(回答)
(以下、拙訳)
The Quireboys(Qb)は、1984年にロンドンで結成された英のロックバンドで、ニューカッスルとの繋がりが強い。当初はThe Choirboys、その後The Queerboysとして知られ、米と加ではThe London Quireboysとして宣伝され、最終的に現在の名称に落ち着いた。
歴史
1985-89:結成
Voのジョナサン・グレイ(通称「スパイク」)は、17歳の時にニューカッスル・アポン・タインからロンドンに移り、バーでGtのガイ・ベイリーと出会った。
80年代半ばまでに、2人はR&Rバンドの結成を決意。グループ名は当初77年の映画から取った「The Choirboys」だったが、すぐにThe Queerboysに変更された。
The Queerboysはマーキークラブで演奏し、ファンを増やし始めた。バンドのDs、ポール・ホーンビーはすぐに脱退し、後にQbの友人となるメンバーが所属するドッグス・ダムールに加入。彼の代わりにニック・コネル(コージーとして知られる)が加入した。
86/3/28、The Queerboysはバーニー・トーメとモホ・パックと共に、ハマースミスのクラレンドン・ホテルにあったクラブ・フットに出演。同年5月、チェリー・ボムズのツアー日程でサポートを務めた。
87年までに、物議を醸すバンド名が足枷となり始め、アンディ・マッコイのバンドとのツアーで幾つかのギグがキャンセルされた。また、彼らはレディング・フェスティバルに出演予定だったが、改名の条件付きだった。そこで彼らはThe Quireboysに改名し、以来ずっとその名前を使っている。
1990-95: A Bit of What You Fancy(ABOWYF) と Bitter Sweet & Twisted(BS&T)
シャロン・オズボーンがマネージャーに任命され、QbはEMIと契約してデビューアルバム(Al)、ABOWYFを発表。90年までに、Qbはジンジャー (後にワイルドハーツを結成) を解雇し、代わりに元クレイドル・スナッチャーズ / フェライン・グルーヴのGt、ガイ・グリフィンを起用した。
デビューAlは、加州LAのチェロキースタジオでジム・クレガンとジョージ・タトコがプロデュース、ロン・ネヴィソンがミックスした。バンドはUK Alチャートで2位に入った。ABOWYFは好評を博し、ロッド・スチュワートやフェイセズなどの英のロックスター達と比べられた。
長いツアー日程は、大晦日に5万人の前で東京ドームで行われた来日ライブで終了。この長いツアーの後、ライブAl「Live (Recorded Around the World)」が発表された。
バンドは91年10月にプロデューサーのボブ・ロックと2枚目のAlの制作を開始。このプロジェクトは、ロックの他の仕事やEMIの人事異動により何度も遅れた。92年春、クリス・キムジーが参加し、幾つかのトラックのリワークを行った。BS&Tは最終的に93年3月に発表され、UK Alチャートで31位を獲得した。
BS&Tの発表後、Qbは8年間、解散状態だった。グリフィンは、解散の原因を「ビジネス上の問題」とグランジミュージックの台頭とした。LAでの一連のライブショーが成功した後、彼らは2001年に新しいメンバーでバンドを復活させる事を決定した。
1994-2000: ソロプロジェクト
その間、Qbのメンバーはレコーディングプロジェクトに着手。 95年、スパイクはドッグス・ダムールのダレル・バスとデュオを結成。Al「Take Out Some Insurance」はスパイク・アンド・ダレル名義で発表された。翌年、スパイクはタイラとデュオ「Hot Knives」を結成し、「Flagrantly Yours」を発表。スパイクのデビューソロAl「Blue Eyed Soul」は97年に発表された。同年、スパイクはバンド「God's Hotel」の一員としてAlを1枚発表した。
2001-21:再結成とその後のAl
Qbの再結成は、01年7月に3枚目のスタジオAl「This Is Rock'n'Roll」を発表した事から始まった。AllMusicは、このAlをバンドの「より一貫性があり、焦点が絞られ、インスピレーションに富んだ作品」の1つと評した。
バンドの4枚目のスタジオAl「Well Oiled」は、04年にSPVから発表された。
08年のノルウェーロックフェスでのQb
