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安倍談話の「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」について

安倍談話の「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」について_c0315619_16212196.jpg安倍談話についての世論調査が、共同と産経と読売と中日から発表された。意外なほど肯定的な声が多いのに驚かされる。共同は評価するが44%で評価しないが37%。読売は評価するが48%で評価しないが34%。中日は評価するが40%で評価しないが33%。マスコミの中では、中日は、安倍晋三の政策や思想に対して批判的な論評を続けてきた新聞社である。8/14に談話が出た後、翌8/15の社説で朝日があれほど痛烈に非難し、「談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった」とまで断じて斬り捨てたのだから、リベラル系の新聞の世論調査でも、そうした反応が多数になるかと見込んでいた。ところが、蓋を開けてみたら逆の様相となっていて愕然とさせられる。安倍晋三の談話は、真意としては日本の侵略戦争を肯定するもので、戦争責任を否定する動機と意思から表明されたものである。この談話が発表されたのは、テレビが戦後70年特集の番組を毎夜放送し、戦争の悲惨さが鋭く伝えられていたときだ。戦争は絶対悪であり、二度と戦争を起こしてはいけないというメッセージが訴えられ、国民全体が再認識と確信を深めていた時期である。普通に考えれば、この時期の反戦平和の啓蒙活動は、安倍晋三の政策や持論への拒絶や躊躇へと市民の意識を促すものとなるはずだが、結果は予想を裏切る形となった。



安倍談話の「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」について_c0315619_16213578.jpg残念なことだ。海外のマスコミの見方は、WSJやワシントンポストのように批判的な論評が一般的だ。村山談話からの後退を否定的に受け止め、自らの言葉で直接に反省と謝罪を言わなかったことを問題視する姿勢でコメントされている。せめて米国のマスコが表した怪訝や反感と同じほどに、保守の保阪正康が述べた失望と同じほどに、日本の世論がそれをネガティブな数字に反映させて当然だった。衝撃を受けた私の心境を率直に言えば、あの8月初めからの反戦平和の怒濤のキャンペーンは、何も意味ある教育効果をもたらさなかったのではないかという捨て鉢な気分になる。本来、戦争の地獄の直視や不条理の覚醒は、人を村山談話へのコミットに誘導するはずで、村山談話を相対化しようとする安倍晋三の底意と反平和主義の本音を見破り、それへのアンチパシーの意識が形成されるものである。だが、そうならず、逆の状況となっているのは何故だろうか。その答えは、この夏の2週間の反戦平和教育よりも徹底した反中嫌韓のキャンペーンの先行と奏功にあり、反中嫌韓プロパガンダの洪水的な刷り込みが国民個々の政治意識の岩盤になっている事実にあると、そう分析と仮説を置いてよいだろう。安倍晋三の佞悪な談話が「評価」されている理由は、例の、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」の部分にある。

安倍談話の「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」について_c0315619_16215055.jpg謝罪無用論。謝罪決別論。談話の中のこのメッセージが、右翼化した日本のマジョリティ層の心理を刺激して歓迎されているのであり、「よく本音を言ってくれた」とか、「中韓に言いたくても言えなかったことを言ってくれて溜飲が下がった」という評価と共感を生んでいるのだ。この部分は、今回の安倍談話のキーになる一節であり、安倍晋三の持論が最も露骨に発現されている部分である。日本の右翼の従来からの言い分だ。こうした謝罪無用論は、嘗ては国民多数のものではなく、一部の右翼のものであり、マスコミで大手を振ってまかり通る主張ではなかった。が、今では、テレ朝の看板番組のキャスターを務めている古館伊知郎ですら、この信念と言説にコミットする人である。本当に日本は変わった。村山談話の誠実な立場からは、このような傲慢で悪辣な開き直りの言辞は出ようがないし、1995年当時の要職にある政治家からは絶対に公式の場では出ない発言だ。出れば即内外に波紋が広がって政局の事故となり、謝罪や引責に追い込まれるタブーの暴論だろう。それだけ、当時の日本国民は中国や韓国に対して誠実であり、中国や韓国への罪責感を持ち、戦争を犯した過去への反省意識を持っていて、一部右翼の開き直りの誘いには靡かなかった。そもそも、「謝罪を続ける」のには理由があり、原因はもっぱら右翼閣僚による確信犯的な挑発言動にあって、彼らは「謝罪を続ける」政治の不断の再生産に余念がなかったのだ。

