倉石信乃
オシリス、1999年10月1日、256ページ
ISBN=9784309903637
[写真のシアトリカリティ 2]
1 水戸芸術館で先頃開催された「川俣正──デイリーニュース」は、出色の展観だった。一五〇トンの新聞紙(水戸市で一週間に消費される相当量という)を展示室に持ち込むというプランは、ホワイト・キュービック空間に対する直示的な異化と、日常一般に対する隠喩的な異化とを充分に果たしていた。この二重の衝撃的な異化は、川俣の造形的なメ...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.31-34
[写真のシアトリカリティ 5]
1 マイケル・フリードがその初期の論文「芸術と客体性」(一九六七)のなかで、六〇年代美術における悪しき因子を、「シアトリカリティ」なる評語で示したことはよく知られている★一。この一語の成立は、ある特定の作品を評定する際に、現前の効果と現前性そのものを弁別するという、際どい論理的な手続きを前提とする★二。そしてこの手続...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.31-33
[写真のシアトリカリティ 4]
1 昨年の九月一一日、ハイジャックされた旅客機がビルに衝突するテレビ画像が雄弁に物語っていたことは、「決定的瞬間」が未だ存在し、それは映像化されうるというメディアの自負である。少なくとも私たちの目が飽きるまでは、徹底的に反復されるシークエンシャルなフッテージに組み込まれたカタストロフィックな瞬間は、依然として使用価値を...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.29-32
[写真のシアトリカリティ 1]
1 スペクタクルは、視線の権力を行使することをわれわれに教育する、政治的かつ時間制約的なイヴェントの謂いにほかならない。しかしスペクタクルには、見る者と見られる者の安定的な視線の構図を突き崩す趣向が絶えず盛り込まれる。写真家が、向こう側から「見つめ返す」視線の持ち主を典型的に擁する、例えば「動物園」のような場に歴史的に...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.33-35
[論考]
1 一九世紀の建築写真 建築は、写真にとって発端からすでに主要なモティーフのひとつであった。二人のジェントルマン・サイエンティスト、ニエプスとタルボットの最初期の写真を想起しよう。ニエプスによる窓から見える納屋と鳩舎の眺め[図1]、タルボットによる格子窓の映像は[図2]、写真の起源として長く記憶されてきた。そのいささ...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.83-96
[写真のシアトリカリティ 3]
1 空(そら)の写真は、たいてい雲や陽光や手前に配される樹木の写真であって、純粋な空の写真なるものは実際、存立しがたい。ここに、写真的なミニマリズムを想定することの「虚しさ」がある。写真は、いつも何物かの写真であり、指示対象を欠いた写真は、ほとんどただの薄い平面的な物質であるにすぎない。しかしこの虚しさの中に可能性を見...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.35-37
[日本]
1962年生まれ。写真家。84年、日本大学芸術学部写真学科を中退しライトパブリシティ入社。91年の退社後、ロンドンに滞在。帰国後、広告写真や雑誌などで活躍する。 『TOKYO SUBURBIA』(光琳社出版、1998)で第24回木村伊兵衛賞受賞。写真集=『Hyper Ballad: Icelandic Suburban...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.168-169