牛久 トーマス・アッシュ☆
この地名にゆかりのあるの方はちょっとつらいタイトルのような気がする。
『牛久』
しかし、これはまさに今の日本だ。ゲシュタポを描いたものではない。いまの日本である。そしてありとあらゆる日本人の思考や思想がある1点を目指そうとしていることを感じさせる。
この映画のことはいろいろなところで少しずつ書いているので、鑑賞してからだいぶ時間も経ったいま、少しだけ冷静に考えたい。
ひとつは、名古屋の事件だ。名古屋入国管理局でスリランカ国籍のウィシュマさんが亡くなった事件。そもそも入国管理局がどのような施設なのかを我々は知らない。知らないからウィシュマさんの事件も「気の毒だ」程度にしか感じられない。ところがである。この『牛久』を見ると、全く感想が変わる。ウィシュマさんは非人道的な行為を受けて亡くなったのではないかと疑いたくなる。
もうひとつ。
先ごろやっと東京の国立市で催された『表現の不自由展』だ。ものものしい空気の中で開催されたこの展示は、2019年の「愛知トリエンナーレ」まで遡る。しかし、実際にその展示を見ると、この展示のテーマが長く日本を覆う国家的な情報管制が敷かれていることを示すものだった。さらに、これらの展示を細かく記事にしたところ、否定的な感想を下さる方もいて、その方のお気持ちも察するのだが、日本の教育がもう劣化して全く機能していないことを立証するような状態であることを任じさせる。
藤井直人監督の『新聞記者』にも出てくるが、日本の公安は、かつて左翼思想を弾圧するために国中にスパイをはびこらせていたが、いまはネットの世界で「ネトウヨ」と称する団体に身を隠して、朝から晩まで(いや24時間)ネットに弾圧をかけようと蠢いているのである。
先ごろ大島渚賞を受賞された藤元明緒監督の『浜辺の彼女たち』という映画もまた、極めて複雑で、この『牛久』と連鎖している映画だ。
いずれにしてもトーマス・アッシュ監督の強い意志はこの映画でその一部を示したに過ぎない。そして彼はもっと大きなテーマで「日本」を捉えようとしていると思う。日本人の見る日本が最も客観性を失い、いわゆる「井の中の蛙」状態にあることを、ほんの少し教えてくれる映画だ。
もっと拡散させたい映画だ。
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