大阪観光は数あれど、圧倒されるならここ
道頓堀、大阪城、通天閣…大阪観光メジャースポットももちろん楽しいだろうが、そこに圧倒されるだろうか。道頓堀のグリコの看板に圧倒される人がいたらちょっぴり悲しい気持ちになってしまわないだろうか。
そこで国立民族学博物館である。確実に圧倒されるはずだ。とにかくその"文化"のボリュームにである。
世界の文化は歳を重ねるにつれおもしろくなるぞ
世界の文化が大ボリュームで展示されている。それがどうしたんだ?と思う方もいるかもしれない。
わかる。大学生の頃にみんぱくを訪れた私も「あるなあ」程度に思っていたのだが、これが歳を重ねるにつれどんどんおもしろくなっていくのである。
「これで暮らしてるのか!」「こんなものどうやって考えついたんだ!」「なんでこんな模様になるんだ…!!」などなど、一回社会を経験してから行くと世界の文化に対する驚きの声が増すばかり。作家の沢木耕太郎も一回社会人やってから世界を旅しろと『深夜特急』で言ってた(と思う)が同じことを数時間で味わえるのだ。
ちなみに、そういう意味では新大阪駅新幹線コンコース内のフードコート"大阪のれんめぐり"も数十分で大阪名物の名店めぐりができるのでおすすめであり、これは大阪観光最終一個前兵器である。
今日は国立民族学博物館の広報の神崎さんとグローバル現象研究部・教授であり副館長の平井京之介さんにオンラインでお話を伺った。
――平井さんは教授? ということですが博物館なんですよね?
博物館なんですけれども、第一義的には研究機関で大学の仲間なんですね。ここには学芸員がいなくて教員と事務員がいますが、大学と大きく違うのは、やっぱり博物館があるところですね。
文化の物量に圧倒されたい
みんぱくの開館時間は午前10時である。しかもアクセスがそこまでよくない。大阪の北の端とも言える万博記念公園の太陽の塔のそばである。
1月に私が訪れたときは11時に着いて閉館時間の5時までいて見終わらなかった。それほどのボリュームがある。
全部見た記憶がない
まず物量に圧倒されるが一つ一つの展示に添えられた説明がまたおもしろいし、読むとまたなんでこんなものが生まれたのかと実物をしげしげと見てしまう。この「しげしげ」が大敵であり、全く見終わらない。
順路の最後、東アジアコーナーは毎回駆け足で通り過ぎることになる。
閉館までいても見終わらない
一応、1 時間半から 2 時間ぐらいで見られますと案内をしてるんですけども……無理ですよね(笑)。
(順路でいう半分すぎたあたりの)東南アジアで続いてるのを知らないまま帰っていかれる方もいらっしゃいますし。みんぱくのヘビーユーザーだともう順路無視してこの展示を見ると決めて来館される方もいらっしゃいますね。
開館の時の資料点数が 4万点くらいでしたが、増え続けて今は34万5千点。博物館の目的の一つとして収集活動というのがあるんです。そもそも収集活動をするところなんで、34万5千点のうち展示してるのが 1万2千点ぐらいですかね。
研究の成果でもあり趣味でもある
――この数に私達はとにかく圧倒されるんですけど…でも一体これは何が展示されていて、私達は何を見ていると言えるんですかね?
我々のところに今 50 人ちょっとの研究者がいるんですね。この人たちが世界中のそれぞれ得意な地域があって研究をしてるわけです。
私だったら東南アジアの文化について研究をしていて、その中で自分の関心がある研究テーマがある。それに関連するものを収集したいとまず考えて、提案、審査を経て収集が可能になるわけです。ですからうちの展示場全体が研究者の成果です。
言い方を変えると、これまでいた研究者が好きで集めてきたものの展示がなされている……とはいっても、もちろんそのベーシックなところは一応押さえるようにします。
――くわーっ、私達は研究者の「好き」に圧倒されていたのか…
――お面が大量にあるのがすごくおもしろくて、たしかに自分もお土産でお面買うかもなと思って。でも個人で集めるのと研究との違いはあるんですか?
違いないと思います。全く一緒です。自分が好きなものじゃないと研究して集めたいとか思わないじゃないですか?
世界の文化が大ボリュームで、にはちがわないのだが、見方を変えるとここには研究者の「好きなもの」が集まっていたのである。平井さんによるとオタクみたいな展示も中にはあるという。
仮面は世界中から集めてますね。仮面文化は普遍的でどこでも多かれ少なかれあるので。今の館長の吉田が仮面が好きで、若いときからずっと仮面を研究して、仮面だけの特別展示というのもやったことがありますし、本当にオタクです。仮面の本も書いてます。
安藤さんが圧倒されていたもの中にはどれくらいかわからないが館長の趣味が潜んでいる…。しかしもうこれは趣味どころか執念と言えるような物量である。
――近いのがすごくいいなと思ってですね。ものすごくもう囲まれる感じがするんですよね。本当になんか物量で圧倒されるんですよ。取り囲まれる感じがして、あれがすごく面白かったです。
――天井がすごく高いんですよね。高くまで展示があるし、大きいものもあるし。一番大きい物ってなんですか?
