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川崎中1殺害事件の説明 - 警察にコントロールされるだけのマスコミ

川崎中1殺害事件の説明 - 警察にコントロールされるだけのマスコミ_c0315619_1603953.jpg川崎中1事件の報道は、テレビのニュースとネットの新聞記事で進行を追いかけている。Yahooトップのトピに、毎日、2本か3本新しい捜査情報が更新されていて、警察のリークがリアルタイムに報道になって流れている。Yahooのヘッドラインに上がるのは、ほとんど毎日新聞の記事だ。いつも3人の署名がある。おそらく社会部の若い記者だろうが、3人が川崎署に張り付いて警察のリークをメモし、記事にして発信している。神奈川県警は、(彼らに言わせれば)捜査の初動で躓いて時間を無駄に潰し、その結果、2chのタレコミと犯人捜しに捜査の代行を許すような事態に陥ってしまい、逮捕が遅れて面目を失したため、あたかも名誉挽回を急ぐように、容疑者の少年3人の尋問を急ぎ、供述で得た情報を刻々とマスコミに流している。2/27の逮捕以降、事件説明の主導権は完全に神奈川県警が握った。警察の過失責任を巧く拭って曖昧にする情報工作が進んでいる。お利口な中学生が教師の板書を黙々とノートに書き写すように、刑事のリークを丸ごと記事配信する3人の記者の姿が目に浮かぶ。この3人の頭の中には、自ら推理して組み立てた事件の仮説はなく、したがって刑事のリークに何の疑問や質問もなく、自分の足で聞き込んだ取材情報もなく、ただ、警察と国民を繋ぐスルーの伝送パイプになっているだけだ。それが今の日本のマスコミの現状である。政府からの情報を処理検証するインテリジェンス能力がない。



川崎中1殺害事件の説明 - 警察にコントロールされるだけのマスコミ_c0315619_161066.jpg昔はもう少し独自取材の要素があった。例えばワイドショーのレポーターなどで、こうした事件を誰よりも詳しく説明できるスペシャリストが登場したものだ。正確な事件の構図が頭の中に整理され、誰よりもよく情報を収集分析していて、先を読んだ含蓄深い説明ができ、その解説に世間が注目するような、そんな事件と報道との関係性があった。梨本勝と和泉元彌の醜聞報道のような、強力な事情通の活躍があり、その者が事件の言論をリードした。昨夜(3/3)のNEWS23の放送の冒頭、この事件でのネットのとタレコミ・ラッシュに岸井成格が苦言を呈し、名誉毀損の人権侵害だからやめとけと釘を刺す一幕があった。至極もっともな正論なのかもしれないが、嘗て事件報道をリードしたマスコミの報道者の姿が今は消えたため、大衆が真相に切り込む言論や情報をネットに求め、ネットがその機能を代役している現実は否めない。例えば、2chでは、被害者の母親の責任問題が、問う立場と問わない立場の二つに分かれて議論されている。こうした討論なり論争なりは、嘗てはワイドショーの場で踏み込んで熱くやっていた。今は、マスコミは腫れ物に触るような慎重姿勢に徹し、リスクを賭して真相を解剖する営為は控え、全てをセンチメントのオブラートに包んだまま、警察からの説明だけで事件報道と事件認識を埋めている。職業記者が真相解明を全くせず、警察リークの垂れ流しだけやり、一方でネットの犯人捜しに眉をひそめて非難の弁を垂れている。

