携帯電話を通じて、そうした多くの群衆の知恵を簡単に集め、まとめ上げることが可能となった。そして、それをビジネスや政治などでも活用できそうだ。こうした期待が、現在の集合知に対する関心の高まりにつながっている。
並行して、多くの個別情報を集めて統計解析やデータマイニングを行うことで新しい情報を読み取ろうとするビッグデータ解析や、インターネットを通じて多くの人々のちょっとした資金を集めて事業を成立させる、クラウドファンディングのような各種の動きが出てきた。また、一部の製薬企業は社外の製薬とは関係ない分野を専門とする遊軍研究者団のようなゆるいグループを持っていて、社内での研究開発問題をそこに公開すると、別の分野ではその問題がすでに解決済みだったり、あるいは解決につながるまったく別の知見が得られたりする、といった事例も集合知の応用例のような形で紹介されるようになっている。
ぼくの感覚からすると、こうしたものは集合知からは少し遠いような気もするが、でも何か明確な境界線が決まっているわけではないし、いずれも同じ考え方や技術的な進展に基づく隣接事例だというのはまちがいないことだ。
こうした最近の動きの事例や、ビジネスへの応用例については、おそらく本特集 ――紙媒体でもウェブ上でも――でそれなりに報告・紹介されることと思う。だが一方で、この発想自体は決して突然出てきたものではない。昔から各種の形で、意識的、無意識的に活用されてきたものだ。本稿では一歩ひいた立場から、少し(いやときにはすさまじく)古い例などを交えつつ考察を進めよう。それを通じて、この集合知の発想が突然出てきた一過性のものではなく、すでに長年の実績を持ち有効性が実証されているものだということを示そう。同時に、そこからこうした手法の応用についての留意点もある程度見えてくるかもしれない。