安倍談話の「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」について_c0315619_1622134.jpg右翼閣僚が意図的舌禍で騒動を起こし、政府が外交の席で中韓に謝罪表明し、という政治が80年代から90年代にかけて繰り返され、連鎖が断ち切られることなく続いた。終止符を打つべくモニュメタルに布告した村山談話とは裏腹に、日本の右翼のカウンターが猛然たる勢いで燃え広がり、マンガ右翼とつくる会の進撃が全土を覆い、書店の新刊棚を埋め、右翼がマジョリティとなり、小泉政権時に北朝鮮拉致問題が起きて以降は、病理は元に戻らない末期症状に至ってしまった。それから10年余、長い視野でかく現状を見れば、安倍談話への多数の「評価」も得心がいく。2週間ほどの反戦平和教育のシャワーでは、20年以上刷り込まれて固まった右翼思想の岩盤は崩れないのだ。「戦争は悪だ」という教育は僅か2週間の集中特訓でしかない。朴槿恵と習近平を悪者にして叩く週刊誌の車内吊り広告は、何年間この国の習慣となって続いたことだろう。国内では良心的な報道番組として屈指されるサンデーモーニングでも、この5年ほど、取り上げられるニュースのうちの3本中1本は、必ず中国と韓国を叩く内容だった。岸井成格と関口宏までが加担して、反中嫌韓のナショナリズムを煽った。マスコミは全員揃って中国叩きと韓国叩きに熱中していたのであり、ネットでの言論では右翼と左翼を問わず、中国への敵視と韓国への侮蔑が一般的な作法になった。当たり前になった。中国や韓国に内在して日本の右翼化を批判する者は一人もいなくなった。消滅した。

安倍談話の「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」について_c0315619_16221341.jpgその点について言えば、例えば、安保法案の政局で威勢のいい反原連系も同じであり、バックについている中野晃一などイデオローグも、決して中国や韓国に内在した視線で日本の政治を批判することはない。必ず、ニューヨークタイムズがこう書いているとか、ガーディアンがこうだとか、米英のリベラル系ジャーナリズムの目線に依拠した言論を発してお手、彼らの「リベラル」のコードは米国のリベラルの地平に限界づけられている。彼らは、中国や韓国の日本批判(右翼批判)に積極的な関心を払わない。注目を向けるのは、英語圏(米英方面)のマスコミとアカデミーの日本論だけだ。嘗て、20年前から15年前、論壇と出版界を制圧した右翼が、声を涸らして唱え続けていた「どうして謝り続けなくてはいけないのだ」のフレーズは、見事に平場に定着して、霞ヶ関やマスコミの常識的観念となり、被害者意識の如き性質に化けて個々の皮膚感覚となり、中韓を鬱陶しく邪魔に感じる根拠となっている。そして、中韓による歴史認識の正論に対する無視と排斥の態度を媒介させている。それは、恰も、ヒトラーが支持を集めるときに扇動して成功したところの、ベルサイユ条約の屈辱とドイツ国民の忍耐の論法によく似ている。今回、終戦70年企画の番組はどれも本格的で、制作関係者の熱意が伝わってくる佳作が多かった。だが、肝心な点が抜けていたように思われる。日本の戦争によって惨禍を受けた中国やアジアの人々の存在と視点が欠落していたことだ。

安倍談話の「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」について_c0315619_1622255.jpg翻って思い返せば、TBSドラマの「レッドクロス」はその例外だった。それと、8/15に放送されたTBSの報道特集も例外だった。8/15の報道特集では、重慶への無差別爆撃で顔に傷を負った生存者が取材され、日下部正樹に向かって、「中国人が何をしたのか、私たちは何もしていないのに、どうして空から爆弾を落とされたのか」と言う場面があった。他にも、8/12のNEWS23で、大陸打通作戦時の日本軍による中国民衆への残虐行為が紹介され、TBSの「千の証言」シリーズは戦争の加害の側面に目を向けていたと言える。だが、NHKの特集番組にその要素はなかった。重慶の生き残りの女性の証言にこそ、この戦争の本質があり、われわれが認識しなくてはいけない真実がある。この点を欠けば、どれほど夏に一時的に戦争の悲惨さをエバンジェリズムしても、正しい歴史認識には繋がらず、若い世代が戦争に流れるのを阻止する歯止めにはならない。歯止めのための正しい歴史教育にならない。何となれば、「戦争をしてはいけない」という話は、腹の底では舌を出して日本を戦争に引っ張っている安倍晋三当人が言っていることであり、政府と右翼によれば、法案を通して安保法制を整備することが、抑止力を強化して平和と安全を保障する道だからだ。その論理に納得すれば、戦争を二度としないことと安保法案を成立させることは個人の主観において矛盾しない。両立する。被害体験だけで戦争を語ることの恐ろしさがここにある。「二度と戦争してはいけない」の意味が屈曲する。