オセアニア展示の最初にあるチェチェメニ号という船ですかね。本当はこれ入りきってないんですよ。たとえばこのインドの山車。あとは東南アジアだとこの穀倉ですかね。
これくらいになると動かすだけで何千万円もかかっちゃうから大きなリニューアル を2 回やってんですけど、結局 1 回も動かしてないです。
70 年代 80 年代ってやっぱり日本ってお金持ちで、博物館もすごいお金がかけられたんですよね。
――あ~、ジャパンマネーの時代だ。展示品ってやっぱり買われるんですか? こういうのって売ってるものなんですか?
平井先生が担当された東南アジアの仏像展示を見ましょうか。みんぱくバーチャルミュージアムといってホームページから全部展示場見れるんです、実は。
――あ、家で見られたんですね(来館しなくてもよかった)
公式HPからバーチャルツアーができるそうなのだが、物が多すぎるのでできれば現地に行きたい。後述のガイドはこれで済ませたい
モニタの後ろにある箱は賽銭箱なんですけどお金がいっぱい入っちゃって。今入り口を閉めてるんです。
実はもらったら困るんですよ。落とし物という扱いになるんで。
――ちなみにこの展示はどうやって作られたんですか?
この仏像は買いました。もらう場合もありますが、今は収集するときのほとんどは買う場合が多い。うちにあるものはほとんどが生活用具とか儀礼の用具とか生活文化に関わるものがほとんどなのでそんなに高くはないんです。
タイは上座部仏教の国でして、村が一つあるとお寺が一つあってそこに仏像が何体かある。だから普通に仏像って売ってまして。
これ大体重さ 140kg ぐらいありまして、買った値段と輸送費がほぼ同じでした。重いんです。
でも問題は下の台座なんです。タイではコンクリートで台座を作っちゃうわけですよ。ということはそれを持ってくることができない。といっても日本でタイ様式の台座はないから、現地で美術系の建築会社に特別に作ってもらいました。
――それって台座が日本製だといけないんですかね……
ダメです。もう全然ダメです。このお寺の空間ってタイのお客さんが見ても全然違和感ないって言われるんですけど、このバランスというのは日本人では難しいんですよ。
建物の台座の高さとか空間の配置とか、たとえば真ん中に座った時にいい位置に仏像の顔がないとダメなんですよ。やっぱり感覚が全然違うので、そこも考慮に入れて設計してるわけですね。
展示の仕上げの時はタイの博物館の人に来てもらってチェックしながら作りました。
手が届くところにその辺のものがある展示
――ガラスの向こうじゃなくて、手が届くところに仮面が大量にあって本当に近いじゃないですか?
みんぱくの特徴の一つなんです。露出という展示方法なんですけれども、開館時からの理念で。
一応性善説に基づいて展示をしていると。実感として壊されたりということはさほどはないです。さわれそうなところにあるものは頑丈なものを展示してたりもするので。
なんでこれ展示してあるの!?がスゴい
――3面のVR河内音頭とか、アフリカの人が使ってるポリタンクとか、ヨーロッパのパンもそうですけど、なんでこんなものを!? って展示たくさんありますよね。それぞれに理由があるんだと思いますが…
東南アジアの中のこのコーナー全体を私が担当したんですけど、右側に木でできた昔ながらの伝統的な生活の道具がありますよね。
これが 70~80 年代に集めてきたものなんですけど、当然なんですが、今これを使ってるところってほとんどないんですよ。釣りの道具なんかは全部プラスチック製になって船だってそうですよね。タイに行っても博物館に行かないと置いてないんですね。
なので実はタイのお客さんが来たら違和感を覚えるんですよ。うちの国はこんなんじゃない、と。特に発展途上国と言われるような国の方は自分の国が遅れてるって思われるのがあまり好きじゃない。
なのであんまり古めかしいものばかりじゃなくて、現在のタイの文化をうまく表現できないかなと思いまして。左側にある展示、お坊さんが右側に 3 人いて左側にバイクとマネキンが女性の工場労働者なんです。
タイには 日本企業がたくさんありまして、バイクとか車とかいろんなもの作ってるんですね。そこの女性の労働者はバイクで通うんです。この通ってるバイクというのが、タイの労働者が憧れるホンダのバイクでドリームというバイクなんです。
これは女性労働者がお坊さんに道で出会ったので、そのバイクを停めて、一旦降りて敬意を表してるという展示なんです。
――すごい! バイクの車種まで決まってるんだ、おもしろい!
さらにもう 1 つ裏があって、この女性の工場労働者が来てる服は本当にタイにある日本企業で使っていた制服なんですよ。それは私が着ていたものなんです。
もう 20 年以上前ですけど、2 年間住み込んで調査してた時があって。その時に調査のために日系の工場で半年働いてたんですね。
もう一方のお坊さんの袈裟の方は私がラオスで調査をしてたことがあってそのときに 3 ヶ月間出家したんですね。
――それは聞くだけで見え方変わりますね。すごいなあ~。
――個人の情熱というか、興味に基づいてますね。全てが
――この場合だとタイの文化が知りたい、という動機でやるんですか?