川崎中1殺害事件の説明 - 警察にコントロールされるだけのマスコミ_c0315619_1611867.jpg真実を知りたい、正義を実現させたい国民の要求はどうなるのだ。川崎署に張り付いた若い記者たちは、社会部の精鋭なのに、実はとことん事件の真相に無関心なのである。警察リークを右から左へ活字にするサラリーマンの事務処理だけで、それが事件報道だと思っていて、報道記者の仕事として十分だと思っている。例えば、東スポが、加害者たちが被害少年の首を斬る場面をスマホで撮影していて、SNSで流していたという噂を記事にしている。また、犯人たちが自らのグループを「川崎国」と名乗っていたという情報がある。この二つは、事件の真相と犯行の動機を浮かび上がらせる証拠として決定的に重要なものだ。けれども、神奈川県警のリークを刻々配信している毎日の報道には、この二つのホットイシューへのリーチが全くない。今後、警察はこの二つを自らに都合よく丸めてテレビ報道に供するかもしれないが、どうして新聞の記者たちは自分でこの事実を追跡・確認し、世間の注目を集める報道を試みようとしないのだろう。真相に迫る情報は常にネットが先行している。事件について掘り下げの議論もネットがやっている。マスコミは、ただ河川敷の現場に献花して手を合わせる人の絵を撮り、感傷的な追悼の空気を演出するだけで、それ以上は少年法と名誉毀損の領域だから踏み込むなと制止するだけだ。お上(警察)に任せろと、タレコミの拡散はするなと禁止を言うだけだ。

川崎中1殺害事件の説明 - 警察にコントロールされるだけのマスコミ_c0315619_1613586.jpgマスコミの記者たちも、実際には2chを見ているはずである。タレコミと犯人捜しの投稿を追いかけ、ネットの情報で事件の概要をイメージしたり修正したりしているはずなのだ。この点、状況は小保方晴子事件のときとよく似ている。2chが事件の暴露と議論をリードしている。小保方晴子事件の言論状況とやや相似なのは、左翼リベラルの態度についても言える。あのとき、左翼リベラルは徹底して小保方晴子の擁護に回ったが、その動機と要因は、「小保方晴子がいじめられてかわいそう」という全く根拠のない感情論で、弱者の人権というフィクションへの拘泥だった。今回、同じ衝動が蠢くのか、母親の責任問題について不問に付すべしという主張は、やはり同じ方角から聞こえてくる。また、右翼側がこの事件をすぐに少年法改正に利用しようと狙ったため、それを阻止しようとする政治的思惑が働き、江川紹子的な「少年犯罪は凶悪化していない」という議論に収斂した。左翼リベラルがマスコミが流すセンチメントの演出に異常に弱く、ナメクジに塩をかけたように、それに簡単に靡いて真相究明の理性を萎縮させるのは、イスラム国事件のときの後藤健二の神格化祭りの狂躁と帰依と同じ現象だ。この国の左翼リベラルの思考はセンチメントに支配されるようになった。論理や理性を中心に置かなくなった。正義と真実をひたむきに追求する、戦後民主主義的な市民の知性と態度を失った。退嬰して、感情で動く生きものになった。

川崎中1殺害事件の説明 - 警察にコントロールされるだけのマスコミ_c0315619_161571.jpg丸山真男の「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」の中に、こういう一節がある。「けれども、『君たちは・・・』の叙述は、過去の自分の魂の傷口をあらためて生々しく開いて見せるだけでなく、そうした心の傷つき自体が人間の尊厳の楯の反面をなしている、という、いってみれば精神の弁証法を説くことによって、何とも頼りなく弱々しい自我にも限りない慰めと励ましを与えてくれます。パスカルの有名な言葉に始まる『人間の悩みと、過ちと、偉大さとについて』と題する『おじさんのノート』(第七章)はその凝縮です。自分の弱さが過ちを犯させたことを正面から見つめ、その苦しさに耐える思いの中から、新たな自信を汲み出していく生き方です。(略)どんなに弱く臆病な人間でも、それを自覚させるような経験を通じて、モラルの面でわずかなりとも『成長』が可能なのだ、ということを学んだ点で、中学一年生のコペル君と、大学の助手の私との間には、あきらかに共鳴現象が働いたのです」(岩波文庫 P.321-323)。吉野源三郎のこの古典が戦後日本の教育思想の原点であるという点、異論はないだろう。戦後民主主義の時代、丸山真男や吉野源三郎の人格教育の考え方は、弱い者が苦悩を克服して強い者に転化するという、弁証法的な、ベートーベン的な変化と成長の認識が根底にあった。弱い者が力をつけ、生きる強さを獲得し、市民社会を健全に担う主体性になり、社会をより善く改造していくのだという、そういう人間観のコンセンサスがあった。