安倍談話の「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」について_c0315619_1622426.jpg本当は、あの戦争は日本が始めたのである。天皇陛下が満州事変に言及して歴史認識の覚醒を促したように、先の戦争は日本による侵略戦争だったのだ。80代の人々が渾身の思いで語り聞かせてくれた受難の人生の数々は、俯瞰して総括すれば侵略戦争の結果なのであり、国家(昭和天皇)が始めた侵略戦争の責任を国民末端が負わされた結果なのだ。その指摘と説得が、今回の戦後70年報道では弱かった。戦争を二度としないためには、自衛の名の下で国家が行う戦争準備を止めないといけない。憲法9条の原則に従って、国家間の紛争を話し合いで解決しないといけない。その結論まで入れなければ、戦争の悲惨さを伝える特集番組が戦争を止める平和教育にならない。正しく教育効果を発揮しない。平和の大切さを教えるための戦争報道は、右翼化した日本人のイデオロギーを矯正するものでなくてはならず、右翼教の邪宗に染まった日本人を改宗させる効能のものでなくてはいけない。ひたすら中韓を敵視し憎悪し、日本の過去と現在を正当化するところの、右翼によるマインドコントロールに一撃を与え、人々を正常な精神の回復へ軌道づける教材と講説でなくてはいけない。そうでなければ、戦前の日本人と同じく、防衛と平和の詭弁に騙されて動機づけられ、二重思考の欺瞞の罠に嵌められて、人々は侵略戦争に踏み出してしまう。南シナ海の岩礁と海域は、フィリピンの領土領海かもしれないが、少なくとも日本の領土領海ではなく、そこに自衛隊が作戦で踏み込めば、中国にとっては満州事変と同じ侵略だ。

最後に言いたい。今回の戦後70年の特集でも、誰も、一度もユネスコ憲章に触れなかった。とても残念なことだ。「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」。この一言をテレビで言ってくれれば、戦争の歯止めになるのにと痛切に思う。戦争には敵国がある。今、マスコミと政府の扇動に踊らされた日本人が不信と憎悪をつのらせている相手が、次の戦略戦争の相手国なのである。


安倍談話の「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」について_c0315619_16225790.jpg

by yoniumuhibi | 2015-08-20 23:30 | Comments(8)
Commented by keitan020211 at 2015-08-20 20:41
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」、それを伝えるは政治とは適当に距離をおくことのできることが本性でもあるメディアにはできる筈のことです。
 弊ブログも指摘するように、安倍談話は過剰に政治的であり、人の心を基として出て人の心に訴え掛けるものではないでしょう。またメディアの戦後70年特集等もそのような安倍政権を追う内に政治的発想でしか物事や企画を考えられなくなっているようです。

 一本の談話や演説で世相を動かすことはできません。先ずはそれをよく理解して談話や演説をしないとどうにもなりません。

 中韓の目先の動きは抑えられているようではありますが、安倍談話を容認したからでも妥協したからでもなく、言っても分からない人々を相手にしても仕方がないと踏み、日本との距離をおくことにしたからでしょう。よって長い目で見ると安倍談話は政治的にも成功したとはいえません。
 尤も、中韓が日本との距離をおいてくれることは何程かには私の望むことでもあります。
Commented by NY金魚 at 2015-08-20 21:37 x
この「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」については、いまだにまったく意味がわかりません。例えばドイツは2度の侵略戦争を心から謝罪しつづけているからこそ、今日胸を張ってEUの先頭国としてやっていける。立派です。総理大臣自身が「あやまるなんてヤだ!」とダダをこねている姿は国際社会から観れば実にコッケイ。日本のマスコミが同調してるなんて、まったくもって不可思議!

