漫画ではないですが、
筒井康隆は「時をかける少女」について、
「一番よく稼いでくれる、親孝行娘です」と答えています。
映像化は合わせて10回近いですが、
作者に莫大な利益をもたらしたという点では
メリットももたらします。
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そもそも、出版契約では基本的に、
出版や翻案権を含む、著作財産権については、
独占的な許諾を認めるような形になっていることがほとんどなので、
出版されている作品は、それが自費出版でもない限り
「原作者が自ら、『ビジネスのため』手を離している」
という状態なのです。
その御蔭で、本は出版されます。
「本が出版される」「作品が映像化される」
これ、全部作者が出版社と結んだ契約です。
なので「すべてろくなことにならない」なんてことはないんです。
印税を得られるのも、映像化で作品の知名度が上がるのも、
全部「作者の手から離れている状態」です。
もちろん、不幸な事例はありますけど、
そもそも多くの著作者自身が、
「翻案権などの権利を独占的に許諾させる」という意味を
全く理解していないのが問題でもあります。
作者が自分の意見を言うことは出来ても、
自らが結んだ契約によって、全てが作者の思い通りにはならないわけです。
例えば、よく取り沙汰される映像化の改変について。
これは「翻案権」によって行われています。
譲渡も出来ない同一性保持権は「著作物そのもの」の改変は防げますが、
映像化作品など、「二次的著作物」には効力は及びません。
作品の権利は著作者に全て帰属していたとしても、
「著作財産権について独占的な許諾をする」という契約を結んだならば、
当然「翻案権を行使しての二次的著作物の制作」にも
許諾を出している、すなわち、作者自らOKをした、
という解釈になります。
これを一般人はおろか、著作者ですら無頓着であることがよくあるのです。
もちろん、要望や意見を伝えることは出来ます。
ですが、自分の作品であっても、
そのビジネスの舵取りを他人に委ねるという契約を自分でした以上
「ろくなことにならない」というのは筋が違うわけですね。
出版も同様です。
本来は作者が権利を持っているのに、
刷る部数とかは作者の自由には出来ませんよね?
映像化なども、それと同じことなのです。
出版する権利は自分にあっても、
「独占的に許諾を認めている」状態です。
「著作物の『ビジネス』を(独占的に許諾をし)他人に委ねる」
これが「商業出版する」ということです。