はてなフルサービスを大予想
はてなのフルサービス化(アルファベットの頭文字すべてをはてなのサービスでうめていく!)
サービス間移動アイコンが実装されたときに思いついたんですが、id:yukattiさんの日記に触発されて公開。
- はてなアンテナ
- はてなブックマーク
- はてなチャンス (懸賞)
- はてなダイアリー
- 18禁 (貴重な収入源に)
- はてなフォトライフ
- はてなグループ
- 18禁 (負荷分散)
- iHatena (アップル直営)
- はてなジョジョ (第7部はオンライン連載)
- はてな関心空間 (TOB)
- なんかベーシック認証が
- はてなモノポリー (ハンゲ路線?)
- はてなニュース (なくはないかも)
- はてなオープンソース (リポジトリサービス)
- はてなプライス (オークション)
- はてなクオリティ (それがはてなクオリティ)
- はてなロウ (トリプルH)
- はてなスマックダウン! (白眼)
- はてなティーチャー (人力検索を応用した教育コンテンツ)
- はてなウルティマオンライン (MMOも)
- はてな VIP (100,000ポイント以上保有者限定)
- はてなウインドウズ (ビルまでも軍門に降す)
- はてなゼビウス (バキュラの謎とか)
- はてなヤフー (球団買収も視野に)
- はてなジオング (偉い人にはわからんのですよ)
一事例、あるいは二年前のこと
僕がはてなダイアリーを使いはじめたのは、「はてなダイアリー」*1が2,000くらいの頃だったと思います。それから10,000を超えるくらいの間、それなりにはてなダイアリーを更新し、また多くの日記を読んで回っていました。運営などの議論に積極的に参加するほど「アクティブ」ではなかったものの、パワーユーザの末席あたりにはいたと思います。
この頃は、はてなダイアリー全体が「ゲゼルシャフト/村」的であると、つまり地縁的結合を感じさせるコミュニティであり、それを実現しているサービスだと感じていました。たとえば無作為にダイアリーを伝っていく過程で同じID(≒人/人格)に何度か出会ったり、同じ日記に行き着いたりするという経験を通してそう感じていたのだと思います。この頃までは、頑張れば全員の日記に目を通すということもまだ可能であったとも思います(しませんでしたが)。
しかし、ダイアリー数が10,000を超えたあたり*2から、地縁的結合が希薄になってきたと感じはじめました。僕はこの状況を「人数が増えた」というよりも、むしろ「広くなった」と、空間的概念で捉えていたようです。
僕のはてなダイアリー更新頻度が落ちはじめたのは、この頃からでした。それまでは、はてなの目新しさと共に、その「狭さ」に魅力や安心感を感じていたのですが、このあたりで結合の希薄さを感じたことにより、外部*3へと、はてなを基準とすれば「退行」していきました。この理由は、id:yukattiさんの仰る「ゲマインシャフト」的(不特定多数に全人格をさらす)コミュニケーションをそれほど好まないことが理由のひとつになっていたと思います。
ただ、それと同時に、「はてなダイアリー」というサービスが、もはやフリースペースにウェブログ・ツールを設置している状況と(以前に比べれば)大差はなくなったと感じてもいました。つまり、この意味で「はてなダイアリー」は「ゲマインシャフト」の段階を超え、「ゲゼルシャフト」的コミュニティへと「近代化」*4し(てしまっ)たと言えるのではないかと思います。すなわち、あるダイアリーやIDは、個人が全体を把握しきれないほど多くのダイアリーやIDの中に埋もれている状態です。
そういう状況の変化があり、僕ははてな内で(「全人格的」に)コミュニケートすることを選ばず、遠ざかりました。それからさらに一年半が経ち、僕の捉え方はまた違うものになっています。総ユーザー数が20万人を超えた現在、ある一ユーザにとって、任意の一ユーザの存在はより希薄になりました。ここまで来てしまうと、むしろ「全人格をさらす」というプレッシャーは軽減され、「ゲゼルシャフト」的コミュニケーションを好む僕のような人間にとって過ごしやすい環境ができてきます。これはid:yukattiさんも
「はてな」には……(様々な意味でゲゼルシャフト的な)……層のみが公開モードでフルサービスに残り、一方で「はてな」というゲマインシャフトの成員になるメリットより全人格的個人情報の集積と情報公開に対してリスクをより高く感じるユーザー層やゲマインシャフト的コミュニティに馴染めなかったりゲゼルシャフトにより親和性を持っていたりするユーザー層はいわば「ゲマインシャフトからの脱出」……といった方向に変化することが考えられる。
のように指摘されているところだと思います。
はてなが「ゲマインシャフト」的なコミュニティ像を理想とし、そこに向かっているのかどうか、あるいはそうすべきかどうかという点はここでは措きます。そして、僕自身は、はてなが「ゲマインシャフト」的であることはもはや不可能だと感じています。近藤さんが
今後は数百万人という規模のWebサイトにしたいと思っています。また、世界で使われるサービスも目指しています。
という方向を志向し、それが実現されるのならなおのこと不可能でしょう(もちろん内部でサブ集団が形成される≒SNS化のようなことは可能ですが)。僕の言いたいことはまずここで一区切りです(やはり僕の見方もダイアリーに偏っているようですが……)。
あとはまとまりのない考えが続きます。
「ゲゼルシャフト」的なコミュニティ(なんか矛盾してる気もする)あるいは社会とはどんなものか、という部分に立ち入ると泥沼になりそうなのでやめておきたいんですが、たとえば規模の小さい社会と大きい社会、全員の顔や性格がある程度わかる範囲でのコミュニケーションとそうでない範囲のそれという対比で考えるならば、後者は必ずしも悪いものではないと思います。それはある種の人々にとってだけそうなのかもしれませんが、実際、地縁的結合の希薄化した都市部に住む人たちも、そうした中で少なからず安心感を得ているはずです。「ゲゼルシャフト」が「利益追究型社会」と訳されるとき、妙に悪者っぽい空気をかもし出しますが、「必要に応じて必要な能力を部分的に求め、提供する」ととらえるならば、それほど悪いものでもないように感じます*5。