「お礼メールが来たから問題ない」は通じる?“勘違いおじさん”と言われる理由を考えてみた ── フジテレビの第三者委員会がまとめた調査報告書で、中居正広さんの行動について「女性の心身の自由を制限した可能性がある」と指摘されました。これは要するに、好意の押しつけや場の支配などが、相手にとって不快だったり、自由な意思表示を妨げたと認定されたという意味だと思います。 ところが中居さん側は、「お礼のメールをもらった」「プライベートなやりとりがあった」「彼女から勇気づけられた」といった主張を繰り返し、報告書の内容に不満を表明しています。あたかも「仲が良かったから問題ない」「嫌がっていたはずがない」と言いたげです。 でも、よく考えてみてください。報告書には、ある会食の場で中居さんと女性がフジテレビの元幹部と3人で同席していて、そこでその幹部が「付き合っちゃえば?」と発言し、女性がすぐに「とんでもない」と否定したとあります。さらに、その場で連絡先を交換させられた流れの中で、後日食事に誘われ、問題が起きたと記載されています。 これだけ読むと、女性は上下関係のある仕事の延長として、ある程度表面上は穏便に接していただけで、本心から親しくしたかったわけではないように見えます。そんな中で送った「ありがとう」や「励まされた」というメールがあったとしても、それが即「親密な関係だった」「嫌がっていなかった」と結論づけていいものでしょうか。 社会に出た大人ならわかると思いますが、礼儀として送る感謝の言葉や、気まずくならないようにする社交辞令は、必ずしもその人の本音を意味しません。しかも、相手が有名人で立場が強い相手なら、なおさら無難な対応を取ることもあるでしょう。 中居さんの「メールが来たから問題ない」という主張は、あまりにも一方的で、関係性の温度差を無視していると感じます。だからこそ、SNSなどで「勘違いおじさん」とまで言われるのではないでしょうか。本人に悪意がなかったとしても、相手の気持ちを考えない主張は、かえって自分の印象を悪くするだけです。 しかも、第三者委員会の認定に対して、被害を訴えた側は明確に「事実と異なる」と反論しており、中居さん側の主張は一方通行になっています。「メールが来た」という一点だけで、全体の関係性を語るのは無理がありますし、それで不適切な行為が帳消しになるわけでもありません。 中居さんのような影響力のある人が、「お礼を言われた=問題なかった」と言い張るのは、とても危うい前例になりかねません。こういう主張を聞いて、みなさんはどう思いますか? 「感謝されたことがある」だけで、すべての問題がなかったことになると思いますか?私は、まったくそうは思いません。