音大のソルフェージュの試験で課される「聴音」や「初見視唱」といった能力は、 具体的に音楽の実技のどういった能力に繋がるものなのでしょうか。 なぜそれが求められているのか、恥ずかしながら明確には理解できていません。
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いつも勉強になる回答をありがとうございます。 知識への解像度がまた上がりました。 また他の方たちの回答もそれぞれなるほどを思わせられる内容でした。 感謝いたします。
お礼日時:1/9 2:58
まずは、よく勘違いされるのですが、音大はプロを養成する機関では ありません。 他の学科と同じように、その学科の専門性を高める機関であって、 プロを養成する目的があるのは、一部の音大の一部の学科だけです。 実際に、音大からプロになれる人は、ごくわずかです。 「聴音」や「初見視唱」については、簡単に言うと、音楽を学ぶ上での 専門性を高めるための1つの技能になります。 「聴音」は、単旋律と和声がありますが、 単旋律は、相対音感やリズムについての基礎能力です。 この能力が高いことによって、自分の演奏して出した音を聴き取った時に 正しい音が出ているかを、より正確に聴き取れるようになります。 和声は、ハーモニー(重なった音の響き)を聴き取る基礎能力です。 ソロなら、メロディと伴奏の音の響き、合奏なら、個々の楽器の音の響き の重なりを聴きとって、音のバランス能力を身につけることができます。 要するに、耳を鍛えます。 「初見視唱」は、楽譜を瞬時に正確に読み取って、すぐさま演奏できる 能力です。 楽譜全体を瞬時に読み取る能力と、練習なしで、即興的に正確に演奏 できる能力が求められます。 なので、楽譜を素早く読んで理解できる能力に役に立ちます。 実は、楽譜を読んで演奏する、という練習をしていても、この能力は なかなか身に付きませんので、別途、初見視唱の練習をすることで、 楽譜を読む力をより高いレベルで身につけることができます。 特に、プロのピアニストは、この能力が抜群ですね。 「聴音」も「初見視唱」も、普通に趣味程度に演奏している分には、 必須の能力ではありませんので、音大のような専門性の高い機関で 学ぶことになります。 ちなみに、よく勘違いされている方が多いのですが、幼少期に音楽を 学んでいれば、絶対音感が身に付くわけではありません。 絶対音感を身につけるのは、演奏とは別の特別な訓練が必要になります。
音楽というのは言語的な感覚と近いです。 幼少期に英語の訓練を受けないと、LとRの発音を正確に区別することは出来ないようです。 幼少期に音楽の訓練を受けないと、絶対音感は身に付かないようです。 ソルフェージュは基礎の基礎です。恐らく質問者さんが思っているものより、もっとずっと基礎です。あまりにも基礎すぎて、実技の内容と直接は繋がらないかも分かりません。 小学校の低学年のときに、国語の教科書を姿勢よく持って音読しませんでしたか?あれを譜面でやっているのが新曲視唱です。 そのうちに音読なんかしなくても、今まさにあなたは黙読しながら私の日本語を理解できていますよね?それが「そのへんに音読なんかしてなくも我の言も理解できていますよね?」と書かれたら『変な日本語だな』ってすぐ気付きますよね。 そのレベルの基礎訓練です。文字を塊として捉え、パッと見たらパッと意味が分かる。瞬間的に捉えられる能力。 譜面を1音1音辿るのではなく、パッと見たらパッと理解できる能力。 ソルフェージュ単体ではありません。楽典もやって和声もやって音楽史もやることです。単発では意味を成しません。 我々は文法も歴史も古典も漢文もやっているので、 「いとをかし」「てふてふ」と聞いただけで大昔のものだと一瞬で理解できるし、 「ひかぇーい!我こそは三代徳川将軍」と聞いただけで何となくいつ頃の話か分かるし、 「本日ハ晴天ナリテ、我ガ帝国海軍ニオイテハ…」だけで『あぁ戦時中だな』ってなるじゃないですか。 音楽も全く同じで。 バロックなのか、古典なのか、ロマン派の大体どの辺なのか、印象派なのか近現代なのか。音楽史や和声の知識はもとい、譜面なら視唱、音なら聴音の精度が高ければ高いほど一瞬で正確に高いレベルで音楽を理解できるはずです。 繰り返しますが受験や大学でやるソルフェージュがそこと直接的には結び付きません。他のあらゆる勉強とリンクしたとき、体系的に知識とスキルを身に付けるとそれが出来るようになります。ソルフェージュ能力はその1ピースです。 『普通の』喋り方があるんですよ。日本語ネイティブなら、日本で暮らしていたら当然のように分かる、共感できる言い回しがあるんです。時代もそう、方言もそう。 『普通の』演奏があるんです。音楽の英才教育を受けた人なら当然のように分かる、そうとしかならない演奏が存在するんです。 ソルフェージュが直接的にそこへ働きかけるというより、ソルフェージュ能力もないのにそれら伝統文化を理解するのは到底不可能ということです。 寿司職人や歌舞伎役者になりたいのに、そもそも日本語が読めない喋れないのと同じです。五十音も発音できずに、小学校の国語の教科書も理解できずに、日本文化の何が分かるでしょうか? よくある勘違い、言いたいこととして。 「別にソルフェージュ能力がなくても譜面を理屈で理解することが出来る・」 「パッと見て弾けるかは初見能力であってソルフェージュ能力ではない」 「現にそれで成り立っている。困ってない」 といったところでしょうか。 これらも別に間違いではなくて、別にソルフェージュ能力が必ずしも専攻の能力には一致しないんですけれども。 『言語的な理解』に尽きます。日本語と同じ感覚です。その助け無しに上手いのならば構わない。「日本語がメチャクチャな寿司職人がいたって良いじゃないか」というだけの話です。大谷翔平は英語喋ってないし。
音大は「プロを育てるカリキュラム」という所がポイントです。 一曲に何年もかける(アマチュアのように)なら必要無い能力です。でもプロは一曲をより速く、より深くものにする必要があります。仕事ですからこなせる曲数が収入に直結します。 初見は最たるものですし、耳の力は、作曲、耳コピ、分析、技を真似る、自分の音を確認する、などに使います。 次に声でやる理由は作音するからです。音程が変えられない楽器はもちろん、トロンボーンやヴァイオリンも調弦や視覚的に頼って音を出すことも可能です。身体で覚えるだけでなく、何の頼りもなく音を想像(創造)する事を目的としています。 これらを訓練する事でより速くさらう事が出来て、分析する際も速く到達できます。
音が鳴って、それがどの音なのか どれくらいの長さの音なのか を判別する能力。 単旋律、和声 が求められます。 初見は、楽譜を見て、情報を読み取り、それを音にする能力。 聴音の能力は、独奏曲であればピアノ伴奏との関係性、室内楽や合奏であれば、他の楽器が何をしているか を聴き取る能力 の基礎になるのではないですか? 初見は、自分で出す音の高さを決めて、それを音にします。 管弦楽器であれば、基準音からの音程感。音と音の幅を想像して音にする ということの基礎になろうかと思います。 ことさら初見は、上記に加えて、パッと見てパッと適切な音程で歌う能力に特化しますけど。
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