川崎中1殺害事件の説明 - 警察にコントロールされるだけのマスコミ_c0315619_162935.jpgこうした戦後民主主義の思想の下で、現在の50代以上の世代は教育され、精神のカーネルを構成している。が、最近は様子が変わり、人間論の言説が変化し、「がんばらなくていい」の思想が一般化した。頑張らなくていい、無理しなくていい、世界中に一つだけの花、の思想に旋回し、広範に受容され共感され、現代日本の支配的思想として定着している。私はこれを、脱構築主義の思想系として批判的に捕捉し規定する。左翼リベラルの業界のコードとプロトコルは、すでにマルクス主義でも戦後民主主義でもなく、内田樹などに典型的な脱構築主義のそれに取って代わった。脱構築主義はマルクスと丸山真男の否定であり、「君たちはどう生きるか」にある近代的なヒューマニズムを否定した言説体系として積み上がっている。それを悪しき近代主義として排斥する。とまれ、丸山真男や吉野源三郎の視角からすれば、この事件の被害者の少年の母親は、コペル君のように、自らの魂の傷口を開いて見つめ、精神の弁証法で成長しなくてはならないのである。そのことが期待され当為されているのだ。だが、「がんばらなくていい」の思想は、そんな無理をすることは鬱病になるだけだからやめろと言い、精神の弁証法による成長の論理を否定するのである。弱者は弱者のままでよく、行政が貧困対策のメニューを揃えているから、それに頼りながら無理せず分相応に生きろと、そう諭すのだ。弱者は弱者のままでよい。この思想からは、弱者が市民的主体として社会を改造する担い手に転生する契機は出ない。

「がんばらなくていい」の発想と諦観の裏側には、「がんばっても変われない」という経済社会の構造の真実がある。新自由主義の支配が社会の隅々まで及び、アリ地獄のように弱者が抜け出せない物理的な実態がある。戦後民主主義の人間論の背景と土台には、個人が努力すれば報われる大塚久雄的な中産階級の社会原理があった。人に対する優しさ、人に対する厳しさ、その意味がすっかり変わり、戦後民主主義の基礎にあった弁証法的な人間論が消え、「母親も被害者でかわいそうだから責めるのはよせ」が結論になり、その認識と感性が社会の合意になった。「がんばらなくていい」の合唱、弱者への同情論とセンチメントの人工的な横溢、その中で、残酷な殺人事件を媒介したあらゆる責任者の不作為が不問にされ、霞をかけたように周到に不可視化され免責されてゆく。警察とマスコミの手で。正義と真実を求める市民的な態度が無意味化され、ステイブルな骨格と筋肉を持っていた日本人の精神が脆く崩されるままにされている。脱構築主義の阿片的毒素に蝕まれて。