村上春樹5月の毎日新聞インタヴュー:今いちばん問題になっているのは、国境線が無くなってきていることです。テロリズムという、国境を越えた総合生命体みたいなものが出来てしまっている。これは西欧的なロジックと戦略では解決のつかない問題です。「テロリスト国家」をつぶすんだと言って、それを力でつぶしたところで、テロリストが拡散するだけです。僕はイラク戦争のときにアメリカに住んでいたんですが、とくにメディアの論調の浅さに愕然としました。「アメリカの正義」の危うさというか。
 長い目で見て、欧米に今起きているのは、そのロジックの消滅、拡散、メルトダウンです。それはベルリンの壁が壊れたころから始まっている。

この異様な世界状況に対処しながら「平和」を維持するのは、過去の侵略に対して謝罪しつづけることしかありません。鳩山さんは本当にエライ!と思います。
Commented by とも at 2015-08-20 23:18 x
若い人は必ずしも中国や韓国に対して謝罪を嫌がってませんよ。
今発売中の「女性自身」で「戦後70年安倍談話を斬る!」でSEALDsの人がズバリ言っていますよ。
「安倍さん、あんたが謝るのが嫌なだけでしょ。過去の悪い行いを謝るのは立派な行い、それを嫌がるのは大人としてみっともない。私たちを安倍さんみたいなみっともない大人に巻き込まないで」(おおむねこんな内容)
まさにこの通りだと思います。

http://www.kobunsha.com/shelf/magazine/current?seriesid=101001
Commented by 愛知 at 2015-08-20 23:25 x
今朝の中日新聞朝刊一面トップ記事を見て全身の力が抜けました。文章の方ではなく、カラーグラフに仰天。70年談話を評価しない10.6%、その他89.4%としか映りませんでした。貴下の解説に深く頷き、なぜか思い出されたのが2007年の原爆発言により、その座から追われた第一次安倍内閣の初代防衛大臣、久間章生。現在であれば久間クラスなどごろごろ。変節のわかりやすい貴下解説に深謝。一連の熱を帯びた戦争特集、旧日本軍と自衛隊は別物という誤解を生んでいないか心配。

中日新聞(当時は中部日本新聞)の名称は1942年9月1日、戦時下、一県一紙の新聞統制で誕生。「新愛知」と「名古屋新聞」が合併。「名古屋新聞」を生んだ小山松寿は中国に渡り、朝日新聞通信員に。帰国後、「名古屋新聞」を誕生させ、普通選挙運動、女性解放運動を記事に。衆議院議長に就任するも1938年、社会大衆党「スターリンのごとく」大胆に進めの演説を掲載。内実は近衛内閣に擦り寄り国家総動員法に賛成した社会大衆党への批判。小山松寿は、この件で衆議院を除名に。
私は一時期、中日新聞の夕刊紙「名古屋タイムズ」(既に廃刊)で署名入りコラムの連載を担当。知人の紹介での言わばバイト。貴下命名の自社談合、平和な時代に政治と無縁「鼓腹撃壌」のコラム。お恥ずかしい限り。ご教授のプロセスを経て時代が反転(暗転)。

昨日の参院戦争法案委の録画で黒江防衛政策局長の答弁を見て背筋が凍る思いに。5月26日、統幕監部は高級指揮官350名と戦争法案の検討会を実施と。指揮官の読み上げは自公への恫喝。もう引き返せないんだという。既に法案反対の市民を早々と棄民。その点、中日新聞は「防衛省、内容把握せず」とタイトル。中谷が何も把握してないことなど子供でも周知。なぜ「五・二六事件」との見出しが躍らないのか。高級指揮官、裏返せば低級市民、徴兵市民兵との棄民。言いつつ自身が「昭和枯れすすきか」とさえ落ち込む。

貴下、終段ご教授のユネスコ憲章。冒頭の「戦争」は「差別」に置き換えられると思います。中韓への「差別」。新聞社は、新聞統制を思い出せ。小山松寿に還れ。戦前に戻るな。引き戻すな。
Commented by 時間の重み at 2015-08-21 00:22 x
4千文字。怠慢こいて全文は読まない人が、かなりいらっしゃるのか?主語をスリ替える詐欺手法を安倍談話は用いていますね。
主語を敢て混用。>私たち>日本は>私たち日本人は、云々。