調査するときはもっとテーマは絞ってやります。タイに日系企業ができて、農村の女性たちが働きに行く。それで彼女らの生活はどんなふうに変わったのかをテーマに調査していました。
お坊さんになって調査した時は、日本とちょっと違ってまして。上座部仏教だと男だったら誰でもお坊さんになれるんですね。それまで普通の生活してた人が、ある日突然儀礼をやってどうしてお坊さんになれるのかっていうのがとても不思議だったんですね。
やっぱり何が苦しいって、人間ってやっぱり寝る、食うが一番基本じゃないですか。お坊さんってそれをコントロールするっていうのが修行なんですよ。例えばお昼の 12 時から次の日の夜明けまで食事をしちゃいけないんです。
ないです。寝るのも朝 3 時に起きてお経を読まなきゃいけないので、毎日寝不足だったりとか。寝るのもベッドじゃなくて床の上に直に寝るのがお坊さんの修行なので。
――海外から来た人が出家しますって言って受け入れてもらえるんですか?
ケースバイケースですけどできます。ただ、規則がありまして、まず犯罪者はダメなんですよ。出家すると、どこの誰かわかんなくなってしまうので、犯罪した人が逃げ込む可能性がある。私も出家した時、髪の毛、眉毛剃ったら身を隠せるわけですね。だからその前に犯罪者じゃないということを証明しなきゃいけないのでラオスの日本領事館で領事にお手紙を書いてもらいました。
新しいゲルを展示したんですが、ソーラーパネルがあってパラボラアンテナがあってバイクで移動しているという今の生活なんですね。実際に生活されていた方々のゲルを購入してきたんですよ。
――ソーラー電気を取り入れてるとか、そういう現代のアップデートを展示物にもどんどん反映していくわけですか?
なるべくそうしたいですけど、だんだん地域ごとに文化の違いがわからなくなってきちゃうんです。だってタイに行くと日本製のものをすごいたくさん使ってますから文化の展示にならなくなる。その辺の塩梅が難しいところです。
――そうか、物流流通が盛んになるとみんなが同じになっちゃうんですね。
あのいわゆるハイカルチャーという言い方しますよね、教養文化、宝物のような文化ね。国立博物館にしてもどこの国でも教養文化を残していくんですけど、それに対してみんぱくが展示してるのはポピュラーカルチャー、大衆文化というか、民衆文化。村の暮らしだと人々の信仰とかそういうものを意識して集めるようにしてるので。
どんどん近代化してくるとなかなか難しくなってはきますよね。とは言っても、かならずしも全部同じになるわけじゃなくて、近代化を受け入れてもやっぱり独自の発展を遂げるものもあるので。
――ふつうの民家とかをミニチュアにしてるの大変そうだなーと思ったんですけど、あれってどうしてるんですか?
韓国の済州島のですかね。展示の業者さんを一緒に韓国に連れて行って、そこのお家を全部模写して記録して作ってる。模写も展示されてるんです。
他だとたとえばこの中央・北アジアのタシュケントの民家。これを作ったのは80年代なんですが、2013年に研究者が行ってみたところ、まだこのお家が存在していた、という写真が右側の壁の写真なんです。実は。
ふつうの民家がミニチュアになってるんで「人ん家」がものすごく良いものみたいになっている。アフリカのどこにでもあるようなポリタンクが博物館的に展示あるにしても、ここにあるのは世界の「ふつう」であるのがおもしろいのではないか。
――いや面白いですね。あのどれだけ聞いても足りないぐらい面白いですね。その後こうやってお話をうかがうと、また見え方変わってくるのがいいですね。
今私こうやって喋ってるようなことで紹介する電子ガイドを作ってるんですよ。スマホで見られるんです。
――現地でこれ使ったんですが時間が足りなくて諦めました。いつかビデオテークを1日使って見たいと思ってるんですが…展示だけで終わってしまって
秘蔵の観光ネタでした
東京に出て帰省をするようになり、学生時代は食べてなかった串カツを食べたり懐かしいなと観光をしたりしてたのだが、数回繰り返すとだんだん飽きてくる。
そんな中、国立民族学博物館は歳を重ねるにつれおもしろみを増してくるのである。しかも人を選ばないおもしろさ。なぜこれが大阪にあるのだろうか。
聞くと人類学や民俗学の人たちがずっと博物館を切望していて、万博のときにようやく企画が通ったので跡地のここにあるそうなのだ。人類の進歩と調和のコンセプトと合致したのだろう。岡本太郎の太陽の塔の中にあった民族資料の展示の大部分は今みんぱくに移されているそうだ。50年前の日本がここにある。
ミニチュアにしても階段の大理石にしてもお金のあった時代の日本である。私達はこの後どう展示されていくのだろうか。大久保のジャンナットハラルフードの看板だったり、私達の新たなふつうが収集されていくのだろう。
そういう意味ではこのサイトも人々のおもしろい「ふつう」収集してるようなものなのでこれ読んでる人はきっとみんぱくおもしろいはず。行くべし。