川崎中1殺害事件の説明 - 警察にコントロールされるだけのマスコミ_c0315619_1622323.jpg

by yoniumuhibi | 2015-03-04 23:30 | Comments(6)
Commented by neco88 at 2015-03-04 19:02 x
1人の母親として、まず「お母さん、一体、なにしてたの?どうして気が付かなかったの?」と、問い詰めたい。祖父母を頼って川崎に戻った、というなら、祖父母はどうしてたのか、不可解です。
その一方、母親と言えども、たった一人で子どもを育てることも守ることもできない、という事は声を大にして言いたいのです。そもそも母親になる準備がないまま、子どもを産んでしまう例は、珍しくもない。「神聖な母」という言葉は、母親自身の自己規定ではありえません。
 母親もまた、子どもを育てつつ愛しつつ「母」になります。関わる人が多いほど、子どもは育ちやすい。父親を始め家族、近所の人、幼稚園・保育園・学校の関係者、親仲間…などなど。主観的には「あたし、子育て頑張った!!」と思っても、後から思えば、周囲に支えられていた事は多いものです。
この事件の親子は、間違いなく過酷な状況にありました。一言で「ネグレクト」と言われますが、幼児二人を餓死させた母親のケースとは、何が違い、何が同じなのか?島根でも、やはり親の目が届かない暮らしをしていたのか?
分からないことが多すぎます。母親の責任を問うとすれば、憶測ではなく、事実を知る事から始めなければなりません。そこに切り込む「報道」がほとんど無いことが、不可解です。 
Commented by 1Q47 at 2015-03-05 00:57 x
この13歳の少年が殺害された事件では、彼の母親の話は出て来るが、母親と離婚した父親の話は出て来ない。母親が離婚して5人?の子供の親権者になったので父親は13歳の少年とは赤の他人になった、というような扱いになっているが、13歳の少年がこのような結末の人生になったことに、彼の父親は何の責任も無いというのは、法律以前に人間の感情としておかしいと思う。
Commented by レモン at 2015-03-05 01:36 x
私も普通の親だったら、目にアザを作って帰ってきた段階で警察に連絡するなり動くと思います。
上村君はある意味周りの大人たちの不作為で殺されたようなものだと思います。
もちろん一番悪いのは加害者と加害者を作った親です。






Commented by まゆ at 2015-03-05 11:52 x
ブログ主様の言われる通りだと思います。そして献花の山。こんなに沢山の人達が花を捧げている。何故亡くなる前に守ってあげれなかったの?亡くなって後では遅すぎる。これだけ沢山の人が、もしせめて匿名で警察にいじめられているのを報告していれば警察も仕方なく動いていたのではと思う。一人一人が子供を守ってあげなければ、このような悲惨な事件は、止まらない。お母さんだけでは、手に負えない悲しい世の中。
Commented by Mj22 at 2015-03-08 12:25 x
確かに新聞記事にはツッコミ所満載。まず上村くんから加害少年に「遊びましょうよ」はないでしょ!しかし未逮捕の仲間に情報を与えてしまうためそれ以上のリークは望めない事は理解できます。担任も何度か訪問したようですが、留守続きなら職場を覗いてみるとか小学校と連携して妹と話すとか出来なかったのか。だとしたら担任への学校のサポートがないから。一方事件の8日前に警察が加害少年と上村くんを完全に引き離す事は実際可能なのか?施設から通学しても登下校は危険、親と繋がるための携帯には奴等もアクセス…では結局余計に暴行されるからボディーガードでもいない限り警察から勧められても上村くん本人が断ると思います。
Commented by DC at 2015-03-09 07:32 x
まず被害者家族の5人と言う子供の多さに驚きました。この母親がDVと貧困の犠牲者と言う前に、無責任な母親と責める前に、日本の義務教育では女性が自分を大切にする事を教えていないのでは、日本ではジェンダー教育が浸透していないのではと言う疑問を抱きました。私は長年、途上国の女性の経済進出の為の教育に関わって来た者ですが、途上国では女性の教育度と子供の数は反比例します。安倍首相の掲げる女性の輝く社会は、根本的な男女共を巻き込んだジェンダー教育無しには一足飛びにはいかないはずです。政府は育児所を増やす等のファシリティー面や女性の幹部を増やすと言ったクオーター制度だけではなくもっと根本的なジェンダー概念教育をする必要があります。道徳教育も結構ですがジェンダー教育こそプライオリティと考えます。安倍さん、日本のジェンダーギャップ問題の根は深いのですから応急処置で上っ面だけ直しったって解決策にはなりませんよ。


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