A戦争の発動=利得者・侵略者と、
B戦争被害者、
C被利用者とを、
何度も同じ語で包んで言ってのけた。もって日本国家の責任、権力者の責任を曖昧化し放擲した。
>断腸の念云々、あくまで個人的感傷を多用巧言してるだけだ。
漢冶萍公司あそこがホシ~イとやった実際の侵略も述べずに満州事変さえ「挑戦者」に括りあげてしまった。何をどう誤ったのかが日本の最高権力者として今総括すべきだが誤魔化して回避した。◆9条文言を並べたが、「そう誓った」という引用の中に押し込めただけなので、憲法条文ではなく単なる>誓い>不動の方針>立場、でしかないものとして瞑増しにした。だから「私たちの子や孫・・・謝罪を続ける宿命を背負わせては・・・」でもって戦犯子孫による戦争法案の強行を居直ってのけることができた。こんどもアメリカ様のお蔭だよと感謝しながら。刺激しない談話にすることが安倍任務でしたが、こんな詐欺に安心してひっかかるようじゃ!一家全滅させられた人の子孫は今いない。生き残った被害者の子孫は、自分と安倍の先祖との位置関係を詳らかに問い詰めるべきでしょう歴史的に未来的に。
Commented by NY金魚 at 2015-08-22 13:25 x
謝罪といえば、天皇陛下が全国戦没者追悼式で、はじめて「さきの大戦に対する深い反省」と述べたことで、NYタイムズほか、米英のメディアが一斉に報道しました。
天皇陛下:「ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」
◆ NYタイムズ:Emperor Akihito Expresses ‘Deep Remorse’ for Japan’s Role in World War II
● 深い反省」よりもさらに強い意味の訳語 'Deep Remorse'(深い後悔, 悔恨, 良心のとがめ, 自責の念)を使って報道した。
● 降伏宣言をした父をもつエンペラー・アキヒトは終戦70年の式典で戦いへの「深い反省」を表現した。
天皇にとって「深い反省」という表現は決して新しくはないが、毎年この式典での儀式化した声明には、この言葉は馴染みの薄いつけ足しである。
● 安保法案が論議を呼んでいるなかで、アキヒトが、安倍首相が押し進める政策に対する「静かなる抵抗」をしていると見る人びとの考えを(この言葉は)補強するものかもしれない。
● 皇室のエキスパート、明治学院の原武史教授の「安倍首相の就任以来、天皇皇后両陛下の政治的なメッセージを発し、行動する機会が増えている。天皇陛下は安倍首相に批判的であると思う」という言葉を紹介している。
● また浩宮皇太子殿下は、今年2月の誕生日記者会見で「日本が辿った歴史が正しく伝えられていくことが大切である」という発言について「皇太子も安倍首相をたしなめているように見えた」と論評している。
Commented by nyckingyo2 at 2015-08-23 12:44
…続…◆ 英国ガーディアン / ジャスティン・マッカリー筆【 太平洋戦争の惨禍について、首相よりも踏み込んだ謝罪をされた天皇陛下 】《後篇》・星の金貨プロジェクト訳:「日本の将来の世代がこれ以上謝罪を続ける必要はないとつけ加えることで、安倍首相は今回を最後にひとつの歴史のページを閉じようとするかのような姿勢を見せました。」
「明白な謝罪を行う事を避ける代わりに、『我が国は繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました』などの表現を用いるなど、安倍首相の談話には修辞的にかみ合わない点がいくつも見受けられます。
これは安倍首相が歴史を歪曲しようとしていることの決定的証拠であり、それこそが日本と近隣諸国との関係を損なってきた根本原因なのです。」
Commented by KISA at 2015-08-26 02:42 x
8/25、報ステでヨハン・ガルトゥング氏のインタヴュー。本家本元の「積極的平和」の概念と首相の言うそれとはまるで違うモノと一蹴。70年談話以降さらに、もやもやグツグツした気分が高まっていましたが、久々にちょっとスッキリしました。『後の世代がこれ以上謝罪を続けることがあってはならない』はどう考えても違うでしょう、『日本は先の愚かな侵略戦争により、後世の人々にも一生謝罪を続けさせなければならないという重い宿命を負わせてしまった⇒だからこそ二度と戦争はしない』となるべきでは?どこからの批判もかわそうとして、しかしあちこちで自分の本音も入れてるものだから、本当に奇妙な文脈になっています。読んでいると情けなくなります…。
訪中見送り、米ヘリ墜落、株安と、恰好の追求素材が今次々と与えられていますが、この厚顔無恥な政権が退陣する時、私たちは果たしてどんな気持ち(状況)で見送っているでしょうか。弱気ではいけないのでしょうが、半年後、1年後、数年後のこの国の実体がどうなるか、本当に心配です。


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