回答受付が終了しました
キリスト教は伝言ゲームなのに、なぜ信じられるのでしょうか? 古くて有名な宗教ほど、その教えは「伝言ゲーム」に近いように感じます。
キリスト教は伝言ゲームなのに、なぜ信じられるのでしょうか? 古くて有名な宗教ほど、その教えは「伝言ゲーム」に近いように感じます。 特にキリスト教の聖書については、原書が存在しないことがほぼ確実ですし、何百年もの間、神などの信仰の対象ではない、ただの人間によって、教会会議などが開かれ、さまざまな解釈が加えられたり、逆に内容が排されたりしてきたことは有名です。 今の聖書は一見論理的で美しく、立派な書物に仕上がっているかもしれませんが、それはこうした膨大な調整が積み重ねられてきた結果でしかありません。 そこには政治的な意図や権力者たちの都合が反映されている部分も多いでしょう。 今もなお、元々の教えを正しく伝えることよりも、今を生きる人々にウケる・都合が良いことを重視する教会によってキリスト教の教えや聖書の解釈は変更され続けています。 聖書の成り立ちが「書き換え」や「編集」の歴史であることは、キリスト教徒の方々もご存じのはずです。 それでもなお、なぜ聖書を素直に信じることができるのでしょうか?
1人が共感しています