本田宗一郎は間違っていたのでは。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 1960年代に通産省は多すぎるクルマメーカーを減らすために特振法を作ったそうですが。 この特振法のせいでプリンスは日産に吸収されて。 この特振法のせいでヤマハは四輪への進出を諦めて。 その他小さなクルマメーカーは消滅に追いやられ。 ホンダも二輪だけに専念するように指導を受けたそうですが。 よく分からないのですが。 本田宗一郎が通産省に殴り込んで特振法に抗議した武勇伝は有名ですが。 ですが当時の通産省が指摘した通り日本にはクルマメーカーが多すぎたのでは。 当時の通産省が予想した通りに今の日本のクルマメーカーて多すぎるから経営難のメーカーが多いのでは。 本田宗一郎は間違っていたのでは。 と質問したら。 ホンダは日産と三菱を買収して勝ち組になった。 という回答がありそうですが。 70年代にはあんなにたくさんあったクルマメーカーですが。 ですが今では勝ち組になったのはトヨタとホンダだけなのでは。 日産とマツダとスバルと三菱は負け組になったのでは。 それはそれとして。 通産省がクルマメーカーが多すぎるから減らす。 ホンダは二輪だけに専念しろという通産省の考えて間違っていなかったのでは。 ホンダがクルマメーカーに進出したことでクルマメーカーが1社増えたことで日産やマツダやスバルや三菱は倒産したのでは。 そんな倒産した日産と三菱を通産省の指導でホンダが救済しないといけないてカルマですか。 余談ですが。 本田宗一郎が通産省に殴り込んだ話は武勇伝になっていますが。 長い目で見たらホンダがクルマメーカーに進出したのは間違いだったのでは。 たぶんホンダはバイクだけ作っていたら今ごろは安泰の余裕でいられたのですは。

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そのは特振法案は廃案になったし、通産省の決めた御三家のうち今でもまともなのはトヨタのみ。日産はあの体たらく(国内販売台数ランキングではスズキ・ダイハツ・ホンダ以下の5位)でいすゞに至っては1993年に乗用車生産から撤退。 スズキ・ダイハツ・マツダ・スバルなどは「お前らは軽自動車だけ作れ」とされたグループだが、80年代に小型車に進出しなければ生き残れなかったであろう。 一方で「武勇伝」のおかげで軽を捨てて普通車に進出したホンダも結局は80年代には軽を再開。そして今は軽自動車N-BOXの売り上げだけで自動車ビジネスを支える立派な企業へと成長した。 JRやNTT・郵便事業の現状をみれば政府の決定はハズレだらけ。国産機に至っては軍用機並に重くて頑丈なYS-11のみがかろうじて成功(といっても大赤字)といったところでジェットは空中分解。ロケットも打ち上げビジネスとしては完全に失敗。 まあ政府の犬になれば、東電みたいにとんでもないヘマをやらかしても会社が存続できるというメリットはあるけどね。

特振法は法案が提出されたけど廃案になったので作られたというのは間違いです。 ヤマハの四輪はエンジンの試作で失敗してたら総務の重役から研究費で怒られて研究室が解散して終わりました。さらにスクーターの不具合とオートバイ不況も重なりました。特振法は関係ないです。 https://global.yamaha-motor.com/jp/stories/history/daysgoneby/004/#sec2 ホンダは日産と三菱と経営統合です。買収は間違いです。 日産マツダスバル三菱は一回も倒産してないです。 質問が全部間違ってます。 特振法の法案提出からプリンス自動車以外の60年以上自動車メーカーが存続してたので本田宗一郎は間違ってないと思われます。

ホンダが車作ってない世界線へ行ってらっしゃい

本田宗一郎は間違っていたのでは。 いいえ 本田宗一郎・通産省 宗一郎の起業家人生のハイライトである。 「バカヤロー! おまえたち官僚が日本を弱くしてしまうのだ!」 本田宗一郎が通産省で啖呵を切ったのは1961(昭和36)年のことだ。 事の次第はこうだ。 米国から貿易の自由化を求められた日本政府は、 国際競争力のない産業を行政指導で強くしておこうと考え、 特定産業振興臨時措置法(特振法)の構想を発表 自動車メーカーを3グループに集約し、 各グループは生産車の重点をどれか1つに絞り込み、 ほかの分野からは撤退させるというものだった ▽量産車グループ:トヨタ、日産、東洋工業(現・マツダ) ▽特殊車グループ:プリンス(日産と合併して消滅)、いすゞ、日野 ▽小型車グループ:新三菱重工(現:三菱自動車)、富士重工、ダイハツ、東洋工業 乗用車への新規参入を禁止するという厳しい縛りがかけられていた。 四輪車メーカーの乱立を防ぎ、 国内の過当競争を止めさせなければ、 米国製の車に太刀打ちできないと考えたのである。

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