08/5/12、Qbは5枚目のAl「Homewreckers & Heartbreakers」をJerkin' Crocusから発表。新Alのインスピレーションについて、ポール・ゲリンは次のように話した。「面白い話なんだけど、僕達はスウェーデンのマルメの楽屋にいたんだ。ちょうどショーの直前で、一寸ばかり、泡だらけの飲み物で渇きを癒していた。Alの題名を考えていたんだけど、皆がその提案に笑っていた。バンドのメンバーの一人が自分のやった事についての話を披露していたんだけど、バンドの別のメンバーが「君はただの家庭を壊す人だ」と言った。別のメンバーが「そうだね、それにハートブレーカーでもある」と言った。僕達はただ笑っていたんだけど、バンと、それが生まれた。それだけの単純な事だったんだ」
13年3月、Qbはシンデレラ、テスラ、キックス、クイーンズライクなどのバンドとともに、Monsters of Rock Cruise(MORC)で演奏。バンドは13/5/15に新シングル(Sg)「Too Much of a Good Thing」を発表。これは7枚目のスタジオAl「Beautiful Curse」からの曲で、1か月後の13年6月に発表された。
バンドの12枚目のスタジオAl「Amazing Disgrace」は19/4/5に発表。Classic Rock誌は、このAlを「エネルギッシュでダイナミック」、「久々のQbの最高のAl」と評した。このAlの前にはリードSg「Seven Deadly Sins」が発表された。バンドは19年3月-5月に、英と西をツアーしてAlをサポートした。このAlはもともとPledgeMusicを通じてクラウドファンディングされていたが、バンドはPledgeMusicの支払い問題スキャンダルの影響を受けた。 Off Yer Rocka RecordingsがAlの資金援助に踏み切った。
21年後半、彼らはDead DaisiesのUKツアーのサポートを務めた。22年2月のMORCには、スパイクが「直前に欠席」したため、グリフィンがVoを担当し、Qbは5人編成となった。
2022-24
22年3月、グリフィンが率いるVer.は、リードVoのスパイクをバンドから放出した事を発表。これはファンからの様々な反応を引き起こし、2つの会場が以後のQbの公演をキャンセルした。しかし、グリフィンが率いるVer.は、グリフィンをリードVoとしてツアーを続けた。23年には、独と英のツアーを終了し、仏のクリッソンで開催されたヘルフェストで演奏した。
この分裂により、Qbの名前の法的所有権を巡る論争が起こった。
22年5月、スパイクはオリジナルメンバーのベイリーとナイジェル・モッグとQb名義で再結成し、新曲を書き、レコーディングすると発表。その後、Qbのメンバーであるクリス・ジョンストンとルディ・リッチマンをフィーチャーしたロンドンでのコンサートを22年12月に開催する事を発表。22/12/9、彼らは英の戦闘退役軍人のための慈善団体であるケア・アフター・コンバットを支援するため、2曲入りSg「メリー・クリスマス&ハッピー・ニュー・イヤー」を発表した。
22/12/7、グリフィン率いるバンドは、22年9月にO2フォーラムケンティッシュタウンで録音されたライブAlを発表。グリフィン率いるバンドは、22年7月に「The Band Rolls On...」という題名のAlを発売予定だと発表し、後に発売が23年9月と確認された。リードSg「Lie to Me」は22/12/5に発表された。バックチェリーのジョシュ・トッドとスティーヴィー・DをフィーチャーしたセカンドSg「Medicine」は23/7/14に発表された。バンドは、23年4月-9月にブラックボールドのサポートを受けて、ビューティフル・カースの10周年を記念した英ツアーを行う事を発表した。
23/4/6、Gtのベイリーが死去。発表の中で、スパイクは、彼とベイリーが、バンドメイトのクリス・ジョンストン、ナイジェル・モッグ、ルディ・リッチマンをフィーチャーした新しいQbのAlのために曲を書いた事を明らかにした。Al「Wardour Street」(WS)は24年後半に発表予定。リードSg「Jeeze Louise」は23/10/31に発表された。Alの発表は24年5月の英ツアーと同時期に行われ、Gtのルーク・モーリーがベイリーの代わりにサンダーから出演する。
24/9/2、グリフィンのラインナップが新バンド名「Black Eyed Sons」を採用し、25/1/28に発売予定の次のAl「Cowboys in Pinstriped Suits」の題名を変更すると発表し、論争は終結した。
Wardour Street
Qbは24年11月にWSをサポートするツアーを行う予定。Alは24年9月にスパイクの母親に敬意を表すショーで発売された。
(以上)